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霊の波に乗ろう [3]
いやしと答えの公義 [2]
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ニュース >
証し
| 万民ニュース
| HIT
9940
| DATE
2006-06-07
ただイエス様だけに仕えるわが家身ごもりの祝福で山形万民教会が建てられました
ジュ・ジェギュ執事(山形万民教会、在日韓国民団・山形県本部事務局長)
妻が難病の真珠種中耳炎をいやされる
1995年5月深夜、疲れてぐっすり眠っていた私を、妻が揺り起こしました。
「あなた、助けて、死にそうなの!」
妻は転げ回って苦しんでいました。
驚いた私は救急車を呼び、病院の救急室に行きましたが、当時は正確な病名がわかりませんでした。
当時、私は山形県の在日韓国民団本部に勤めていましたが、二日後には韓国に出張するため、妻も一緒に韓国行きの飛行機に乗りました。6年半の間、駐日韓国仙台総領事館で働いた後、山形県に勤務地を移して1ケ月半だったので、妻の面倒をみてもらう人がいなかったからでした。
妻は飛行機の中でもずっと苦しんでいました。外に飛び降りたいほどひどく苦しい、と言いました。妻はソウルの姉の家に泊って、病院で診断を受けましたが、難病の「真珠種中耳炎」が悪化していて、急いで手術すべきだと診断されました。
この病気は、耳から膿が出てよく聞こえなくなり、ひどくなると菌が耳の中の骨まで蝕むだけでなく、菌が脳に入れば脳腫瘍に発展する怖い病気でした。小学校の時から中耳炎を病んできた妻は、このために常に薬を飲んでいました。耳から出る膿の臭いで周りの人々に迷惑をかけるのではないかと、いつも心配していました。
その時プサンに住んでいた義母が、孫娘のパク・ケサン執事の伝道で本教会の2週連続特別リバイバル聖会に参加して、リューマチ性関節炎がいやされる体験をしていたので、これを聞いて「万民中央教会イ・ジェロク牧師のところに行けばいやされる」と妻に勧めました。
幼い時から信仰生活をしていた妻は、神様が自分の病気をいやしてくださるという信仰を持って、2週連続リバイバル聖会の第二週から姉のチェ・ギョンヒ、チェ・ナムトク勧士と一緒に万民中央教会の礼拝に出席しました。そして礼拝後に、イ・ジェロク先生を訪ねて祈りを受けました。祈りを受けた瞬間、からだ全体がハッカの香りようにすがすがしくなり、同時にひどい痛みが消えたことを体験しました。
その翌日からリバイバル聖会に参加しました。妻は心を砕いて罪を告白しながらたくさん恵みを受けて、異言の賜物も受けました。その後、耳からはもう粘液が流れなくなり、頭痛といろいろな後遺症まで完全にいやされました。
赤ちゃんをあきらめなさい
1995年6月、日本に戻って3週間後、妻がからだに異常を感じて病院に行きましたが、信じ難いような知らせを聞きました。赤ちゃんを身ごもったという、うれしい知らせでした。
1991年、私と結婚した当時、妻はからだが弱かったので、家族でさえ妻に赤ちゃんはあきらめるようにと勧めるほどでした。
1994年、結婚して4年目でも相変らず身ごもりの兆しがなくて、私たち夫婦は病院に行って診断を受けました。医師は、妻は先天的心房欠損による心臓病で、赤ちゃんができても母子ともに危険なこともあるので、心臓手術からしなければならないと勧めました。手術後はからだがとても衰弱するので、3、4年間は身ごもることもできないし、たとえ身ごもっても危ないので、出産など考えもしないようにと言いました。その時は本教会を知らなかったので、手術後3、4年過ぎても身ごもれるだろうという可能性にかけて、心臓手術を受けました。
当時、韓国へ戻ってきた妻は、手術を受けて8ケ月にしかなりませんでした。しかし、神様が愛される主のしもべイ・ジェロク牧師を通して保証される御力の祈りで、難病もいやされて身ごもりの祝福も受けたので、この赤ちゃんは明らかに神様からの贈り物だと確信しました。それで、妻は信仰で赤ちゃんを産むと告白しました。私は少しは不安でしたが、妻がいやされるのを見たので、神様にすべてをゆだねようと思いました。
お腹の赤ちゃんは、早朝5時になると、力強く足でけってお母さんを起こしました。妻はいくら疲れていても、その時間になると起きるしかなかったのです。起きて賛美して祈ると、その時からお腹が平安になりました。それで妻は、早朝5時になるといつも起きて祈る習慣を持つようになりました。
珍しい病気、クレチン病にかかる
妻は1996年3月、長男のシヨンを出産しました。ところが血液検査の結果、クレチン病という診断が出ました。クレチン病とは、「先天性甲状腺機能低下症」という原因不明の病気で、からだで成長ホルモンを生成することが不可能なので、一生ホルモン剤を服用しなければ正常に成長できない難病だと言われました。この病気は日本で8000人に1人くらいの珍しい病気で、万一成長ホルモン剤を飲まなければ、初めは便秘症状が現れ、膝に水がたまり、下半身は成長せずに頭だけ大きくなって、結局は命を失うかもしれない怖い病気だということでした。
