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メッセージ >
聖書の学び
Title
第9課 「義人は信仰によって生きる」
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
Date
2009-02-27
読むみことば: ローマ1:17
覚えるみことば: ローマ10:10
参考にするみことば: ルカ1:5-6
教育目標
イエス・キリストを信じて義人と呼ばれる次元を超えて、まことに神に認められる義人になるために、罪を捨てて霊の信仰を持つ。
ふつう孤児ややもめなど気の毒な隣人のために良いことをすれば、「あの人は正しい人だ」と言います。また、穏やかで優しく見えて、秩序をよく守る人、怒らないで黙って耐える人を見ると、「法がなくても生きられる人だ」と言います。
ところが、神の言われる「義人」は、世の人が言う「義人」とは違います。神は人をえこひいきしないで、心を見られる方であり、人の表と裏はいくらでも違うこともあるからです。見えるところは敬虔であっても、心にそねみとねたみがあり、自分の利益を求める心と裏切る心があるならば、どうして義人と言えるでしょうか。
1. 神に認められる義人
聖書では、主の道を歩む人(ホセア14:9)、主のすべての戒めと定めを落度なく踏み行なう人を「義人」と言います(ルカ1:5-6)。ところが、<ローマ3:10>に記されているように、人がいくら正しく生きようと思っても、生まれた時から先祖の気質を通して罪の性質を受け継いでいるので原罪があるし、生きていきながら自分で犯した罪があるので、「義人」と言えません。
しかし、神の御姿であられるイエス様が人となってこの地上に来られて、私たちの罪のために十字架を負って血を注ぎ出して死なれ、よみがえられました。このようなイエス様を救い主と信じれば、誰でも罪が赦されて「義人」と呼ばれます。また、賜物として聖霊を受けて、罪について、義について、さばきについて悟るようになるので、罪を捨てて義を行なうほど、神に認められて喜ばれる「義人」になることができます。
したがって、罪を捨てて心の義を実現することは非常に大切です。人の力だけでは罪が捨てられないので、イエス・キリストが来られる前の旧約時代は、行ないで罪を犯さなければ「罪人」と言われませんでした。しかし、行ないによる救いは完全でないので、神は新約時代にイエス様を救い主として受け入れる人に、賜物として聖霊を下さいます。このように聖霊に助けられて、主を呼び求めて祈り、罪を捨てるために血を流すまで努力すれば、神が恵みを下さって強くしてくださり、罪を完全に捨てることができます。このように罪を捨てて聖められ、おとなの信仰になるほど、神に愛されて認められる義人になり、何でも求めることはみな答えられて、神に栄光をささげるようになります。
2. なぜ義人にならなければならないか?
<ローマ6:23>に「罪から来る報酬は死」とあるように、罪人は敵である悪魔から出た者であり、滅びの道を免れません。しかし、罪から立ち返れば、敵である悪魔がもたらす試練や患難と病気から解放されます。さらに、神に認められる義人になれば、悪い者、すなわち、敵である悪魔が触れることもできないので、病気と関わりがないし、<申命記28章>に記された祝福が臨むようになります。また、「たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また、健康である」ことができるのです(第三ヨハネ2)。
したがって、みことばを聞いて、「しなさい、してはならない、避けなさい、守りなさい」と言われたすべての命令を守り行なう人にならなければなりません。オリンピックで金メダルを取るために選手が苛酷な訓練を受けるように、神に祝福される義人になるまでは訓練が伴います。神が愛する子どもたちのために、耐えることのできるほどの訓練を受けることを許されて、さらにたましいに幸いを得るように導かれるからです。
神は信仰の父アブラハムをご自身で導いて、訓練されました。生まれ故鄕、父の家を出るようになさり、「あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。」(創世記17:1)と言われて、神に認められる義人として、全き者になるまで訓練されました。結局、ひとり子イサクを神に全焼のいけにえとしてささげるようにという最後の試みを通り抜けて、訓練がみな終わった後は、すべてのことに祝福されて栄えました。
このように、神は信仰の成長のために訓練を受けることを許されて、義人になる祝福の道に導かれます。神が許された訓練を通り抜けるほど祝福を下さり、より大きい信仰に導かれるのです。このような過程を通して神のみこころを知り、主の心に似せられた全き人になれます。
私たちがどれほど罪を捨てて主の心に似せられたかによって、天国で受ける栄光が違ってきます。<第一コリント15:41>に「太陽の栄光もあり、月の栄光もあり、星の栄光もあります。個々の星によって栄光が違います。」とあるとおりです。
3. 霊の信仰を持つには
<ローマ1:17>に「義人は信仰によって生きる。」とあります。ここで言う「信仰」とは、霊の信仰のことです。信仰には「肉の信仰」と「霊の信仰」があります。
