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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第14課 「地の面から消し去ろう」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2009-04-03


読むみことば: 創世記6:5-9
覚えるみことば: 創世記6:9 l
参考にするみことば: マタイ12:35、伝道者12:14


教育目標

愛の神がノアの時代に、洪水のさばきによって人を地の面から消し去られた理由を悟って、さばきを免れる。

聖書には、ノアの時代に、神が地上に人を造ったことを悔やみ、水でさばいて地の面から消し去ろうと仰せられています。人を創造してご自身ともに歩み、限りない愛を施された神が、なぜこのように恐ろしいさばきをなさるしかなかったのでしょうか? 今から神のさばきが臨む理由と、どのようにすればさばきを免れて祝福されるのか調べてみます。


1. 良い人と悪い人の違い

人に対してみれば、良い人だなあとか悪い人だなあと感じられる人がいます。おおまかに言って、良い環境で育った人は性分が穏やかで良い反面、不遇な環境で真理に逆らうものをたくさん見て学んだ人は悪を行なうことが多いです。もちろん、環境が良くても過ちを犯す人もいるし、反対に、劣悪な環境を克服して正しく生きる人もいます。
さて、良い環境で立派な教えを受けて、また自分も努力して、善良に成長した人がどれほどいるでしょうか? 例として、イエス様をみごもったおとめマリヤの夫ヨセフが挙げられます。彼は自分のいいなずけであるマリヤといっしょになることがなかったのに、マリヤがみごもったことがわかりました。当時の律法によれば、姦淫した人は石で打ち殺されなければなりません。しかし、彼は彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めました。後でマリヤが聖霊によってイエス様を宿したことがわかりましたが、ヨセフは心がまことに良かったので、このようなことができたのです。
一方、悪い人の例としては、アブシャロムが挙げられます。ダビデの息子アブシャロムは、腹違いの兄アムノンが自分の妹を犯すと、復讐しようと心を固めます。結局、機会をねらってアムノンを殺した後、父ダビデにまで恨みをいだいて反逆を起こすなど、大きい悪を行ない、結局、悲惨な最期を迎えます。
このように悪い人はその心にある悪を行なうので、結局さばかれます。それで、<マタイ12:35>に「良い人は、良い倉から良い物を取り出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を取り出すものです。」とあるのです。


2. 愛の神がさばかれる理由

<創世記6:5-8>を見ると、ノアの時代に洪水のさばきが臨んだ理由がわかります。これは今日も同じです。

第一に、世に罪と悪が満ちているからです。
聖書や世界史を見てもわかるように、時代を問わず罪と悪が満ちて、ある限界を超えれば、神のおごそかなさばきが臨みました。それでは、罪と悪が世に満ちたとは、どんなことを言うのでしょうか?
まず、国家的に悪を積んだ場合です。国のリーダーと民が同調して罪と悪を積んだケースとして、ナチのヒットラーが行なった600万人のユダヤ人大虐殺があります。彼は自ら命を絶つという悲惨な最期を迎え、ドイツは敗戦国になって東西に分裂してしまい、その当時の戦犯たちは隠れて生きたり、死刑になったりしました。
ノアの時代も同じです。この地上に人間耕作が始まってからいくらも経たなかったのに、人々は偶像を拝み、罪で満ちていたので、神は悔やんでこの世を水でさばかれます。ところが、神は人だけでなく、動物まで滅ぼされます。それは、動物が人の堕落と深い関連があるからです。人々は動物の形をまねた偶像を作って飾り、拝みました。創造主の神だけ拝んでほめたたえなければならない人が、被造物である動物を偶像化したのです。ですから、神は動物まで滅ぼして、人が作った偶像がどれほどむなしくて、動物も単なる被造物にすぎないことがわかるようになさいました。
このように神が洪水で世をさばかれたことには、公義とともに愛が込められていることを悟らなければなりません。人の本分から離れて、獣にすぎなくなってしまった人々に対して、さばきを延ばすとしても、それが愛ではないからです。公義の法則に従ってさばいた後、新たに人間耕作を始めることが人間耕作の観点から見ると愛でした。したがって、洪水のさばきは単に罪を罰する公義のさばきを超えて、人間耕作の終わりまでを考えに入れた神の愛であることを知らなければなりません。
次に、個人的なケースがあります。神を信じようが信じまいが、悪を積んだとき、必ず行なったとおり報いられます。自分の悪のために命が短くなったり、そうでないとしても、罪の重さによって悲惨な晩年を送るようになります。
今日は、国家的にも個人的にも罪がはびこっています。人はまことの神である神を信じようとしないで、自分ばかり主張しています。むなしい偶像の神を求めたり、神より他のものを好みます。同棲は普通のことで、同性愛者の結婚まで合法化しようとしています。それだけでなく、麻薬、争い、敵意、憎しみ、不正、腐敗が満ちています。このような現実を、傷もしみもない神がどうしてただ見ておられるでしょうか? 人が罪と悪に満ちて、獣にすぎないら、さばかれるしかありません。

