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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第11課 「主に推薦される人」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2009-03-13


読むみことば: 第二コリント10:18
覚えるみことば: ガラテヤ5:24
参考にするみことば: マルコ14:9、ルカ21:3


教育目標

神の子どもとして当然すべきことをし、自分の肉をさまざまの情欲や欲望とともに十字架につけてしまって、主に推薦される人になる。

私たちがどんな仕事をしていようが、その分野で優れた人になれば、推薦されます。しかし、推薦されるとしても、一般の人が推薦するのとその分野の専門家が推薦するのとでは、大いに違います。まして王の王、主の主であられる主が正しいと認めて、主に推薦される人になったら、その喜びは何にも比べられないでしょう。


1. 主に推薦される人

神は心が正しくてキリストの香りを放つ人をほめられます。聖書を見れば、イエス様がほめられることはきわめて珍しかったでのす。たまにほめられる時は、直接表現されるより「どの人よりもたくさん投げ入れました。」「この人の記念となるでしょう。」などの表現を借りてほめられました(マルコ12:43、14:9)。それは、主にあって正しいと認められる人々を知らせて、その行ないにならうようになさるためです。このように、主に推薦される人は当然、神が関心を持って、祝福されます。
私たちが主に推薦される人になるには、何より当然するべきことをしなければなりません。それでは、私たちが神に属する人としてするべきこととは何か、具体的に調べてみましょう。


2. 神に受け入れられようとするなら

1) 神の御前に熱心に祭壇を築かなければなりません
神を見つけた人々は神と交わるために祭壇を築かなければなりません。聖書には、アブラハムやヤコブなどの神の人々が神の御前に心を込めて祭壇を築いたことが記されています(創世記12:7-8,13:4,18,28:18)。
「神の御前に祭壇を築く」とは、今日では神の聖殿に出てきて礼拝をささげることです。また、感謝する心で心を込めてささげ物をして、みことばを聞いて糧とすることを言います。みことばを聞いたなら、聞くことで終わるのではなく、心に糧として守り行なわなければなりません。このように霊とまことによって礼拝をささげてこそ、神に喜ばれて祝福された人生に導かれるのです。

2) 神の願われる祈りをしなければなりません
祈りは霊の呼吸であり、神との対話なので、祈りが大切であることが聖書のあちこちに書かれています。もちろん、私たちがいちいち言わなくても神はすべてをご存じです。それでも子どもたちと対話して、愛を分かち合うことを願われるので、<マタイ7:7>で「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」と約束されました。
私たちがたましいに幸いを得て、天国に行こうとするなら、祈らなければなりません。祈ることによって神の恵みと力が臨み、聖霊に満されます。それでこそ真理に逆らうものと肉の思いを捨てて、神のみことばである真理で満たすことができます。また、祈ってこそ真理の人、御霊の人になって、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祝福されます。
したがって、私たちは絶えず祈り、イエス様のようにひざまずいて、心を尽くして神を呼び求めて祈らなければなりません。同じ言葉をただ繰り返す祈りは受けられないので、信仰と愛をもって心から祈るとき、神は喜んで受けられ、答えをもって祝福されます。

3) 答えられる信仰を持たなければなりません
<マタイ8章>で、ローマ軍のある百人隊長がイエス様のもとに来て、中風で苦しんでいるしもべを直してくださいと懇願します。イエス様がご自身で行っていやしてあげようとされると、彼は「主よ。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、私のしもべは直りますから。」と信仰の告白をします。
イエス様はこの百人隊長の信仰とへりくだった心を尊く思われ、「イスラエルのうちのだれにも、このような信仰を見たことがありません。」とほめられました。ところが、このような霊の信仰は、慕い求めるからといって、簡単に得られるのではありません。心に善を耕して、みことばどおり行なうほど、神が下さるものです。百人隊長は心が良かったので、イエス様について見て聞いて、そのとおり信じました。このように少しも疑わないで信じて行なう人は誰でも、神がほめられて、信仰のとおり働いてくださいます。

4) 神の御前にへりくだった者にならなければなりません
<マルコ7章>で、スロ・フェニキヤの女はイエス様に汚れた霊につかれた小さい娘を直してくださいと願い続けました。その時、イエス様は女に「まず子どもたちに満腹させなければなりません。子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです。」と言われました。彼女は自分を小犬扱いするイエス様に腹を立てたり、わだかまりを持たなかったのです。かえって「主よ。そのとおりです。でも、食卓の下の小犬でも、子どもたちのパンくずをいただきます。」と言って、自分を低くしました。結局、イエス様はその信仰とへりくだった心に感動して、娘から悪霊を追い出してくださいました。このように、神の御前にへりくだった心をもって求める人にならなければなりません。