「肉の信仰」は知識的な信仰、または理性的な信仰と言えます。人間は生まれて成長しながら、両親、先生、隣人、友だちなどから学んだことを脳細胞の記憶装置に知識として入力します。それで、自分が入力した知識と一致すれば信じる信仰を「肉の信仰」と言います。
このような人は有から有の創造、すなわち、すでに存在している物から何かを作り出すことは信じられますが、無から有の創造、すなわち、何もないところから何かを作り出すことは信じられません。たとえば、イエス様が「海よ、波よ、静まりなさい!」と言われると、そのとおりになりました。また、神はろばの口を開いて物を言うようになさり、杖で葦の海を分けるようにもなさり、堅固なエリコの城壁も崩れ落ちるようになさいました。このようなことは一般の常識と全く合いません。神のことばはどんなことでもできるので、無から有を創造できます。しかし、これは世の人の知識で理解もできなくて、信じることもできません。神を信じると言いながら霊の信仰が持てない人は、このようなことが心に信じられないので、みことばのとおり行なうこともできません。したがって、肉の信仰は求めることに答えられないし、救われないので、「死んだ信仰」と言います(ヤコブ2章)。
反対に、「霊の信仰」は「生きた信仰」です。無から有の創造が信じられる信仰です。つまり、肉の思いを打ち砕いて、自分の思いと知識に合わせないので、みことばがそのとおり信じられます。それで、霊の信仰は聞き従えないことを行なう信仰、すなわち、無から有を創造する信仰であり、救いに至らせる生きた信仰です。
このような霊の信仰を持つには、どうしなければならないでしょうか? まず、熱心にみことばを聞かなければなりません。<ローマ10:17>に「信仰は聞くことから始まり」とあるので、信仰を持つためには、まずみことばを聞かなければなりません。みことばを聞かないと真理がわからないので、信仰が生じません。熱心に教会に来て、礼拝をささげてメッセージを聞き、さまざまな集まりでメッセージや証しを聞けば、信仰が生じるようになります。
しかし、真理の知識が植えつけられて、知識的な信仰が生じるからといって、罪を捨ててみことばのとおり完全に生きられるのではありません。<ヤコブ2:22>に「彼の信仰は彼の行ないとともに働いたのであり、信仰は行ないによって全うされ、」とあります。熱心に祈り、聖霊に助けられて真理に逆らうものを捨て、みことばどおり行なっていってこそ、知識的な信仰が踏み台になって、霊の信仰を持つようになるのです。
4. 義人になって信仰によって生きていく方法
アブラハムはいつも自分の思いを働かせずに、ただ神が言われたとおりに聞き従いました。どんな状況でも霊の信仰によってただ従い、進んで行ったのです。モーセはイスラエルの民をエジプトから連れ出したとき、前をふさいでいる葦の海をどのように渡ったでしょうか? モーセの後継者であるヨシュアは氾濫するヨルダン川をどのように渡って、エリコ城を落としたでしょうか? ただ神が命じられたとおり従う霊の信仰を持っていたので、神が喜ばれ、答えてくださったのです。
私たちの人生でも、前をふさぐ葦の海、落とさなければならないエリコ城、氾濫するヨルダン川などにぶつかります。このような問題がやって来たとき、正しい心で真理の中を歩むことが、すなわち、信仰によって生きていくことです。たとえば、相手が自分を殴ったとき、肉の信仰の人は同じように殴って、その人を嫌いますが、霊の信仰の人はその人を嫌わないで、愛します。このような生きた信仰、行なう信仰があるとき、敵である悪魔が退いて、問題が解決されるのです。
したがって、信仰によって生きていく義人は、神を愛してその命令を守って、真理のとおり行ないます。時々「どうやって命令をすべて守ることができるんですか?」と聞く人がいます。神を愛すれば、命令を守ることが決して難しくありません。神を愛する人ならば、どうしてみことばに聞き従わないでしょうか。神を愛することがすなわち、命令を守ることだからです。
* まとめと適用
1. □の中にふさわしい漢字を入れてください。
□□のうちには神の義が啓示されていて、その義は、□□に始まり□□に進ませるからです。「□□は□□によって生きる。」と書いてあるとおりです。
2. <ローマ10:10>をみんなで覚えてみましょう。
3. 神様が許された訓練を受けながら、どれほど心から感謝しているでしょうか?
* 今週の課題
「肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。」というみことばはどこにあるでしょうか?
* 「用語」を知って力にしましょう!
「太陽の栄光、月の栄光、星の栄光」とは?
信仰が成長して義人になるほど、天国で受ける栄光が違ってくる。「太陽の栄光」とは、悪を完全に捨てて聖められ、三天層、または新しいエルサレムに入った人の栄光のことである。「月の栄光」とは、二天層に入った人の栄光、「星の栄光」とは、一天層に入った人の栄光のことである。また、個々の星によって栄光が違う。夜空の数えきれない星がそれぞれ明るさが違うように、栄光にも違いがある。このように、人によって天国で受ける報いと栄光が違う。しかし、パラダイスに入る人は主のために行なったことがないので、報いもなく、受ける栄光もない。
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