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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第18課 「罪と義とさばきについて」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2009-05-01


読むみことば: ヨハネ16:7-11
覚えるみことば: ヨハネ16:8
参考にするみことば: 第二ペテロ2:3


教育目標

罪の問題を解決して義人になり、今後臨むさばきを免れて、永遠に幸いな生き方をする方法を知る。

イエス・キリストを救い主として受け入れれば、神が賜物として聖霊を下さいます。聖霊は、私たちが新しく生まれて、みことばが悟れるように助けられます。また、真理に歩むようにして、救いを全うするように導くなど、多くの働きをされます。したがって、私たちは聖霊によって罪と義とさばきについて悟り、真理の中を歩んで、神の子どもとされた祝福を受けなければなりません。


1. 世にその誤りを認めさせられる聖霊

聖霊が罪と義とさばきについて、世にその誤りを認めさせられる理由は、まさに世に罪と悪が満ちたからです。創造主の神は初めと終わりについての確かな計画を持って、人類の歴史をつかさどっておられます。聖書に記された出来事を見れば、善と悪をはっきり分けられて、罪を犯せば死へ向かい、義を行なえば永遠のいのちへ至るようになさいました。神を信じる人は祝福してともにおられますが、そうでない人は滅びの道に向かいます。
ノアの時代にあった洪水やアブラハムの時代のソドムとゴモラなど、罪と悪が満ちた時にはさばきがそのまま臨みました。イスラエルの民をエジプトから連れ出すために、神がエジプトの王パロに十の災いを下されたのも、それに対するさばきでした。また、約二千年前、ポンペイが極度の淫乱と退廃によって堕落したとき、火山の噴火によってさばかれました。新約時代も、イエス様が偽善の律法学者とパリサイ人たちに向かって、「忌まわしいものだ。」と七回も繰り返して責められました。さばきを免れて地獄に行かないようにするためには、世にその誤りを認めさせるしかありません。


2. 罪についてのさばき

イエス様はご自分が十字架につけられて死ぬことと、弟子たちが将来患難に遭うことについて知らせてくださいました。そして、ご自分が復活、昇天した後、聖霊が来られることが弟子たちにとって益であると教えて、励まされました(ヨハネ16:7-8)。イエス様の昇天は助け主聖霊を遣わしてくださるためにどうしても必要な過程でした。
それでは、聖霊が罪について世にその誤りを認めさせるとは、どんな意味でしょうか? <ヨハネ16:9>に「罪についてというのは、彼らがわたしを信じないからです。」とあるように、イエス・キリストを信じないことが罪であり、このような人は結局さばかれるということです。
それでは、なぜイエス・キリストを信じないことが罪になるのでしょうか? 愛なる神はひとり子イエス様をこの地上に遣わして、アダムの不従順ゆえに罪人になった人類のために、救いの道を開いてくださいました。イエス様は十字架につけられて死なれたので、人類のすべての罪を贖い、救いの門を開いて唯一の救い主になられました。このようなことを知りながらも信じないならば、そのこと自体が罪になります。また、イエス・キリストを救い主として受け入れない人は、罪が赦されなかったので、そのまま罪人であるしかありません。
被造物によってその中に神の永遠の力と神性があることがはっきりと認められるので、誰も「私は神様を知らなかったので、信じられませんでした」と弁解する余地はないのです(ローマ1:20)。しかも神は、今日は神の人々を用いて、しるしと不思議でご自身が生きておられることを現されています。また、誰でも一回ぐらい何かの機会に伝道された経験があるでしょう。それでも心がかたくなで神を信じないなら、結局、滅びの道に向かうしかありません。これを「罪についてのさばき」と言うのです。


