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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第10課 「キリストに服従させなさい」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2009-03-06


読むみことば: 第二コリント10:3-6
覚えるみことば: 第二コリント10:5
参考にするみことば: ローマ8:7


教育目標

神に対して反抗する肉の思いを捨て、すべてのはかりごとをとりこにしてキリストに服従させて神の義を実現する。

イエス・キリストを受け入れて、霊の信仰を持った義人になれば、神の驚くべき祝福を受けます。神の働きを大いに果たして栄光をささげるだけでなく、何でも求めるとおり答えられ、すべてに栄える生き方になります。ところが、熱心に祈って忠実に働いているとのに、祝福されなくて、試練や患難、病気と苦しみの中で生きていく人もいます。信仰があるなら、当然神のことばのとおり生きなければならなくて、祝福されるはずなのに、そうでない理由はまさに肉の思いがあるからです。


1. 神に対して反抗する肉の思いは打ち砕かなければならない

「肉」とは、真理が抜けて行ってしまった人のからだと罪の性質が結びついたもので、まだ行ないとして現さなかったけれど、心の中にある真理に逆らうもののことを言います。この心にある真理に逆らうものが思いを通して出てくるものが「肉の思い」です。<ローマ8:6-7>に「肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。」とあります。
それでは、「肉の思い」とは具体的に何でしょうか? 思いには、神の律法である真理のとおり行なうようにする「御霊による思い」と、そうできないようにする「肉の思い」があります(ローマ8:6)。この二つはコインの両面のようで、真理と真理に逆らうもののうち、どちらを選択するかによって、「御霊による思い」をすることもでき、「肉の思い」をすることもできます。たとえば、憎らしい人を見るとき、ただ感情にまかせて憎む「肉の思い」があるかと思えば、神が「敵をも愛しなさい」と言われたので、憎まないで愛さなければという「御霊による思い」があるのです。
肉の思いは死であり、神に対して反抗するものですから、信仰の成長を妨げて、神に敵対します。もし肉の思いに従えば、神から遠ざかって、世に落ちて試練や患難にあいます。この世を生きていきながら見て聞いて学んだことのうち、神のみこころに逆らって信仰生活を妨げる思いなら、肉の思いであることを悟らなければなりません。
肉の思いの代表的なものが自分の義です。「自分の義」とは、簡単に言えば、自分が正しいと主張することです。人は生まれてから両親、先生、友だちなど、いろいろな人を通して多くのことを聞いて学びます。しかし、この世の中に義人はひとりもいないので(ローマ3:10)、いくら立派な両親や先生から学んだとしても、真理のとおりだけ学ぶのはやさしくありません。むしろ神のみこころに背く、真理に逆らうことを多く学びます。
神は善そのものであられるので、人の思いと神の思いは異なります。人の義と神の義には大きい差があります。たとえば、神は善をもって悪に打ち勝ちなさい、一ミリオン行けと強いるような者とは、いっしょに二ミリオン行きなさい、下着を取ろうとする者には、上着もやりなさいと言われます。仕える人が偉大な者と言われ、譲って犠牲になることが結局、勝つことだと教えてくださいます。しかし、ほとんどの人々が正しいと思う義は違います。敵には復讐すべきだし、悪には最後まで抵抗して勝たなければならないと教えます。また、そのように行なう人を義人と呼びます。
<ピリピ3:7以下>で、使徒パウロが「私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、また、キリストの中にある者と認められ」と告白しています。
彼はキリキヤの首都タルソで生まれた時から、当時、世界を支配していたローマ帝国の市民権がありました。それだけでなく、ベニヤミン族の正統パリサイ人に属する彼は、当代最高の律法学者であるガマリエルのもとで厳格な教育を受けました(使徒22:3)。徹底したユダヤ教徒としてキリスト教の迫害に先立ち、ダマスコ、すなわち、今のダマスカスにいるクリスチャンまでも逮捕しようと、そこへ行く間にイエス・キリストに出会いました。この出会いを通して自分の過ちを悟り、イエス・キリストがまことの救い主であることを知りました。その後、彼は自分の知識と教養、社会的な地位を全部捨てて主に従いました。
このように、使徒パウロがイエス・キリストに出会った後、自分にとって得であったものをみな損と思うようになった理由は、イエス・キリストのうちに永遠のいのちと幸せがあり、すべての知識の初めは神だという事実を悟ったからです。世で学ぶすべての学問はこの世を生きていくのに必要な付随的なものであり、イエス・キリストを知っていることが人間の根本の問題を解決する、最もすばらしい知識であることを悟ったのです。それで、彼はあちこちに教会を建てて、福音のためにいのちをささげる、まことに価値ある生き方をしました。


