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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第15課「復活の主に会ったマグダラのマリヤ」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2016-03-24


読むみことば: ヨハネ20:17_18
覚えるみことば: 箴言8:17
参考にするみことば: ヨハネ12:1_8
教育目標: 肉の願うことを捨てて純粋で聖なる心を耕し、父なる神に喜ばれるまことの子どもになるようにする。

マグダラのマリヤはこの上ない真心と善をもってイエス様の御前に来たとき、罪が赦されてすべての呪いから解き放され、神に栄光を帰しました。私たちの救い主であるイエス様の愛と力で病気のからだと傷ついた心までいやされて、まことの喜びと幸せ、感謝があふれる生き方に変わったのです。
それでは、イエス様の大なる愛と恵みを受けたマグダラのマリヤがイエス様に見せた善と愛は何でしょうか。

1. 石膏のつぼを割って香油を塗ったマリヤ

マリヤが石膏のつぼを割って香油を塗ったことには、イエス様への熱い愛と深い霊的な意味が含まれています。香油を入れた石膏のつぼはとても良い器です。霊的には私たちのからだを象徴します。したがって、石膏のつぼを割ったことはイエス様に自分の身をささげて仕えるという意味です。
いくら高価な香油でも、石膏のつぼを割ってこそ流れ出ることができます。言い換えれば、権威や体面を意に介せず、はかりごとや思弁の枠も打ち砕いて、完全に自分を無にする時こそ、このような献身ができます。
マグダラのマリヤがイエス様に塗って差し上げた香油の価値がどのくらいだったのかは聖書に記されていませんが、当時、香油はほとんど非常に高価でした。ヨハネの福音書12章に記されているベタニヤのマリヤが塗って差し上げた香油は純粋なナルドの香油三百グラムで、その値段は三百デナリにもなりました。一デナリが労働者の一日の賃金なので、三百デナリならば、ほぼ一年間ずっと働いて稼いだお金を、一円も使わないで貯めなければならないほど大きい金額です。
このような高価な香油を用意するためにマグダラのマリヤがどれほど心を込めたでしょうか。疲れて病気にかかったからだで休まず働いて、食べる物さえ惜しんで一円、二円と貯めたお金が夫に見つけられないようにと、ハラハラしながら香油を用意したことでしょう。したがって、香油をささげたとは、真心をささげたということを意味します。言い換えれば、マリヤが石膏のつぼを割って香油をイエス様にささげたのは、自分の身と心とまことをイエス様にささげて献身するという意味です。
石膏のつぼを割ってこそ香油が出て来るということには、別の重要な霊的な意味があります。石膏のつぼは私たちのからだを象徴していると言いました。ところが、変えられる前の私たちのからだは肉の願うことに従おうとします。したがって、石膏のつぼを割った時に香油が出て来るように、私たちが肉の願うことを捨てる時でこそ、主へのまことの愛が出て来るという意味です。石膏のつぼを割って香油を塗ったマリヤのように、肉の願うことを捨てる時でこそ、純粋できよい心を主にささげられるということです。

2. 心を尽くして仕えて最後までつき従った真実の愛

マグダラのマリヤは自分を新しく変えさせていのちを与えられたイエス様に、心を尽くして仕えてつき従いました。果たしてマリヤはどんな愛と献身をもってイエス様につき従ったのでしょうか。マリヤは自分によくしてくれることが全くない家族でも、憎んだり恨んだりしませんでした。ですから、自分の人生を価値あるようにしてくださったイエス様への愛はどうだったでしょうか。
霊の愛は条件をつけずに献身して、報いを願わない愛です。その愛がどんな状況でも変わらないで、終始一貫しているのです。イエス様へのマグダラのマリヤの愛がこのようでした。
当時、宗教指導者たちはイエス様を「惑わす者、悪霊どものかしらベルゼブルの力を行う者、神をけがす者」と罪に定めました。民も彼らの言葉に惑わされて、イエス様を「十字架につけろ」と叫びました。十字架刑を宣告されたイエス様は、言わば何もない人になりました。凶悪な罪人のように十字架につけられて死ぬと、すべてが終わってしまうのです。
マグダラのマリヤは、イエス様がみことばで数多くの人を変えさせて、不思議としるしを行われる時だけでなく、罪人扱いされて十字架刑にあわれる時も、変わらずつき従いました。弟子たちは恐ろしくて隠れましたが、マリヤはいのちの危険があってもイエス様に最後までついて行きました。まかり間違えば害が及びかねない状況でも、意に介しないでゴルゴタの丘まで上りました。マリヤの愛がどれほどまことで真実だったかを示してくれます。
イエス様に恵みを受けたマグダラのマリヤと女たちは、イエス様が十字架で死なれる時まで、そのそばを離れることができませんでした。彼女たちは、アリマタヤのヨセフがイエス様のからだを十字架から取り降ろして葬る所までついて行きました。彼がからだを新しい墓に納めて、石をころがしかけて墓の入口におくと、その時はじめて我に返った女たちはイエス様のからだに塗る香油を用意するために急いでその場を離れました。

