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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第41課 全家を通じて忠実だったモーセ  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2008-10-10


読むみことば: ヘブル11:23-27、出エジプト32:31-32
覚えるみことば: ヘブル11:6

教育目標

モーセの誕生と時代的な背景、そして、神の召しと訓練について調べ、全家を通じて忠実だったモーセの信仰と愛をみならう。


1. モーセの誕生と時代的な背景

イスラエルの先祖であるヤコブがカナンの地の飢謹を避けて、息子のヨセフがいるエジプトに移住したとき、ヤコブから生まれた者の総数はヨセフまでで七十人でした(出エジプト1:5)。ところが、彼らは多産だったので、エジプトでおびただしくふえ、すこぶる強くなって、エジプトの人々はイスラエルの民を恐れました。それで、ヨセフとその時代の人々もみな死んだ後、ヨセフのことを知らない新しい王はイスラエルの民を奴隷にして苦しめました。
それでもイスラエルの民が強くなると、エジプトの王はイスラエルの子孫として生まれた男の子はみなナイルに投げ込んで、殺させました。さて、レビの家のひとりの人がレビ人の娘をめとり、女はみごもって、男の子を産みましたが、そのかわいいのを見て、三か月の間その子を隠しておきました。しかし、もう隠しきれなくなったので、パピルス製のかごの中にその子を入れ、ナイルの岸の葦の茂みの中に置きました。その子の姉はその子がどうなるかを知ろうとして見ていました。
ちょうどパロの娘が水浴びをしようとナイルに降りて来て、この子を見つけました。養子として育て、ヘブル女の乳母を探して乳を飲ませました。幸いにもこの子の母が乳母になり、パロの娘はこの子を「モーセ」と名づけました。モーセは「水の中から引き出した」という意味です。彼はレビ部族に属するアムラムとヨケベデの子であり、ミリヤムとアロンの弟でした。
神はすでにモーセが大きい器になることを予知されたので、エジプトの王宮で最高の学問と武芸を磨いて成長するようになさいました。また、生母の乳を飲んで育つように恵みを施され、母が信じる神と彼の先祖についても知るようになさいました。後でイスラエルの指導者になるのに必要な資質を十分に備えられるように、摂理のうちに働かれたのです。エジプトの王子としてモーセがおとなになったとき、同胞イスラエルの民の苦役を見、ひとりのヘブル人をあるエジプト人が打っているのを見て、そのエジプト人を打ち殺しました。このことが知れると、結局モーセは逃亡生活をするようになりました。この時、モーセは40歳でした。


2. モーセの40年間の訓練と神の召し

エジプトから逃げ出してミデヤンの地に入り、ミデヤンの祭司イテロの娘チッポラと結婚したモーセは、ミデヤンの荒野で40年間羊飼いをしました。当時、羊飼いはエジプト人が最も卑しく思う職業でした。これは、神がモーセを訓練するために最も低いところにいるように働かれたのです。
モーセは40年間の訓練を通して、エジプトの王宮で学んだすべての生活習慣と神にふさわしくないことを捨てるようになりました。おとなしい羊を顧みて羊飼いの生活をしている間に、火のようだった性格と憤りを捨て、羊飼いに必要な忍耐も身につけ、「地上のだれにもまさって非常に謙遜であった」と神に認められるようになりました(民数記12:3)。
モーセが心を低くして、羊に仕える訓練によって聖められると、神はモーセをイスラエルの指導者として立てるために召されました。[出エジプト3:1-4]で、神がモーセをホレブ山で燃える柴の中から呼ばれたことがわかります。神はモーセを呼んで、エジプトで苦しんでいるイスラエルの民を約束の地カナンに連れ出せと仰せられました(出エジプト3:7-10)。
それでは、神が柴の炎の中に現れて、モーセをイスラエルの指導者として立てられた理由は何でしょうか? 柴に火がつけば、当然柴は燃えます。ところが、柴の火が消えないで、柴も燃えないことは、確かに不思議なことです。これは、神が柴に燃えている火によって、変わらないで朽ちない霊の世界があることを教えてくださったのです。つまり、霊と肉の違いを通して永遠の世界があることを知らせて、生ける神、力ある神を現されたのです。それだけでなく、昔から柴は呪いの象徴でもあるので、主の使いが柴の炎の中に現れたとは、呪われた柴をつかさどる方も神であり、この世のすべての敵である悪魔・サタンも神に屈服していることを霊的に表しているのです。結局、モーセは40年間の訓練によって、神の望まれる器になり、神はモーセを召してイスラエルの指導者とされました。