2. 肉の思いによって神に聞き従わなかったサウル王

肉の思いを働かせて、神に対して反抗した代表的な人物として、サウル王が挙げられます。サウル王はイスラエルの初代王で、預言者サムエルから油そそがれて、イスラエルを治めました。彼は王になる前はへりくだった人でしたが、王になった後、次第に高ぶるようになりました。
たとえば、ペリシテ人と戦おうとしているとき、祭司長サムエルが定められた期限に来なくて、民が離れ去って行こうとすると、祭司長だけがささげられる全焼のいけにえを勝手にささげて、神のみこころに逆らってしまいました。これをサムエルが責めると、悔い改めるどころか、弁解に汲々としました。また、神が「アマレクを聖絶せよ」と言われた時も、彼は聞き従わないで、敵国の王と家畜の中で良いものは聖絶しないで連れてきました。肉の思いが入ると、神の言われたことより自分の思いを先立てたのです。
結局、サウル王は神に捨てられて、悪い霊のために苦しんだだけでなく、神が油そそいで立てられたダビデを殺そうと追い回しました。神が幾度も悔い改める機会を与えられましたが、彼は肉の思いを捨てないで、神のことばに繰り返し聞き従わず、結局、死の道に行ってしまったのです。


3. すべてのはかりごとをとりこにしてキリストに服従させようとするなら

神に対して反抗する肉の思いを捨てて、神の義を実現しようとするなら、さまざまの思弁と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち砕き、すべてのはかりごとをとりこにしてキリストに服従させならなければなりません(第二コリント10:5)。「キリストに服従させなさい」とは、決して私たちを縛ったり、苦しめようとすることではありません。それはむしろ私たちのためです。それで、イエス・キリストを救い主として受け入れて、神の驚くばかりの愛を悟った人々は、みことばに喜んで従い、神の心に似ていこうと努力します。
このように、イエス・キリストを信じて神の義を実現するためには、悪はどんな悪でも避けて(第一テサロニケ5:22)、善を心に耕さなければなりません。心に真理に逆らうものがなければ、肉の思いが出てきません。真理に逆らうものがあるほど、思いを通してサタンに操られて、悪い道へと向かうのです。
したがって、「キリストに服従する」ということは、真理に逆らうものを捨て、みことばを聞いてそのとおり行なっていくことを言います。みことばに「心を一つにして宮に集まりなさい。」とあったら、思いを働かさないで心を一つにして聖殿に集まらなければなりません。礼拝をささげながら神の定めを悟って、そのとおり従えばよいのです。
しかし、みことばを知っているからといって、すべて行なえるのではありません。祈ってこそ上から力が与えられます。祈れば聖霊に満たされて、肉の思いを制することができます。ところが、祈らなければ、肉の思いにとらわれて、引きずられるしかありません。
したがって、祈りながらみことばどおり生きようと努めなければなりません。イエス・キリストを知る前に、休もう、楽しもう、食べようと、肉の願うことに従っていたなら、どうしたら神の国と義を実現するかを考えて、熱心に行なっていかなければなりません。憎しみ、ねたみなど、みことばに背くさまざまな悪を発見して捨てながら、イエス様がなさったように敵までも愛し、自分を低くして相手に仕える人になれば、これが神の義を実現するということなのです。


* まとめと適用

1.「御霊による思い」と「肉の思い」について話し合ってみましょう。

2. <第二コリント10:5>を一緒に覚えてみましょう。

3. 神に対して反抗する肉の思いを働かせて、うまくいかなかった経験がありますか? 逆に御霊による思いをして、できないこともできて、できることはもっとできた経験があるなら、分かち合いましょう。


* 今週の課題
「主に推薦される人」とはどんな人でしょうか? <第二コリント10章>を読んで、考えてみましょう。


* 「用語」を知って力にしましょう!
「肉の思い」とは?
心の中にある真理に逆らうものがたましいの働きを通して出てくるもの、すなわち、真理に逆らうすべての思いのことを言う。

 
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