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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第19課 「答えの神」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2009-05-08


読むみことば: 詩篇78:12-29
覚えるみことば: マタイ7:7
参考にするみことば: 第一サムエル1:11、マタイ1:19


教育目標

創造主の神は何でも求めるとおり答えられる方であることを信じ、神を見つけて答えられる秘訣を悟る。

神は愛する子どもたちに答えと祝福を下さって、栄光をお受けになることを願われます。それなのに、神の子どもたちが栄光をささげられない理由は何でしょうか? 今回は、私たちに出会ってくださり、答えてくださる神について調べ、答えられる秘訣を考えてみましょう。


1. 出会ってくださり、答えられる神

イスラエルの民は神が選ばれた民族です。彼らは神の摂理によってエジプトで四百年間、奴隷の生活をしました。イスラエル人が厳しい労役にうめき、わめくと、彼らの叫びが神に届きます(出エジプト2:23)。神はモーセを指導者にして、彼らをエジプトから連れ出して、乳と蜜の流れるカナンの地に導かれます。彼らがエジプトから脱出する過程で、神はイスラエルの民の目の前でさまざまなしるしと不思議を行なってくださいました。昼は雲の柱、夜は火の柱で導き、岩を打って出てくる水を飲ませられ、食べる物がない時は、天の門を開いてマナという天の糧を食べさせられました。
それでは、イスラエルの民が奴隷の生活をしていたエジプトから出てきて、カナンの地へ行く旅程は、私たちとどんな関係があるでしょうか? これは、私たちがこの世の罪の中に生きていた生活から出てきて、天国に入るまでこの地上でする信仰生活と関連があります。神は黙って手をこまねいて見ておられる方ではありません。イスラエルの民に働かれたように、私たちの人生で出会ってくださり、ともにおられ、求めることに答えて、天国にまで導かれます。それで、<マタイ7:7>に「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」とあるのです。これは求めに答えられる秘訣を教えてくれるみことばです。
聖書には、神が出会ってくださり、答えられた出来事がたくさんあります。死んだ者を生かしてくださったこともあります。<第二列王4章>で、預言者エリシャがシュネムの女の死んだ息子のために切に祈った後、子どもの上に身をかがめると、子どもは七回くしゃみをして生き返ります。<ヨハネ11章>では、イエス様がラザロの墓に向かって「ラザロよ。出て来なさい。」と言われると、死んでから四日になって臭くなったラザロが、手と足を長い布で巻かれたままで出て来ました。 <ルカ7章>では、イエス様がナインという町のやもめの死んだ息子に向かって「青年よ。起きなさい。」と言われると、彼が生き返ります。イエス様だけでなく、使徒たちもイエス・キリストの御名によってそのようなわざを行ないました(使徒20:7-12)。
このほかにも、聖書には、普通の女にあることがすでに止まっていたアブラハムの妻サラが九十歳で息子イサクを産んだことや(創世記17,21章)、人間の手の指が現われ、ベルシャツァル王の宮殿の塗り壁に字を書いたとおりに、王が国を奪われて殺されたこともあります(ダニエル5章)。<マタイ11:5>では、イエス様がご自分がなさっていることについて「目の見えない者が見、足のなえた者が歩き、ツァラアトに冒された者がきよめられ、耳の聞こえない者が聞き、死人が生き返り、貧しい者たちに福音が宣べ伝えられている。」と言われました。このようなイエス様の行跡を記した使徒ヨハネは、ヨハネの福音書の終わりに「イエスが行なわれたことは、ほかにもたくさんあるが、もしそれらをいちいち書きしるすなら、世界も、書かれた書物を入れることができまい、と私は思う。」(ヨハネ21:25)と書きました。このように神の驚くべきみわざは旧約時代やイエス様の時代だけでなく、今日も変わらず、神の愛されるしもべや信仰の人々を用いて現れています。


