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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第25課 「断食と祈りの威力」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2009-06-19


読むみことば: ヨナ3:1-10
覚えるみことば: エレミヤ33:3
参考にするみことば: イザヤ58:3-9


教育目標

断食と祈りは神に答えられる秘訣なので、神が願われる断食と祈りの方法を知って、すみやかに答えられる。

全知全能の神は愛する子どもが求めることには何でも答えたいと願われます。いくら不可能なことでも、切なる心で神に求めれば、上から神の恵みと力が臨んで答えられます。断食と祈りは神の答えを切に慕う心の表現なので、答えを受ける秘訣でもあります。


1. 断食と祈りの威力

ヨナは紀元前785年を境に、北イスラエルでヨアシュ王とヤロブアム2世の時に活動した預言者です。強大国アッシリヤ帝国の首都だったニネベは、その悪が神の御前に届くほど大きくなったので、神はヨナに、ニネベへ行って神のみこころを叫べと命令されます。ところが、ヨナはイスラエルを苦しめた敵国アッシリヤが滅ぼされることを願ったので、主の御顔を避けてタルシシュヘのがれようとしました。
神が大風を海に吹きつけたので、ヨナが乗っていた船は難破しそうになりました。船に乗っていた人々は、誰のせいでこの災いが降りかかったかを知ろうと、くじを引きました。 結局、そのくじがヨナに当たって、彼が海に投げ込まれたら、驚くべきことに海が静かになりました。
ヨナのために神は大きな魚を備えて、ヨナをのみこませられました。ヨナは魚の腹の中で三日三晩、何も食べられず、たましいを砕いて罪を告白し、神に叫びました。すると神は魚に命じ、ヨナを陸地に吐き出させました。ヨナはニネベに行って、言われたとおり、「もう四十日すると、ニネベは滅ぼされる。」と叫びました。
すると異国の民であるニネベの人々は断食を呼びかけ、身分の高い者から低い者まで、すべての人が荒布を着て、神に対して悔い改めました。このことがニネベの王の耳にはいると、彼は王座から立って、王服を脱ぎ、荒布をまとい、灰の中にすわりました。そして、王と大臣たちの命令によって、次のような布告がニネベに出されました。「人も、獣も、牛も、羊もみな、何も味わってはならない。草をはんだり、水を飲んだりしてはならない。人も、家畜も、荒布を身にまとい、ひたすら神にお願いし、おのおの悪の道と、暴虐な行ないとを悔い改めよ。もしかすると、神が思い直してあわれみ、その燃える怒りをおさめ、私たちは滅びないですむかもしれない。」
このように断食によって誠意を見せ、悪い行ないから離れて、力のかぎり主を呼んで祈ると、神がどのように働かれたでしょうか? 彼らに下すと言われた災いを下されませんでした。これは、それほど断食と祈りの威力が大きいことを教えてくださった、驚くべき出来事です。
私たちも、神に答えられるためには、ニネベの人が王とともに悔い改めたように、神の御前で身を慎んで悔い改め、自分のからだを打ちたたいて従わせて断食しながら、主を呼んで祈らなければなりません。


2. 神の願われる断食と祈り

断食は、一食断食から一日、二日、三日、五日、七日、それ以上することもあります。しかし、長期断食はむやみにするのではなく、神のみこころに従って働きかけられなければなりません。このように断食をしますが、主を呼んで祈り、自分の好むことをしないで、霊の愛をもって祈れば(イザヤ58:3-5)、神は私たちが驚くみわざを体験するようにしてくださいます。すなわち、断食と祈りの威力が現れるのです(イザヤ58:6-9)。
それでは、神の願われる祈りとはどんな祈りでしょうか?

第一に、いつものように絶えず祈ることを願われます(第一テサロニケ5:17)。
イエス様もいつものように祈られ(ルカ22:39)、イエス様の弟子ペテロとヨハネも、時間を決めて祈りました(使徒3:1)。たとえば、掃除も毎日すれば割合簡単に終わりますが、久しぶりにすれば、たくさんホコリがたまっていて、汚れが染みついて、長い時間かけてやっときれいになります。同じように、祈りも、ふだんからいつものように祈っている人は、神が働かれるので、試練や患難がやって来ません。もしやって来たとしても、軽く終わり、神がすべてのことを働かせて益としてくださり、栄えます。試練や患難にあってから祈る人は、神との間にある罪の隔ての壁を壊すのに長い時間がかかります。

