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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第17課 「万軍の主は仰せられる」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2009-04-24


読むみことば: マラキ4:1-3
覚えるみことば: マラキ4:2
参考にするみことば: 第一テモテ6:3


教育目標

いやされて答えられる方法を具体的に説明し、神を恐れる義人になるべきことを知る。

神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれます(伝道者12:14)。これは、人類の歴史を調べてみても確かにわかります。高ぶる人は自分の利益を求め、相手を無視して悪を積み、富と権勢を楽しむようでも、結局は破滅してしまいます。一方、神を恐れるへりくだった人は愚かに見えて、困難にあうようですが、結局は祝福されて、すべての人から尊重されます。


1. すべて高ぶる者、すべて悪を行なう者は、わらとなる

<マラキ4:1>に「その日が来る。かまどのように燃えながら。その日、すべて高ぶる者、すべて悪を行なう者は、わらとなる。――万軍の主は仰せられる。」とあります。自分の知恵と知識と能力を良いことに使うのか、悪いことに使うのかによって、その結果が非常に違ってきます。
たとえば、ダビデ王は神のみこころに従って国を富んで強い国にし、民が平安であることが何かを考えながら、へりくだって求めたので、神に祝福されました。一方、サウル王は欲に満ちて、神に油そそがれたダビデを殺そうと、長い歳月を無駄に費やしました。高ぶりが極まると、預言者の指摘も無視して、結局、神から捨てられて、戦場でみじめに死にました。したがって、万軍の主、神が高ぶる人をどのようにさばかれるかよく悟って、高ぶりを徹底的に捨てなければなりません。
<ヤコブ4:6>に「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」とあるように、高ぶりを捨ててへりくだる人になれば、神が喜ばれて答えてくださいます。神がどれほど高ぶりを忌みきらわれるか、心おごる者は罰を免れないと書いてあります(箴言16:5)。才能、家柄、地位などを誇るなど、心がおごるだけで高ぶりになるので、罰を免れないのです。

1) ヒゼキヤ王の高ぶり
南王国ユダの13代王ヒゼキヤは神を愛して、そのみこころに聞き従いましたが、高ぶるようになって、神のみこころに逆らうようになります。初めは異教の高き所を取り除き、柱を砕き、アシェラ像を打ちこわすなど、神の忌みきらわれる偶像を徹底的に排撃しました(第二歴代29:3-30:27)。しかし、先代王アハズが不信の罪を犯したために、政治的な困難に陥り、外国から圧力をかけられると、神に頼らないで隣の国、エジプト、ペリシテ、シドン、モアブ、アモンなどと同盟を結びます。預言者イザヤは主に反逆することだと数回責めますが(イザヤ30:1-17、31:1、3)、高ぶっていたヒゼキヤ王はその言葉を無視してしまいます。
それで、アッシリヤの王セナケリブに侵略されて、20万人が捕虜に捕えられて行ったうえ、莫大な賠償金を要求されると、ヒゼキヤは手をつけてはいけない聖殿の器具と王宮の装飾品と国家の宝庫を取ることまでします。セナケリブが莫大な賠償金をもらっても脅迫し続けると、ヒゼキヤは結局、人間の計算や考えではどうしようもないことを悟って、神の御前にたましいを砕いて罪を告白し、祈りました。その結果、神は彼をあわれんで、アッシリヤを退けてくださいます。
家庭、職場、事業の場、隣人、兄弟の間も同じです。高ぶる人は愛されないだけでなく、困ったことがあっても助けられません。

2) 神を信じている人の高ぶり
高ぶる人は自分が正しいと思うので、他人の指摘を受け入れません。また、みことばどおり行なわないことも、神を無視することなので、高ぶりです。ダビデが神の命令を破って罪を犯したとき、神は「あなたがわたしをさげすんだ」(第二サムエル12:10)と言われて、厳しく叱責されました。したがって、祈らないこと、愛さないこと、聞き従わないこと、自分の中にある梁は見えなくて相手のちりを指摘すること、さばいて罪に定め、相手を無視することなども、みな高ぶりです。高ぶると仕えられて高められようとして、自分の利益と名誉のために悪を積み上げます。
このような高ぶりを悔い改めて、へりくだった人になってこそ、栄えて幸せな人生が送れます。それで、イエス様が「あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、はいれません。」(マタイ18:3)と言われたのです。

