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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第20課 「口で告白したとおりになる」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2009-05-15


読むみことば: ローマ10:10
覚えるみことば: ヤコブ3:11
参考にするみことば: 民数記13:31-33、14:7-9、ダニエル3:17-18


教育目標

神が祈りに答えて働いてくださるためには、何よりもまず、肯定的な信仰の告白が大切なことを悟る。

神は「死と生は舌に支配される。」(詩篇18:21)と言われます。ですから、信仰をもって、、肯定的な言葉で神が働かれることを口で告白すれば、すべての問題が解決されて、神に栄光がささげられます。それでは、口の告白が大切であることを悟って、信仰の告白でいつも勝利するには、どうすべきでしょうか?


1. 肯定的な信仰の告白が大切

何か困難なことに遭ったとき、神を信じる人なら、肯定的な考え方をしなければなりません。世の人であっても、肯定的な考え方で進むと、必ず突破口を見つけて解決していきます。聖書を見れば、肯定的な信仰の告白をして、神のことばを信じて行なった人には、神が必ず働かれたことがわかります。
モーセはエジプトから出たイスラエルの民がカナンの地に入る前に、まずその地を探るように十二人を遣わします。ところが、彼らが戻ってきてした報告は正反対でした。そのうちの十人はカナンの住民を恐れて、「私たちはあの民のところに攻め上れない。あの民は私たちより強いから。」と否定的な報告をしました。
一方、ヨシュアとカレブは神の約束を信じたので、肯定的な報告をします。<民数記14:7-9>に「私たちが巡り歩いて探った地は、すばらしく良い地だった。もし、私たちが主の御心にかなえば、私たちをあの地に導き入れ、それを私たちに下さるだろう。あの地には、乳と蜜とが流れている。ただ、主にそむいてはならない。その地の人々を恐れてはならない。彼らは私たちのえじきとなるからだ。彼らの守りは、彼らから取り去られている。しかし主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。」とあります。このように、彼らの言葉、ひと言ひと言が肯定的な信仰の告白だったので、ヨシュアとカレブはカナンの地に入れました。しかし、この二人を除いた、当時二十歳以上のすべてのイスラエルの民は、カナンの地に入れずに、荒野で死んでしまいました。
<マタイ8章>では、百人隊長が自分のしもべの中風がいやされるために、イエス様を訪ねてきます。イエス様がその心をご覧になって、行っていやそうとされました。すると百人隊長は「ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、私のしもべは 直りますから。」と驚くような信仰の告白をします。これに対してイエス様は「わたしはイスラエルのうちのだれにも、このような信仰を見たことがありません」と言われて、彼の信仰をほめられます。すると、百人隊長が告白したとおり、しもべの病気が完全にいやされました。
このように、主が信仰をほめてくだされば、問題は解決されます。とうていできそうもない難しいことも神はすべておできになるので、祈って断食して、みことばに聞き従いながら口で告白すれば、できないことがありません。
<マルコ7:24以下>では、スロ・フェニキヤの女が自分の娘から悪霊を追い出してくださるように、イエス様に願い続けます。ところが、イエス様は「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に 投げてやるのはよくないことです。」と言われます。普通の人なら気を悪くして行ってしまったでしょうが、この女性はかえって「主よ。そのとおりです。でも、食卓の下の小犬でも、子どもたちのパンくずをいただきます。」と言い、変わらずへりくだって恵みを求めます。彼女は信仰をもって出てきたので、どんな言葉にも傷つかなかったし、心が移り変わらなかったのです。彼女の善と信仰をご覧になったイエス様は直ちに娘をいやしてくださいます。このように、どんな難しいことに遭っても、へりくだった姿で神に求めるなら、必ず答えられます。
<ダニエル3章>で、金の像を拝まなければ、火の燃える炉の中に投げ込むとネブカデネザル王が脅かすと、ダニエルの三人の友だちは大胆に告白します。「もし、そうなれば、私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。」(ダニエル3:17-18)。彼らは結局、火の燃える炉に投げ込まれましたが、神が守られたので、その頭の毛も焦げずに生きていられました。
このように、世と妥協しないで神のことばのとおり行なうと、たとえ試練や迫害がやって来たとしても、神がすべてのことを働かせて益としてくださり、私たちはかえって祝福され、栄光を帰すことができます。