2. 神の答えはどんな人に臨むのか

それでは、神の答えは具体的にどんな人に臨むのでしょうか?
アブラハムは変わらない信仰によって答えられた人です。彼は、神が死んだ者も生き返せることもできる、全知全能の方であることを信じたので、どんなことを要求されても聞き従えました。しかし、ほとんどの人は自分の思いに合わなければ疑って、恨んで不平を言います。このように二心のある人は答えられませんが(ヤコブ1:6-8)、どんな状況に置かれても変わらない信仰を持てば、神に答えられます。
次に、神の答えは祈る人に臨みます。預言者エリヤは答えられるために、地にひざまずいて、自分の顔をひざの間にうずめて祈りました(第一列王18:42)。顔がひざの間にうずまるほどなので、どれほど切に祈ったかのかがわかります。そんな祈りによって、三年半の間、一滴の雨も降らなかった地に大雨が降るようになりました。
また、コルネリオは敬虔な人で、全家族とともに神を恐れかしこみ、ユダヤの人々に多くの施しをなし、いつも神に祈りをしていました(使徒10:2)。このようなコルネリオの祈りと施しが神の御前に立ち上って覚えられ、ペテロを遣わして、彼とその場にいた親族や親しい友人たちまでも、みな聖霊を受けて救われ、異言の賜物まで受けられるようになさいました(使徒10章)。
ソロモンは神に一千頭の全焼のいけにえを心を込めてささげたので、神が喜んで祝福してくださいました。ソロモンの夢に神が現れて、「あなたに何を与えようか。願え。」と彼に何でも答えられる権限を下さったのです。旧約時代のいけにえは、今日では礼拝のことです。私たちも、神を愛して神に霊とまことによって礼拝をささげるなら、ソロモンのように祝福される人になれます。
それでは、少年ダビデはどうだったでしょうか? 彼は神がご自分を信頼することを喜ばれることを知って信仰を示したので、答えられました。つまり、ペリシテの人ゴリヤテという巨人をたった一つの石で倒したのです(第一サムエル17:32-49)。ゴリヤテの死を見たペリシテ軍は非常に驚いて逃げ始め、イスラエルはこの戦いで大勝利を得ました。少年羊飼いにすぎなかったダビデでしたが、神により頼む信仰がこのように非常に大きかったので、神に答えられて栄光も帰して、危機に面していた国も救ったのです。このように私たちの前に大きい問題、とうてい不可能に見える問題があっても、ダビデのように大胆な信仰をもって出て行けば、何でも答えられるのです。


3. 神を見つけて祝福された人々の心

ヨセフはマリヤといいなずけでした。ところが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、マリヤが身重になったという驚くべき事実を知りました。旧約の律法によれば、姦淫した女性は石で打ち殺さなければなりません。しかし、ヨセフはどうしたでしょうか? <マタイ1:19>に「夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。」とあります。彼女をかばって最後まで善を見せたのです。
ヨセフはこのような善良で正しい心があったので、神を見つけてその声が聞けました(マタイ1:20)。実に惨めな気持ちになるかもしれなかった彼が、むしろ大いに祝福されたのです。また、<ルカ1章>では、マリヤが神を信頼したので、恐れたり思い煩ったりしないで、むしろ喜んで神のみこころが自分になされるように願ったことがわかります。まさにこのような人々に神がご自身を現してくださるのです。
また、エリサベツやザカリヤはどうだったでしょうか? <ルカ1:6>に「ふたりとも、神の御前に正しく、主のすべての戒めと定めを落度なく踏み行なっていた。」とあります。彼らには年を取っても子がなかったのですが、神に祈りが届いて、バプテスマのヨハネを生むという大きい祝福を受けました。
また、不妊の女だったハンナは、神の御前に誓いを守る心だったので、祈りに答えられました。息子サムエルを産んだ後、誓ったとおり、この子が乳離れしたとき、シロの主の宮に連れて行って、祭司長エリのところに主のしもべにするよう渡したのです。ハンナは誓願を果たしたので、その後、三人の息子とふたりの娘を産むことができました。また、サムエルはイスラエルの偉大な預言者になったのですから、どれほど大きい祝福でしょうか。
このようにすばらしい神、奇蹟を行ない、不可能なことは一つもない神を見つけさえすれば、すべての問題が解決されて、心の願いに答えられるのですから、乏しいことがありません。したがって、神との間を仕切る罪の壁を壊し、信仰をもって聞き従い、良い心で切に求めて、何でも求めるとおり答えられますように。


* まとめと適用

1. <マタイ7:7>をみんなで覚えてみましょう。

2. 神は求めるものは何でも答えてくださると言われたのに、求めても答えられない理由は何でしょうか?

3. 祈りに答えられるために、自分がどれほど神のみことばのとおり行なうために努力しているか、顧みてみましょう。

4. 神に答えられた証しを分かち合ってみましょう。


* 今週の課題
「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」という聖句はどこにあるでしょうか?


* 「用語」を知って力にしましょう!
「マナ」とは?
マナとは「これは何だろう」という意味のヘブライ語で、神の下さる「日用の糧」を意味する。イスラエルの民がエジプトから出て、カナンの地に行く間、荒野で神が天から降らせてくださった食べ物である。早朝に各自、自分が食べるだけ集めるが、日が熱くなると溶けてしまう。また、その日のうちに食べなければならず、残しておくとすぐに虫がわき、悪臭を放つ。ただし安息日には降ってこないので、その前日には二倍集めることが許されている。カナンの地に着くまでの四十年間、イスラエルの民の食料だった。
このマナについて、聖書には「白い霜のような細かいもの、うろこのような細かいもの」「コエンドロの種のようで、その色はブドラハのようであった。」「ひき臼でひくか、臼でついて、これをなべで煮て、パン菓子を作っていた。その味は、おいしいクリームの味のようであった。」と記されている(出エジプト16章、民数記11章)。

 
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