1996年5月、私たち夫婦はシヨンの病気のいやしのために、妻と策定祈祷をしながら準備して、本教会の2週連続リバイバル聖会に参加しました。初めて万民中央教会に入ると、遠くから賛美が聞こえてきて、いつになく私の目から心を砕いて罪を告白する涙、喜びの涙がとめどなく流れました。みことばを通してどの時間にも恵みを受けて、堂会長イ・ジェロク牧師のいやしの祈りのとき、「クレチン病」というシヨンの病名を呼んでくださると、病気がいやされたという信仰の確信が与えられました。
私たち夫婦は直ちにシヨンに毎日飲ませていた成長ホルモン剤をごみ箱に捨てて、全能な父なる神様にすべてをゆだねました。するとシヨンは正常に成長し、数ヶ月後には、主治医の山形大学病院のお医者さんに、薬を飲ませなかったことと今までの過程を話して、生きておられる神様を伝えました。そしてその日の診察の結果、シヨンのホルモン数値が正常に戻ったという診断を受けました。
1998年10月、次男のデヨンが生まれました。ところが血液検査の結果、シヨンと同じ病気にかかっていたのです。しかし私たち夫婦は、デヨンには初めから薬を飲ませませんでした。本教会に行って堂会長イ・ジェロク牧師先生に祈りを受ければ完全にいやされる、という信仰の確信があったので、何の心配もなく平安でした。もちろんデヨンも一回の祈りを通して完全にいやされました。
三番目の子は娘に変えてください
1999年、妻が三番目の子を身ごもりました。日本では両親が願うなら、医師は合法的に息子か娘かを教えてくれます。5ケ月で妻が病院に行くと、医師は息子だと教えてくれました。しかし妻は娘を切に願いました。
1999年冬、妻は本教会に来て、お腹の子が娘なら良いのにと、堂会長先生から祈りを受けました。
「堂会長先生、病院では息子だと言われましたが、祈ってくださると、神様が娘に変えてくださると信じます」
堂会長先生は笑いながら祈ってくださいました。その後、9ケ月になって妻が病院に行って診断を受けると、娘だと言われました。祈ればお腹の赤ちゃんの性別も変えられるということを知りました。2000年5月、長女のガヨンが生まれました。現在シヨンとデヨンは小学校5年生と2年生で、学校生活にもよく適応して、いろいろな分野で先生にほめられています。
山形万民教会が建てられる
身ごもりの祝福を受け、難病の真珠種中耳炎がいやされて韓国から戻ってきた妻は、その時から周りの人々に堂会長イ・ジェロク牧師のメッセージテープと冊子を伝えて、昼も夜も伝道と祈りを休みませんでしたし、私はそんな妻を熱心に手伝いました。私たち夫婦は、偶像の国・日本にいのちのある教会と聖潔の福音が伝えられ、ここにすみやかに支教会が建てられて霊的な宣教師が派遣されるようにと切に祈りました。
やがて1997年7月主日、わが家で乳児を含み6人が集まり、初めての家庭礼拝をささげました。その後で福祉会館を借りて、伝道した30人余りの人を集めて、堂会長イ・ジェロク牧師のメッセージのビデオテープで主日礼拝を導きながら、福音を伝えました。この時、長野県飯田市で働いているリュ・スンギル牧師が月一、二回来られて、聖書の学びと家庭訪問を助けてくださいました。
1998年9月、チャン・カンソプ牧師が山形万民教会に派遣されて就任されました。その後、倉庫だったみすぼらしい二階建ての建物を牧師館と聖殿として改造して、50人余りの人が集まって礼拝をささげ、毎日、新聖殿のためにダニエル徹夜祈祷をしました。ついに1999年、320坪の敷地に建坪120坪の聖殿を用意して、教会の安定を果たしました。
信仰で告白するごとに答えてくださる素晴らしい神様<
私はサラリーマンだったので、物質には特に余裕はなかったのです。しかし、万民中央教会を知ってから、完全に主日を守り、十分の一献金をささげるようになりました。神様から受けた恵みに感謝して、毎年本教会には時にしたがって感謝献金を心を込めて蒔きました。そうするうちに2003年5月、日本に来て13年目で二階建ての一軒家を購入する祝福を受けました。
2004年からは毎月、日を決めて堂会長イ・ジェロク牧師先生がなさっている世界宣教の働きに少しでも力になろうと、定期的に宣教献金を送りはじめました。この時から神様は私に、十分の一が増えて、より大きい物質の祝福を受ける道を開いてくださいました。
2004年7月、韓国にある在日韓国人の企業に出資できる道を開いてくださったのです。
私はこれを通して堂会長先生の宣教の働きに物質的により大きい力になりたい、すみやかに成し遂げられて神様に栄光をささげたいと切に願い、献金して祝福の祈りを受けました。すると神様は短い期間に十倍以上の大きい祝福を許してくださいました。そして最も良い時期にささげるように祝福してくださり、引続きより大きい祝福が受けられるように、すべてを栄える道に導いておられます。
私は家庭や職場、それ以外の副業など、心に抱いたものがみな現実に成し遂げられることを体験して、神様の愛と恵みがとても大きいのを感じます。いつも信仰で告白して見つめる時に、その告白のとおり成し遂げてくださる素晴らしい神様をほめたたえます。栄えないことのない、すべてが栄える幸いな人生に導いてくださった父なる神様に、すべての感謝と栄光をささげます。いのちのみことばと祈りで導いてくださる堂会長先生にも深く感謝申し上げます。
73, Yeouidaebang-ro 22-gil, Dongjak-gu, Seoul, Korea
- tel 82-2-818-7000 - fax 82-2-851-3846
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