3. よみがえられた主に最初に会った女性になった理由

安息日が終わることだけを待っていたマグダラのマリヤは、墓に葬られたイエス様に香油を塗って差し上げるために家を出ました。まだ闇が立ち込めている明け方でしたが、一刻も早くイエス様のところに行くために墓へ向かいました。ところが、着いてみると、墓から石が取りのけてあって、イエス様のからだは見えませんでした。途方に暮れたマリヤは誰かがからだを持って行ったと思って、さめざめと泣いていました。
その時、白い衣をまとったふたりの御使いが現れて「なぜ泣いているのですか。」と聞きましたが、それどころでなかったマリヤは彼らが御使いなのか人なのかすら見分けられませんでした。「だれかが私の主を取って行きました。どこに置いたのか、私にはわからないのです。」と答えるだけでした(ヨハ20:13)。
こう言ってから、うしろを振り向いてみると、よみがえられた主が立っておられましたが、マリヤはその方が主とは思えませんでした。復活のからだを着ておられたので、全くわからなかったのです。主が「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」とお聞きになっても、園の管理人だと思いました。主が「マリヤ。」と呼ばれると、その時はじめてマリヤはよみがえられた主であることがわかりました。
その時、主はマリヤに「わたしにすがりついていてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないからです。わたしの兄弟たちのところに行って、彼らに『わたしは、わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神のもとに上る』と告げなさい。」と言われました(ヨハ20:17)。
イエス様は十字架刑にあってから日曜日の明け方によみがえられたことで、救い主になるための摂理を成し遂げられました。すべてのことを成し遂げられたので、父なる神にお目にかかることが先だったのです。それで、マリヤにご自身の復活を弟子たちに知らせて、時になるまで証人として生きるようにと託しながら、遠からずまた会えると約束されました。このようにマグダラのマリヤはよみがえられた主を最初に目撃して、弟子たちのところに行って「主にお目にかかりました」と証ししました。
それでは、救い主として十字架にかけられて、死の力を打ち破ってよみがえられたイエス様が、神にお目にかかる前にマリヤに会ってくださった理由は何でしょうか。マグダラのマリヤがいのちを尽くして主を愛し、完全に献身して仕えたからです。
世界的な大きい競技や大会で金メダルを取ったり一位になったりすれば、これまで自分を助けてくれた人や心を配ってくれた人、苦しくてつらい時に力になってくれた人が最も先に思い浮かぶものです。最も輝かしい瞬間に彼らに感謝の挨拶を伝えて、優勝の喜びを分かち合うのです。
このようによみがえられた主が最初に会った人がマグダラのマリヤだったということは偶然ではありません。幸せで楽しい時だけでなく、相手が苦しくてつらいとき、さらに最も惨めな状況に置かれたとしても、最後までともにいられる心、これがまことの愛です。マグダラのマリヤは自分のいのちよりイエス様を愛したし、最後までつき従ったので、よみがえられた主に一番先にお目にかかる栄光の主人公になることができました。
神が人間耕作をなさる理由は、永遠に変わらない愛を分かち合えるまことの子どもを得るためです。このようなまことの子どもを得るために、愛なる神はひとり子イエス様を十字架に渡す途方もない犠牲を払われました。ついにイエス様の力でいやされてまことの幸せを見つけて、十字架を負われたイエス様に最後までついて行く真実の愛を耕したマグダラのマリヤを見いだされたとき、神がどれほどお喜びになって幸せだったでしょうか。いつも近くに置いて、その善の香りを受けたいと思われるほどでした。
それで、マリヤは世界が始まって以来、救われて天国に行った女たちの中で、最も神に愛されて、神の御座近くに行ける女性になりました。誰でもマグダラのマリヤのように完全な善の次元に入れば、天国で尊い者になることができます。


* まとめと適用
( )の中に合う言葉を入れてください。
1.石膏のつぼは霊的に私たちの( )を象徴する。石膏のつぼを割ったことはイエス様に自分の身をささげて( )という意味である。
2.石膏のつぼを割ったとき、香油が出て来るように、私たちが( )を捨ててこそ、主へのまことの愛が出て来る。

3.よみがえられた主が神にお目にかかる前にマリヤに会ってくださった理由は何でしょうか。

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* 今週の課題
心にどのくらい善が臨んでいるかを知る基準は何でしょうか。<ローマ12:2>を繰り返し読んで考えてきましょう。


* 知って力にしましょう
タラントvsデナリ
タラントは重さと貨幣の単位であり、聖書で能力という意味で使われることもあった。「一タラント」とは「六千デナリ」であって、六千日、約十六年間の賃金に値する。「一デナリ」はローマの銀貨で、軍人や労働者の一日の賃金の金額であり、ギリシヤの銀貨一ドラクマの価値を持っていた。

 
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