第二に、人の心と思いが悪いからです。
神は世に罪と悪が満ちているだけでなく、人の思いが悪いことを嘆いてさばかれます。人の心がかたくななら、思うことも悪いのです。すべてにおいて自分の利益を求めてむさぼり、富を積むために手段を選ばないで、いつも悪いことを考えています。神を信じるといっても、みことばを頭に知識として積むだけで行なわない人は、自分の利益を求めるので、すべてにおいて思うことが悪くなるしかありません。
イエス様がこの地上に来られたとき、心が良い羊飼いや女預言者のアンナとシメオンのような人々は、幼子イエスを見てわかりました。しかし、律法をよく守り行なって教えるという律法学者やパリサイ人たちは、かえってイエス様がわかりませんでした。彼らは心を変えないで、外側だけ聖なる振りをしたので、かたくなで神のみこころを悟ることができませんでした。
今日も人の心がどれほど悪くなったのか、神を信じようとしないで、信じていると言いながらも不法と不正を行なって、みこころのとおり生きようとしません。ですから、神のさばきが近づいてきたことが感じられます。

第三に、人の心に計ることがみな、いつも悪いからです。
人の思いが悪ければ、その心に計ることも悪くて、結局、悪を行なうようになります。すでに心に計ったので、行ないとして出てくるのです。たとえば、国を正しく導かなければならないリーダー格の人がわいろを贈ったり、受け取ったり、秘密資金を作り、土地の投資などに熱を上げたりするのが見られます。また、殺人、強盗、放火、暴行など、人の道にはずれることが横行しています。
このように自分の利益を求めることに汲々とすると、すべての行ないと計ることが悪くなるしかありません。物質文明が発達するにつれて、享楽と退廃文化に染まっていたノアの時代のように、罪と悪が満ちた世の中になったのです。


3. 神のさばきを免れようとするなら

<創世記6:9>に「ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。」とあります。ノアは罪と悪が満ちていた世であっても、染まらないで、神への心を堅く守って、真理の中を歩みました。いつもみことばに聞き従い、先祖の教えに従って神を愛し、恐れました。このようなノアだったので、世を水で消し去るさばきからも守られました。
今日も、世に罪と悪が多くて、心と思いが悪くて、心に計ることが悪い人はイエス・キリストを救い主として受け入れないで、神を信じようとしません。しかし、心が良い人は、誰かに伝道されればイエス・キリストを受け入れて、神のみこころのとおり生きていきます。
誰でもイエス・キリストを受け入れれば、天国のいのちの書に名が記されて、神の子どもとされる特権と祝福が与えられ、美しい天国で永遠のいのちと祝福が受けられます。しかし、自分の罪を悔い改めないで、イエス・キリストを受け入れなくて、神を信じなければ、神のさばきを免れることができません。地獄で永遠に苦しまなければなりません。神は善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからです(伝道者12:14)。
神のさばきを免れるには、あらゆる堕落と罪と悪で満ちたこの世と調子を合わせてはいけません。心の一新によって自分を変えなければなりません(ローマ12:2)。終わりが近づいてきたことを知って、罪と血を流すまで戦い、悪はどんな悪でも避けて、神の願われる正しい人にならなければなりません。神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知って、神のみこころのとおり生きていかなければならないのです。このように良いことだけ思って、真理のとおり行なえば、たましいに幸いを得ていることはもちろん、この世ですべてが栄える祝福を受けて、天国でも永遠のいのちと報いが与えられます。


* まとめと適用

1. 神が地上に人を造ったことを悔やんで、水でさばかれた理由は何でしょうか?

2. <創世記6:9>をみんなで覚えてみましょう。

3. 神のさばきを免れる方法を話し合ってみましょう。


* 今週の課題
復活の望みがある人はどんな生き方に変えられるでしょうか? 考えてきましょう。


* 「用語」を知って力にしましょう!
「神のみこころで、何が良いことであるのか」
  真理である神のことばのことで、神のみこころと御思いそのものを意味する。神はことばそのものであられるので、神のみこころに従って記された聖書を読めば、神のみこころで何が良いことなのかがわかる。
「神のみこころで、何が受け入れられることなのか」
  神のことばを心に信じて守り行なうことすべてを言う。まことの信仰を持つことが、神に喜ばれて受け入れられることである(ヘブル11:6)。
「神のみこころで、何が完全であるのか」
  神のみこころで何が良いことなのかを知って、受け入れられる行ないがあるとしても、それが一時的であれば完全であると言えない(マタイ5:48)。神に完全であると認められるには、その良い心と行ないがいつまでも変わってはならない。

 
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