3. イスラエルの指導者になったモーセ

人間の思いでは、80歳で出エジプトという偉大な働きをする指導者になるのは不可能なようですが、モーセはただ神の力に頼って、その命令に従いました。彼がエジプトから救い出さなければならないイスラエルの民は「幼子を除いて、徒歩の壮年の男子は約六十万人」(出エジプト12:37)だったので、子どもと女性、老人などを合わせれば、その数が途方もなく多かったことがわかります。実際に彼らをエジプトから連れ出して、何もない荒野で衣食住の問題を解決してカナンの地まで導くことは、決して生やさしいことではなかったのです。
イスラエルの民はエジプト王のかたくなさのゆえにエジプトに下った十の災いと葦の海が分けられる奇蹟を見て、神が生きて働かれることがわかりました。しかし、まだ霊の信仰が弱かったので、よくモーセに腹を立てたりつぶやいたりして、石で打とうともしました。しかし、モーセはただ信仰と愛で彼らを養って、つぶやくたびに神に祈って、必要なものを与えました。
神はマナとうずらを天から下してくださり、メリバの岩から水が出て飲めるようになさいました。また、昼は雲の柱で日差しをさえぎって、夜は火の柱で砂漠地方の寒さをやわらげてくださり、あらゆる不思議としるしで神の愛を現されました。しかし、イスラエルの民はそのような神が信じられなくて聞き従わず、神の激しい怒りを買ったりしました。
たとえば、モーセが十戒を受けにシナイ山にいた間、民は金の子牛を造って拝み、偶像に仕えるという大きい罪を犯しました。この時、神はモーセに「わたしはこの民を見た。これは、実にうなじのこわい民だ。今はただ、わたしのするままにせよ。わたしの怒りが彼らに向かって燃え上がって、わたしが彼らを絶ち滅ぼすためだ。しかし、わたしはあなたを大いなる国民としよう。」と言われました(出エジプト32:9-10)。
神がイスラエルの民をみな滅ぼして、モーセによって新しい神の民を起こそうと言われると、モーセは「主よ。あなたが偉大な力と力強い御手をもって、エジプトの地から連れ出されたご自分の民に向かって、どうして、あなたは御怒りを燃やされるのですか。・・・あなたの燃える怒りをおさめ、あなたの民へのわざわいを思い直してください。あなたのしもべアブラハム、イサク、イスラエルを覚えてください。あなたはご自身にかけて彼らに誓い、そうして、彼らに、『わたしはあなたがたの子孫を空の星のようにふやし、わたしが約束したこの地をすべて、あなたがたの子孫に与え、彼らは永久にこれを相続地とするようになる。』と仰せられたのです。」(出エジプト32:11-13)と嘆願して言いました。すると、神はその民に下すと仰せられた災いを思い直されました。
翌日、モーセは神に民の罪を赦してくださいと、悲しみながら愛をもってとりなしの祈りをしました。「ああ、この民は大きな罪を犯してしまいました。自分たちのために金の神を造ったのです。今、もし、彼らの罪をお赦しくだされるものなら――。しかし、もしも、かないませんなら、どうか、あなたがお書きになったあなたの書物から、私の名を消し去ってください。」(出エジプト32:31-32)。天国のいのちの書から名が消されれば、地獄に行くしかないことがわかっていても、モーセはこのように民の罪と悪を悲しんで、赦してくださいと求めたのです。ですから、神がこのようなモーセをどうして愛されないでしょうか。


4. 全家を通じて忠実だったモーセ

モーセは神が口と口とで語られるほど認められて愛されました。それで、ミリヤムとアロンが、モーセがめとっていたクシュ人の女のことで彼を非難すると、神の怒りが直ちに臨んだことが見られます。神が彼らを呼んで、「わたしのことばを聞け。もし、あなたがたのひとりが預言者であるなら、主であるわたしは、幻の中でその者にわたしを知らせ、夢の中でその者に語る。しかしわたしのしもべモーセとはそうではない。彼はわたしの全家を通じて忠実な者である。彼とは、わたしは口と口とで語り、明らかに語って、なぞで話すことはしない。彼はまた、主の姿を仰ぎ見ている。なぜ、あなたがたは、わたしのしもべモーセを恐れずに非難するのか。」(民数記12:6-8)と言われて去って行かれると、ミリヤムはハンセン病にかかってしまったのです。
するとモーセが代わりに神に祈って、ミリヤムはハンセン病がいやされました。このように神がモーセの祈りをお聞きになるのは、モーセが全家を通じて忠実な人だったからです。モーセは自分のすべてを後回しにして、ただ神が命じられたことを実現するために死に至るまで忠実であり、使命を完全に果たしました。イスラエルの民は神の驚くべき不思議としるしを体験しても、神の力が信じられなくて、よくつぶやいて聞き従いませんでした。モーセはそれでも彼らを信仰と愛によって導いて、神に完全にゆだねました。
モーセが徹底して自分を犠牲にしながらも、ただ神のみこころを最後まで追い求めていけたのは、神と民を愛し、神と口と口とで語られたしもべとして、天国について明らかに悟り、天国で神とともにいて永遠のいのちを得る望みがあったからです。また、途中で気を落とさないで、最後まで全家を通じて忠実だったのは、報いてくださる神を信じたからです。
それで、[ヘブル11:24-27]に「信仰によって、モーセは成人したとき、パロの娘の子と呼ばれることを拒み、はかない罪の楽しみを受けるよりは、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。 彼は、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる大きな富と思いました。彼は報いとして与えられるものから目を離さなかったのです。信仰によって、彼は、王の怒りを恐れないで、エジプトを立ち去りました。目に見えない方を見るようにして、忍び通したからです。」とあるのです。

愛する聖徒の皆さん、神は出エジプトの過程を通して、モーセを信頼するる人々が乳と蜜の流れるカナンの地、すなわち、天国に入る過程を見せてくださいました。したがって、私たちは神が「守りなさい」と命じられた命令を守って、みことばどおり従うと、カナンの地である天国に入れますが、神を知って、また多くのことを体験しても、つぶやいたり聞き従わなかったりするなら、カナンの地に入れないことを明らかに悟らなければなりません。また、モーセのように、神が報いとして与えられるものから目を離さないで、全家を通じて忠実な人になって、多くの人を救いの道に導かれますように、主の御名によって祈ります。

 
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