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メッセージ >
聖書の学び
Title
第16課「神がお認めになる最小限の善」
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
Date
2016-03-31
読むみことば: ローマ12:2
覚えるみことば: ローマ12:17
参考にするみことば: 第一テモテ4:5
教育目標: 絶対的な善の基準である神のことばを熱心に聞いて行うことによって、心に完全な善を耕す聖徒になるようにする。
<ローマ12:2>に「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」とあります。このようにすべてのことに何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知って善を行おうとすれば、どうすべきでしょうか。何より善と悪を正確に分けることのできる「善の基準」を知らなければなりません。
1. 完全な善の基準は何か
ルカの福音書18章で、ある役人がイエス様に「尊い先生。」と言うと、イエス様が何と言われたでしょうか。「なぜ、わたしを『尊い』と言うのですか。尊い方は、神おひとりのほかにはだれもありません。」と言われました。イエス様は神の御姿であられる方なのに、なぜ「尊い方は、神おひとりのほかにはだれもありません。」と言われたのでしょうか。
当時、人々はイエス様が単に自分たちと同じ人だと思っていました。それにイエス様はすべての人類の罪を贖うためにこの地上に来られた状態です。十字架で贖いの働きを終わらせる前までは、人類のすべての罪を代わりに負わなければならない「なだめの供え物」というお立場なので、ご自分を尊いと言われなかったのです。神だけが完全に尊く、聖書に記されている神のことばだけが唯一の善の基準となることを知らせるために「尊い方は、神おひとりのほかにはだれもありません。」と言われたのです。
さて、ほとんどの人は自分が成長しながら作った良心に照らして「良い」または「良くない」と言います。良心とは、人々が自分なりに真理と真理でないものを混ぜて「これが正しい」と作り出した価値判断の基準です。したがって、良心は真理と真理でないものが混ざった心であって、ひとりひとり学んだことや環境、どんな親と師に出会うかによって違うように形成されます。
このような良心は絶対的な善の基準になれません。ただ永遠に変わらない神のことばだけが絶対的な善、完全な善の基準になれます。完全な善を心に耕すには、善そのものであられる神の心と思いが込められている神のことばをまめに聞いて学び、そのとおりに行わなければなりません。
信仰にも成長段階があるように、善にも段階があります。人々は善だと認めても、神がお認めにならない善があるかと思えば、神がお認めになる最小限の善があります。悪をもって悪に報いないだけでなく、悪い感情自体を抱かないことです。さらに、悪を行う相手にむしろ感動を与える善と、いのちをも惜しまず与えられる最高の善を、神は喜ばれます。
それでは、まず人々は善だと認めても神はお認めにならない善と、神がお認めになる最小限の善について調べてみましょう。
2. 悪をもって対抗しないで、悪い感情を抑えて我慢する「善の一段階」
悪を行う相手に対して、心には良くない感情があっても、悪をもって対応しないのが善の一段階です。
たとえば、誰かが自分をののしって殴っても、対抗しないで黙って我慢したとしましょう。悔しくてむしゃくしゃしても、みことばを知っているので、または自分なりに身につけた教養があるので、感情を抑えて我慢するのです。このような人はうわべでは善良で柔和に見えるので、世では「法がなくても生きられる人だ」と認められたりもします。
ところが、心をご覧になる神はこれを善だと言われません。神は人のうわべをご覧になるのではなく、心をご覧になるからです。もちろん悪をもって悪に報いる人よりはるかにましです。しかし、じっとこらえて我慢するというのは、相変わらずその中に悪があるという証拠になります。こんな場合、限界に至れば、結局その悪が表に出て来ます。
今日、神を信じると言いながらも、世の人のように悪を行う人々がどれほど多いでしょうか。しかし、まことに神を信じるなら、悪を捨てて、何としてでもみことばどおり守り行おうと努力するでしょう。<箴言8:13>に「【主】を恐れることは悪を憎むことである。わたしは高ぶりと、おごりと、悪の道と、ねじれたことばを憎む。」とあります。神を本当に信じるなら、神を恐れるので悪を憎み、善を追い求めて行うようになります。
3. 心にどんな悪い感情もない「善の二段階」
相手が悪を行うとき、悪をもって悪に報いないことはもちろん、心にどんな悪い感情もない時でこそ、神の御目に善と言えます。これが善の二段階であって、神がお認めになる最小限の善に当たります。この段階に至れば、相手がいくら自分を憎んでつらくしても、悪をもって思わないで相手の立場で思うので、理解できて赦すことができます。