3. 義についてのさばき

イエス様は人間の罪の問題を解決しようとこの地上に来られて、神の摂理のうちに十字架を負って死なれました。しかし、原罪も自分で犯した罪もなく、正しく生きられたので、死の力を打ち砕いてよみがえり、天に昇られました。
<ヨハネ16:10>に「義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなるからです。」とあります。これには深い意味が含まれています。イエス様は全く罪がないので、死につながれていないでよみがえり、この地上に来られた目的を達成されました。そして、復活の初穂として、天国を受けるために神のもとに行かれました。このことを「義」だと言われます。
このようなイエス・キリストを救い主として受け入れれば、賜物として聖霊を受け、神の子どもとされる特権を得ます。それで、敵である悪魔の子どもから、聖なる神の子どもに新しく生まれるのです。これがまさに信仰によって義と認められて、救われることです。このように、私たちはただ信仰によって価なしに救われたので、いつも神に感謝して正しく生きなければなりません。罪と血を流すまで戦って捨て、主の心に似せられてこそ、神のかたちを取り戻すことができます。
もし私たちが正しく生きられなければ、世の人々さえあざけります。「教会に通っていると言いながら、酒を飲んでタバコを吸っているのか? 罪ばかり犯しながらクリスチャンだなんて!」と彼らの立場からさばくのです。このように、神を信じる人として聖霊は受けたけれど、正しく生きられなくて罪に定められることを「義についてのさばき」と言います。
このような場合、神はご自身の子どもが罪を犯し続けないように、聖霊を通して責め、懲らしめられます。自分や家庭、職場、事業の場にいろいろな問題が起こることを許される理由が、まさに正しい人として生きるようにさせるためなのです。また、敵である悪魔・サタンが訴えるので、神が試練や患難が起こることを許されるしかありません。
イエス様の時代の律法学者とパリサイ人は、律法をよく知って守ったので、自分は正しく生きていると自負していました。ところが、イエス様は私たちの義が彼らの義にまさるものでないなら、決して天国に入れないと言っておられます(マタイ5:20)。なぜなら「主よ。主よ。」と言う者がみな天の御国に入るのではないからです(マタイ7:21)。心から主を信じて罪を捨て、義と認められる時でこそ、天国を相続することができるのです。


4. さばきを免れるには

<ヨハネ16:11>に「さばきについてとは、この世を支配する者がさばかれたからです。」とあります。ここで「この世を支配する者」とは、敵である悪魔・サタンのことを言います。イエス様は人類の罪のためにこの地上に来て義を実現し、最後のさばきを残しておかれました。ところが、すでにさばかれたと言えるのは、ただイエス・キリストを信じることによって罪が赦されて救われるからです。
イエス・キリストを信じない人々は結局、地獄に行くので、すでにさばかれていることに違いありません。それで、<ヨハネ3:18-19>に「御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。そのさばきというのは、こうである。光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行ないが悪かったからである。」とあるのです。
それでは、私たちはさばきを免れるために、どうしなければならないでしょうか? 神は目を覚まして正しい生活を送り、罪をやめなさいと言われ(第一コリント15:34)、悪はどんな悪でも避けなさいと言われました(第一テサロニケ5:22)。神が正しいと見られることを行なう人になるには、うわべに現れた罪はもちろん、いくら隠れた小さい悪でも捨てなければなりません。
私たちが悪を憎み、善に親しもうと決心すれば、すべてが捨てられます。時々「一つでもなかなか捨てられないのに、どうやって全部捨てられるのでしょうか?」と反問する人がいます。しかし、木の根を一本ずつ抜こうとすれば難しいですが、太い根を抜けば、細い根はひとりでについて抜けます。このように、最も捨てにくい罪を重点的に捨てるために、時によって断食しながら火のように祈れば、聖霊に助けられて他の罪の性質も一緒に捨てられます。
神は私たちが聖なる完全な人になることを願っておられます。私たちの力だけではできないので、イエス様が十字架を負われたのであり、聖霊が助けてくださるのです。イエス・キリストを受け入れて「主よ。主よ。」と言うからといって、みな天国に入るのではありません。聖霊に助けられ、罪を捨てて義と認められて生きてこそ、さばきを免れて天国に入れるのです。
<伝道者12:13-14>に「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。」とあります。人間にとってすべてを行なう聖徒になって、さばきの時に救われるだけでなく、天国で太陽のように輝く栄光にとどまりますように。


* まとめと適用

1. <ヨハネ16:8>をみんなで覚えてみましょう。

2. 聖霊が罪と義とさばきについて、世にその誤りを認めさせる理由は何でしょうか?

3. ( )の中に適切な言葉を入れてください。
聖霊は(     )ことは罪だと知らせて、世にその誤りを認めさせます。また、イエス・キリストを信じて聖霊を受けたけれど、( )なければ、罪に定められます。


* 今週の課題
「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」という聖句はどこにあるでしょうか?


* 「用語」を知って力にしましょう!
「助け主」とは?
イエス様が復活、昇天された後、神が聖徒たちに賜物として下さる聖霊のことを指す。人の心のうちにおられて、真理に導かれる聖霊の働きを表す言葉(ヨハネ14:16,26、15:26、16:7)。「助け主」と訳されたギリシャ語「パラクレートス」は「そばにいて助けてくれる者」という意味で、「弁護者、助力者、慰め主、相談者、友だち」という意味である。

 
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