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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第2課 「救い」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2009-01-09


読むみことば: 使徒4:12
参考にするみことば: 第一ヨハネ3:21-22
覚えるみことば: ヨハネ14:6


教育目標

聖書で言う「救い」とはどんな意味で、なぜイエス・キリストによってだけ救われるのか知る。

<ヨハネ16章>で、イエス様は助け主聖霊が来られると約束しながら「わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。」と言われます。イエス様を救い主として受け入れて、聖霊の働き、特に罪と義とさばきについて悟って、神が望まれる正しい人になってこそ、全き救いに至ることができるからです。もし自分の心に責められなければ、大胆に神の御前に出ることができ、また求めるものは何でも神からいただくことができます。


1. まことの祝福の主人公になろうとすれば

世には宗教と文化によって多くの神があって、はなはだしきは「知られない神」まであります(使徒17:23)。最近はさまざまな宗教の長所をとり混ぜて作った「新興宗教」が人々の関心を引いたり、すべての宗教に救いがあると信じる「宗教多元主義」が受け入れられたりしています。しかし、聖書は創造主の神だけがまことの神であり、イエス・キリストだけが唯一の救い主であることを証ししています(申命記4:39、ヨハネ14:6、使徒4:12)。
腕時計だけ見ても、付属品が精巧に組み合わさって動くので、正確に時間を知らせます。小さな時計一つにもそれを設計した人がいて、はっきり計画して作ったから存在するのであって、何となく生まれたものではありません。ましてこの宇宙は時計とは比べられないほど複雑で、広大で、人間の頭脳ではとうてい想像できません。そのうちの極めて一部にすぎない太陽系が一寸の誤差もなく精密に運行されるのを見れば、神の創造を信じないわけにはいきません。
人のからだも同じです。器官と細胞など、さまざまな構成要素が精巧に調和して機能しています。しかし、そのうち人間が明らかにした事実は一部にすぎません。このような人体が偶然に造られたと言えるでしょうか? それなら、天地万物を創造した神がなぜ見えないし、私たちと話ができないのでしょうか? その姿が見えて、声が聞こえたら、確かにいるとわかるのに・・・です。それはまさに、神と私たちの間に罪の隔ての壁があって、遮られているからです。
創造主の神は罪が全くなくて、完全に正しいお方なので、罪があればその方に会うことも、交わることもできません。まっ暗な所にいれば、自分の服に汚れがついていても見えませんが、まぶしいほど明るい光があれば、服についた小さいほこりまでも一つ一つよく見えます。「神様を見せてくれ! そしたら信じる。」それとも「神様! 私にちょっと姿を見せてください。私も信じたいんですが、全然その証拠がなくて信じられません」と言う人は、自分の中にある罪の問題を解決しなければなりません。
何よりもまず罪の問題を解決して、救われてこそ、まことの祝福の主人公になることができます。<箴言8:17-18>に「わたしを愛する者を、わたしは愛する。わたしを熱心に捜す者は、わたしを見つける。富と誉れとはわたしとともにあり、尊い宝物と義もわたしとともにある。」とあるように、神を愛して熱心に捜せば、不可能なことがありません。


2. 聖書に記された「救い」の意味

創世記からマラキ書までの旧約聖書39巻は、救い主であるイエス様が人となってこの地上に来られる以前の内容です。マタイの福音書からヨハネの黙示録までの新約聖書27巻は、イエス様がこの地上に来られた後の内容で、永遠の天の御国についても明らかに記しています。ここで最も大切なことは、堕落した人間がさまざまな神を崇めても、まことの祝福を与えられるまことの神は、ただ創造主の神おひとりだということです。
一般に、水に落ちた人を救い出した時、事業に失敗した人に再び立ち上がれるように道を開いた時、家庭の事情で勉強が続けにくい人を助けた時、「救われた」と言います。それでは、聖書で言う「救い」とは、どんな意味でしょうか?
人類を罪と悪から救い出すこと、すなわち、人が神が望まれる囲いの中に入って、罪の問題を解決して、天国で永遠のいのちと祝福を受けることです。これをわかりやすく表現したら、救いの入口はイエス・キリストで、救いの家は天国、すなわち、神の国と言えます。
<ヨハネ14:6>でも、イエス様ご自身が「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」と言われました。したがって、聖書で「救い」とは、イエス・キリストを通して天国に入ることを言います。
神は、世界の始まる前にイエス・キリストを通した救いの道を備えておられ、時至ると、神のひとり子が人となってこの地上に来て、救いの道を完成されました。人が原罪と自ら犯した罪によって永遠に地獄で苦しむしかない存在になったからです。人の霊とたましいはなくならないので、人が死ねば、からだから霊とたましいが分離されて出て来ます。この地上で生きているとき、イエス・キリストを信じて救われた人の霊とたましいは天国に入りますが、救われなかった人は、結局さばかれて地獄に入るしかありません。