おとめマリヤのいいなずけだったヨセフは、マリヤがまだいっしょにならないうちに身重になったことを知ったとき、どうしたでしょうか。普通の人なら、明らかに姦淫したと思われる状況なので、律法に従って処理するか、ただ我慢するとしても安らかな心ではなかったでしょう。しかし、「夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。」(マタ1:19)と記されています。心に悪が全くなかったからです。まさにこの状態が神がお認めになる最小限の善の段階です。
もちろん、この段階に至るまでには過程があります。誰かが自分に悪を行うとき、悪をもって報いないとしても、一瞬むっとしたり、心が揺れたりする場合もあります。しかし、このような時もすぐ心を治めて、相手の立場になって善をもって理解しようと努力していけば、後には一瞬の悪い感情さえも起こりません。
<第一テモテ4:5>に「神のことばと祈りとによって、聖められるからです。」とあるので、神のことばで自分を照らして祈るとき、善の次元に入れます。ですから、神のことばを聞くことで終わらず、みことばで自分を照らして真理でない姿を発見したら、これを握って火のように祈って捨てていかなければなりません。
聖霊に満たされて切に祈れば、神の恵みが臨んで強くされます。聖霊の火で罪の性質を焼いてくださって、きよい心になるようにしてくださいます。そうする時、一瞬の悪い感情さえも起こらない善の二段階、神がお認めになる善の次元に入れます。
神の子どもなら、最小限神がお認めになる善の二段階の心になってこそ、敵である悪魔・サタンがどうすることもできず、試練や患難にもあいません。<第一ヨハネ5:18>に「神によって生まれた者はだれも罪を犯さないことを、私たちは知っています。神から生まれた方が彼を守っていてくださるので、悪い者は彼に触れることができないのです。」とあるとおりです。
もし敵である悪魔・サタンがそそのかすまま従って悪を行うなら、いくら長い間教会に通っていても、神に守られることも、祝福されることもできません。しかし、神がお認めになる最小限の善の心になるだけでも、その善が霊の光として働き、闇が退くので、自然にさまざまな問題が解決されます。
次の例を通して、自分がどれほど善の心を持っているのかチェックしてみてください。自分がある分野の責任者だとしましょう。ところが、目下の人のミスで仕事がうまくいかなくなりました。この時「私の監督不行き届きでした」と責任を負おうとします。ところが、心の隅に少しでも目下の人のせいにする心が残っていたら、善と言えません。心の良い人は無理やりでなく、真心から自分のせいにして自分を省みます。そうするとき、神が恵みを与えて、再びそのような事が起こらないように守ってくださるのです。
もう一つの例として、他の人が叱責されているのを見たとしましょう。その時「私には関係ないことだからよかった」とは思わなかったでしょうか。もしくは、自分も叱責する人の立場になって、心の中で一緒に責めて罪に定めたりはしなかったでしょうか。心の良い人は自分に直接関連したことでなくても、「私が助けてあげていたら失敗を防げただろうに」と申し訳ない心で自分を省みます。その上、自分が直接関連していることならば、当然すべての事情を真実に語り、その結果に対する責任も負おうとするでしょう。
良い心を持った人々が時には損をして困難にあうように見える時もあります。では、果たして善を行うことが損でしょうか。そうではありません。確かなことは、結果的に神が働かれて、神に愛されて祝福されるということです。
* まとめと適用
1. ()の中に合う言葉を入れてください。
善の一段階は、悪を行う相手に対して、心には良くない()があっても()をもって対抗しない。善の二段階は、相手が()を行うとき、悪をもって悪に報いないことはもちろん、心にどんな悪い()もない。
2.良心はなぜ絶対的な善の基準になれないのでしょうか。
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3.イエス様は神の御姿であられる方なのに、なぜ「尊い方は、神おひとりのほかにはだれもありません。」と言われたのでしょうか。
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* 今週の課題
次回は善の三、四段階について学びます。<マタイ5:39_42><出32:31_32><ローマ9:3>を読んできましょう。
* 知って力にしましょう
「善の段階」
善の一段階: 悪を行う相手に悪い感情はあるが、悪をもって対抗しないで、感情を抑えて我慢する。
善の二段階: 悪をもって悪に報いないだけでなく、心にどんな悪い感情もない。
善の三段階: 悪を行う相手によくしてあげて感動を与える段階である。
善の四段階: 悪を行う相手のためにいのちをも与えられる最高の善である。
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