5) 信仰によって蒔かなければなりません
信仰によって蒔くことも正しいことであり、神がほめられます。もし豊かになりたいと願うなら、「蒔いたとおりに刈り取る」という法則に従って蒔けばよいのです。十分の一献金と感謝のささげ物が特にそうです。自然の法則を見ても、蒔いたとおりに刈り取るのです(第二コリント9:6)。
私たちが神の御前にささげる献金は魂を救って、聖殿を建て、宣教と施しに使われます。それで、献金によって神への愛が表現できます。。献金は神の国と義を実現することに使われるので、神は喜んで受けて、三十倍、六十倍、百倍に報いてくださいます。したがって、献金をするとき、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、信仰と愛をもって喜んで蒔かなければなりません。

6) すべてのことに神を信じて頼らなければなりません
ダビデはすべてのことにおいて神に頼ったので、神が彼の道をご自身で導かれました。ですから、さまざまな困難を避けることができたのです。このように、神はすべてのことにご自分を信じて頼る子どもをさらに愛されます。ところが、神を父と呼びながらも、世や自分の知識に頼ったら、神が助けることがおできになりません。私たちが真理の中にとどまるほど、神に頼って、主に推薦されます。ある事を行なうとき、神に求めて耐えて待ち、答えられる知恵を会得して、神だけに導かれなければなりません。

7) みことばに聞き従わなければなりません
神が私たちに「安息日を聖なる日とせよ」と言われたので、主日になれば教会に来て礼拝をささげ、聖徒と交わって一日を過ごすのです。また、「いつも喜んでいなさい、すべてのことについて感謝しなさい」と言われたので、どんなことにあっても喜んでいて、感謝しなければなりません。このようにみことばを心に刻んで従えば、神がともにおられる祝福を受けます。
ところで、神がある事を命じられるとき、信仰の量りに応じて導いていかれます。信仰が少ない人に何が何でも従いなさいと無理に命じられません。まず小さいことに聞き従って、神のみわざを体験するようにされ、より大きい霊の信仰を下さるのです。それで、次はそれより大きいことを命じられても、聞き従えるのです。


3.情欲や欲望を十字架につけてしまわなければなりません

私たちが肉的な情欲や欲望を十字架につければ、神は義と認めてほめられます。<ガラテヤ5:24>に「キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。」とあるように、御霊の人になろうとすれば、情欲や欲望は完全に絶ち切らなければなりません。
ダビデも目の欲があったので、部下の妻と姦淫した後、部下を死ぬようにしたので、ひどい訓練を受けました。アカンは欲があったので、外套と銀金を盗んで、家族が抹殺され、イスラエルはアイの戦いで敗北してしまいます。
一方、アサ王は情欲や欲望をきっぱり絶って、神に喜ばれました。たとえ母親とはいえ、偶像を拝むと、これ以上人々が罪に堕ちないように、太后の位から退けたのです。このように、神のみこころのとおり行なおうとするなら、情欲や欲望を絶ち切って、世と妥協しない信仰を持ってこそ、自分が守れるのです。神の子どもとしてするべきことをし、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに十字架につけてしまってこそ、主に推薦される人になれるのです。


* まとめと適用

1. 祈りが答えられたことがありますか? 互いに話し合ってみましょう。

2. スロ・フェニキヤの女がどのように行なったとき、イエス様にほめられましたか?

3. おとなや上司に指摘されたり責められたりしたとき、どう反応したでしょうか?

4. <ガラテヤ5:24>を一緒に覚えてみましょう。


* 今週の課題
神から祝福されるには、どのような心の器を備えなければならないでしょうか?


* 「用語」を知って力にしましょう!
「あふれる祝福」と「三十倍、六十倍、百倍の祝福」
私たちが神を信じて、みことばどおり行なうほど、神から祝福される。罪と悪をすべて捨てる前も、信仰で蒔いて求める時は、押しつけ、揺すりいれ、あふれる祝福、すなわち、二倍以上の祝福を受ける(ルカ6:38)。しかし、罪と血を流すまで戦って捨て、悪はどんな悪でも避けて、聖められて御霊の歩みに入った後は三十倍以上、さらに全く聖なるものとされたなら、六十倍、百倍の祝福が受けられる。

 
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