3) にせ預言者たちの高ぶり
<第一列王記22章>を見ると、北イスラエルの7代王であるアハブが、ユダの王ヨシャパテにラモテ・ギルアデをアラムの王の手から取り戻そうと提案します。この時、神を愛するヨシャパテは、まず預言者に神のみこころを伺ってみようと言いますが、アハブはへつらうにせ預言者を約四百人召し集めます。彼らは一様にイスラエルの勝利を預言しましたが、まことの預言者ミカヤだけはアハブ王に災いが下ると言います。ついにミカヤの預言を無視してアラムと戦争をしましたが、戦争は引分けに終わって、窮地に追い込まれて兵士に変装したアハブ王は偶然に飛んできた矢に当たって死にます。これはにせ預言者たちの預言を聞いた結果です。このようなにせ預言者やにせ教師はさばかれて、地獄の火の池より七倍もさらに熱い硫黄の池に投げ込まれます(黙示録21:8)。
神が共におられるまことの預言者はその心が神のみこころにかなっているので、正しい預言ができます。しかし、偽善の預言者たちは自分の思いを預言のように言い、国を亡ぼしたり、誤った道に導いたりします。家庭でも、国家でも、教会でも、良い真実な人の言葉を聞けば平和ですが、悪い人の道に従えば、必ず苦しみと滅びにあうようになります。


2. 高慢で悪を行なう人が受けるさばき

<第一テモテ6:3-4>に「違ったことを教え、私たちの主イエス・キリストの健全なことばと敬虔にかなう教えとに同意しない人がいるなら、その人は高慢になっており」とあります。神は完全で善であられるので、そのみことばの中にはすべての善が入っていて、違ったことを教えることがありません。ところが、高慢な人は知らずに違ったことを教え、自分が優れていると主張するだけでなく、言い争いとねたみ、争いなどが起こります。このように高ぶっていると、知性が腐ってしまい、神が嫌われる肉の行ないをするようになります。したがって、高慢な人が悔い改めて立ち返らなければ、神に捨てられてさばかれます。いくら「主よ、主よ」と呼んで、神を信じていると言っても、高ぶりを捨てないで悪を行なう人は、さばきの日に殻のように地獄の火に投げ込まれます。


3. 高ぶりを打ち砕いて、悪を捨ててこそ祝福

本当に神を信じる人は、高ぶりを打ち砕いて悪を捨て、神を恐れる義人になるのです。<箴言8:13>に「主を恐れることは悪を憎むことである。わたしは高ぶりと、おごりと、悪の道と、ねじれたことばを憎む。」とあります。悪を憎んで、悪はどんな悪でも避ければ、神が正しいと見られることを行なう人になります。
神はこのような人を愛され、救いと答え、祝福を下さいます。<マラキ4:2-3>に「わたしの名を恐れるあなたがたには、義の太陽が上り、その翼には、癒しがある。あなたがたは外に出て、牛舎の子牛のようにはね回る。」とあります。神を恐れてその命令を守り、人としてすべきことを行なう人には、「富と誉れといのち」(箴言22:4)を下さり、祝福してくださるので、牛舎の子牛のように喜んではね回るのです。
<出エジプト15:26>に「もし、あなたがあなたの神、主の声に確かに聞き従い、主が正しいと見られることを行ない、またその命令に耳を傾け、そのおきてをことごとく守るなら、わたしはエジプトに下したような病気を何一つあなたの上に下さない。わたしは主、あなたをいやす者である。」とあります。本当に神を恐れる人はどんな病気もいやされて健康に生き、天国でとこしえに栄光を受けます。
したがって、自分を振り返って高ぶりと悪の姿があるならば、悔い改めて立ち返り、へりくだって仕え、神を恐れる義人にならなければなりません。


* まとめと適用

1. <マラキ4:2>をみんなで覚えてみましょう。

2. (     )の中に人名を入れてください。
北イスラエルの7代王(     )は、南ユダの王(     )とともにラモテ・ギルアデを取り戻そうとした。しかし(     )の預言を無視してアラムと戦争をして、偶然に飛んできた矢に当たって死んだ。

3. 私たちによくある高ぶりの姿にはどんなものがあるか、分かち合ってみましょう。


* 今週の課題
「その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。」というみことばはどこにあるでしょうか?


* 「用語」を知って力にしましょう!
「炉」と「わら」
「炉」とは、聖書では「神の訓練やさばき、地獄」などを象徴する言葉として使われている。ダニエルの三人の友だち、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴは、王が造った金の像を拝まなかったので、火の燃える炉に投げ込まれたが、神に助けられて死ななかった(ダニエル3章)。信仰の試みを通った三人は天国の新しいエルサレムに入った。
「わら」とは、聖書では「非常につまらないもの」という意味で使われていることがある。<第一コリント3:12-13>に「もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現われ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。」とある。この「わら」とは、火に焼けて残らないので、救われない信仰という意味である。

 
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