第二に、ひざまずいて祈ることを願われます。
ひざまずけば心が引き締まり、相手を恐れる心の表現になります。私たちが大統領の前でも身を低くするのに、まして創造主の神の御前で祈るとき、ひざまずいて祈るのは当然ではないでしょうか。神の御子であられるイエス様も、ひざまずいて祈られ(ルカ22:41)、ステパノ執事は石に打たれて死にかけていながらも、ひざまずいて祈りました(使徒7:60)。

第三に、主を呼んで祈ることを願われます(エレミヤ29:12-13、33:3)。
<使徒4章>を見れば、大きい御力が現れてリバイバルが起きた初代教会は、激しい迫害の中でも主を呼んで祈って聖霊に満たされ、多くの不思議なみわざとしるしが伴い、神に喜ばれました。イスラエルの民が荒野で飲む水がない時も、モーセが神を呼んで祈ると、苦い水が甘い水に変わるみわざが起きました(出エジプト15:22-25)。
しかし、主を呼んで祈りなさいといっても、いつでも大声で祈ってはいけません。他の人の邪魔にならないように、静かに祈らなければならない時もあります。この他にも、神は心をささげて祈り、同じ言葉をただ繰り返さないことを願われます。


3. 断食と祈りで答えられた昔の信仰の人々

イスラエルに三年六か月の間雨が降らなくて、きびしい日照りだったとき、エリヤはカルメル山の頂上に登り、人の手のひらほどの小さな雲が海から上って見えるまで切に祈って、雨を降らせるという答えを受けました(第一列王18:41-46)。どんなに切に祈ったのか、はらわたがよじれるような苦しみでおなかが引きつれて、自分の顔をひざの間にうずめたほどでした。
ダニエルは、エルサレムが陥落して、バビロンへ捕虜として連れて来られてから、すでに七十年が過ぎたほど歳をとっていても、断食して荒布を着、灰をかぶってイスラエルの罪を代わりに悔い改めて、神に願い求めました。神はその祈りに答えられて、すでにダニエルが祈り始めたとき、御使のかしらガブリエルにダニエルのところに行くように命令されました。ガブリエルはダニエルを「神に愛されている人」と言い、彼に悟りを授け、また、大いなる驚くべき啓示を与えました。将来来られるメシヤについて、また、世の終わりの日までになることについて、彼に知らせたのです(ダニエル9:1-27)。
神の御子イエス様も、ゲツセマネで汗が血のしずくのようになるまで祈られました。<ルカ22:44>に、イエス様が捕らえられる夜、十字架を負うためにゲツセマネで祈られたとき、「イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。」と記されています。
最後に、私たちが忘れてはならないことが二つあります。
まず、自分の欲のために求めることは答えられないということです。それぞれ自分の信仰と務めと立場に合わせて、必要なことを求めなければなりません。虚栄と欲のために求めるなら、答えが与えられません。それで、<ヤコブ4:2-3>に「あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからです。 願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。」とあるのです。
次に、信じて求めたことは、すでに答えられたと信じなさいということです。<マルコ11:24>に「祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。」とあり、<ヤコブ1:6-7>にも「ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。」とあります。疑いながら祈っても、決して答えられません。
このような聖書に記された断食と祈りの威力を知って、私たちも切なる心で神の願われる祈りと断食をして、答えを受ける驚くべきみわざを体験しなければならないでしょう。


* まとめと適用

1. <エレミヤ33:3>をみんなで覚えてみましょう。

2. 神の願われる祈りとはどんな祈りでしょうか?

3. 断食の祈りをしたけれど答えられなかった経験があるなら、その理由は何でしょうか? <イザヤ58:3-9>を読みながら、具体的な理由を探してみましょう。


* 今週の課題
次の学びは「蒔けばその刈り取りもする法則」です。種蒔きのたとえは聖書のどこどこに出てくるでしょうか? 探してみましょう。


* 「用語」を知って力にしましょう!
「断食と保護食」
 断食の祈りは、ある祈祷課題をもって、どんな食物もとらないで、水だけ飲みながら、自分の命をかけて神に切に求めることである。保護食は、断食が終わった後、落ちた気力、体力を補充し、からだが正常に回復するように食べる物のことで、断食した日と同じ日数、保護食をするとき、完全な断食と言える。保護食をしている間は、からだに無理なことや疲れることは避けなければならない。主食は重湯やお粥にして、副食はおもに菜食にする。肉類や油気のある食べ物、刺激のある食べ物(辛いもの、塩辛からいもの)甘いもの、化学調味料と香辛料は避けたほうがよい。保護食を上手にすれば、からだもむくまないで肌も白くなり、体重も早く元に戻る。

 
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