3. イエス・キリストによる救いの摂理

<使徒4:12>に「この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」とあります。それでは私たちが救われるとき、なぜイエス・キリストの御名によってだけ救われるのでしょうか?
人類の先祖アダムとエバが、神が造ってくださったエデンの園に住んでいるうち、蛇に惑わされて善悪の知識の木の実を取って食べたので、罪が入って来ました。<ローマ5:12>に「ちょうどひとりの人によって罪が世界にはいり、罪によって死がはいり、こうして死が全人類に広がったのと同様に、――それというのも全人類が罪を犯したからです。」とあります。すなわち、アダムの不従順によって罪が世界にはいり、全人類が罪を犯したから死が全人類に広がったのです。
霊の世界の法則には「罪から来る報酬は死」というものがあって、反対にその罪を贖う法則もあります。それは、必ず誰かが代わりに罪の代価を払う時だけ可能です。つまり、すべての人類の罪を霊の世界の法則にかなう人が代わりに負ってこそ、罪の問題が解決されることができます。したがって、神に聞き従わなかった罪のため、アダムが敵である悪魔に任した権力を取り戻そうとするなら、霊の世界の法則である「土地の買い戻しの法」によって罪を贖う条件を備えなければなりません(レビ25:23-25)。
人は生まれるとき、両親から容貌と性格だけでなく、罪の性質までも受け継ぎます。たとえば、誰が教えたこともないのに、子どもが他の子をねたんで嫌うのが見られます。このような罪の性質を「原罪」と言います。それで、神はすべての人の罪を贖うために、ひとり子イエス様が人となってこの地上に来られるようにされました。両親から受け継いだ原罪があってはならないので、おとめマリヤから聖霊によって宿って生まれ、律法をすべて守り行なわれたので、自分で犯した罪がありません。また、罪を贖うためにいのちを惜しまない愛があったので、十字架刑を喜んで受けられました。
イエス様は私たちを律法の呪いから贖い出してくださるために、木の十字架にかけられて(ガラテヤ3:13)、原罪と自分で犯した罪のない尊い血を注ぎ出して、人間の罪を贖ってくださったのです。神は、罪人たちのためにひとり子も惜しまず、十字架に渡すという大きい愛を私たちに与えてくださいました。そして、イエス様は神と私たちとの間のなだめの供え物になって、ご自分のいのちまで惜しまず捨てて、私たちを愛する証拠を見せられました。
したがって、イエス・キリストを信じて救われるためには、神のみことばが宣べ伝えられる教会に行って、礼拝をささげて祈らなければなりません。神のみこころがわかってこそ、その法を守って救いの門に入り、永遠の救いの家である天国に行けるのです。


* まとめと適用

1. 聖書で言う「救い」とは、どんな意味でしょうか?

2. <使徒4:12>のみことばを一緒に覚えてみましょう。

3. 皆さんは自信を持って「私には救いの確信があります」と言えるでしょうか?


* 今週の課題
「罪と義とさばきについて」「父、子、聖霊」について考えてくる


* 「用語」を知って力にしましょう!
「土地の買い戻しの法」とは?
イスラエルの土地法は、他の国とは違って、土地を売る時に買い戻しの権利を放棄して売らないで、後で取り戻せるように、買い戻しの権利について売買契約書に明示しておいた。いつでも裕福な親類が来て、代わりに土地を買い戻すようにし、親類の中に買い戻す人がいなければ、本人が裕福になって買い戻す余裕がある時に取り戻すことができた(レビ25:23-25)。
土地の買い戻しの法は、人間の救いについての霊の世界の法則と直接関連がある。すなわち、アダムは不従順によって神から受けたすべての権力を敵である悪魔に任したが、その権力を取り戻すにふさわしい人が現れれば、悪魔はその権力を人に返さなければならない。神は土地の買い戻しの法にふさわしいイエス・キリストを備えて、救いの道を開いておかれた。

 
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