2. 口で災いを招く人と祝福される人

聖書には、口で災いを招く人がいるかと思えば、祝福される人がいます。イサクの息子エサウは長子の権利を弟ヤコブにレンズ豆の煮物一杯と引き替えに売りました。狩りから帰ってきて、あまりにも空腹だったので、「長子の権利など、今の私に何になろう。」と言ったのです。彼は大したことと思わずに口に出した言葉でしたが、結果はその口で告白したとおりになりました。長子のすべての祝福が弟ヤコブに渡ってしまったのです。
<第二列王6-7章>にも、似たようなことが出てきます。アラム軍がサマリヤ城を長い間包囲して攻撃したので、町には食べ物がなくて、子どもまで煮て食べるほどでした。その時、エリシャが「あすの今ごろ、サマリヤの門で、上等の小麦粉と大麦が捨て値で売られるようになる。」 と預言しました。しかし、侍従で、王がその腕に寄りかかっていた者が「たとい、主が天に窓を作られるにしても、そんなことがあるだろうか。」と言いました。するとエリシャは「確かに、あなたは自分の目でそれを見るが、それを食べることはできない。」と言いました。次の日、侍従はアラム軍の陣を奪いに行く民に踏みつけられて、死んでしまいます。預言者の言葉を否定したので、呪われたのです。このように、ひと言によって神のみわざが起こったりもするし、悪魔のしわざを招いたりもします。
一方、<第二歴代20章>では、モアブとアモンが連合してユダ王国を攻めて来ると、ヨシャパテ王は全国民とともに断食しながら、神の助けを求めます。すると、主の霊が預言者の上に臨み、主が救ってくださると言われます。王は民に「あなたがたの神、主を信じ、忠誠を示しなさい。その預言者を信じ、勝利を得なさい。」と励まします。それだけでなく、主に向かって歌う者たちに聖なる飾り物を着けて、武装した者の前に出て行って賛美するようにしました。この時、神は王の肯定的な告白と信仰の行ないを見て、戦わないで勝利できるように働かれました。


3. 口で告白したとおりに答えられるには

<ローマ10:10>に「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」とあります。それでは、誰でも口で告白すれば、どんなことでもすべてなるのでしょうか? 心に信じないで、疑いながら「信じます」と言うからといって、なるのではありません。頭で知っていることをただ口で告白するからといって済むのではなく、まず心に疑わないで信じなければなりません。
心に信じる人はみことばどおり行なうので、真理に逆らうものを捨てて、闇から光の中に出てきます。キリストの香りを放って、世の光と塩になります。それで、「心に信じて義と認められる」と言うのです。まことに神を恐れて愛する人は、そのみこころに従ってみことばどおり行なうので、神はその人が口で告白した時に答えられます。
もし、ある人が熱心に神の御前に献金して、施しをして、礼拝とさまざまな集いに参加したとしましょう。ところが、神に祈っても、答えはおろか、むしろ困難なことだけ迫って来ると、「神様がどこにいるのか?」と恨んで不平を言ったとします。それでは、なぜそのような姿が出てきたのでしょうか? その人が本当に神を心に信じたとすれば、心が変わらないで最後まで耐え忍んだでしょう。ところが、心に信じたのでなく、ただ口で告白したので、時間が過ぎると本心が現れたのです。
したがって、同じように忠実であり、献金しても、ある人は答えられて、ある人はそうでないのはなぜか、その理由を知らなければなりません。まことに神を信じる人は、口で告白したとおりに答えられます。信じられない人は、口で告白したとしても、それがまことでないので答えられないのであり、時間が過ぎればその心の悪が現れます。
<ヤコブ3:11>に「泉が甘い水と苦い水を同じ穴からわき上がらせるというようなことがあるでしょうか。」とあります。「信じます」と言いながら、次にこの言葉を否定するような苦い水をわき上がらせたなら、それは信仰ではありません。耐え忍んで、最後まで神を信じれば、神は私たちが告白したとおり、必ず答えてくださいます。
ひょっとして苦しくて困難な時、試練や患難に遭った時に、否定的な言葉、恨みや不平の言葉、神、あるいは主のしもべ、信仰の兄弟姉妹に気を悪くして、そんな言葉を出さなかったのか顧みますように。そして、神の子どもらしく、甘い水だけわき上がらせる聖なる口になって、肯定的な信仰の告白で求めることはみな答えられ、神に栄光を帰しますように。


* まとめと適用

1. <ヤコブ3:11>をみんなで覚えてみましょう。

2. 私たちがスロ・フェニキヤの女だったとしたら、自尊心が傷ついて、気を悪くしなかったでしょうか? イエス様にどんな告白ができたでしょうか? 分かち合ってみましょう。

3. 神は聖書を通して数多くのいのちのみことばを私たちに語っておられます。それでは、私たちははたしてどれほど心から信じて、行ないで信仰を現しているでしょうか?


* 今週の課題
「しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」という聖句はどこにあるでしょうか?


* 「用語」を知って力にしましょう!
私たちの口から出る「甘い水」とは?
霊的に「真理の言葉」「人に恵みを与え、力づける言葉」「信仰の告白」あるいは「神に栄光を帰す証し」のことを言う(ヤコブ3:10-11)。<マタイ12:35>に「良い人は、良い倉から良い物を取り出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を取り出すものです。」とある。人の言葉はその心から出るので、甘い水だけわき上がらせる口になるためには、まず良い心にならなければならない。

 
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