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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第12課「たつまきに乗って天に上ったエリヤ」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2016-03-03


読むみことば: 第二列王2:11_12
覚えるみことば: ルカ1:17
参考にするみことば: イザヤ40:3
教育目標: 神を行いと真実をもって愛し、火のように祈ることによって、どんな使命であっても充分に果たす働き人になるようにする。

エリヤは非常にへりくだっていただけでなく、自分の義がなくて誰ともぶつからない良い心を持っていたので、神の力を授かった大預言者として用いられることができました。錬られて強く雄々しい姿を備えるようになってからは、驚くべきしるしと不思議を現して、偶像礼拝に陥ったイスラエルの民を神に立ち返るようにしました。自分の使命を果たしたエリヤはたつまきにに乗って天に上りました。
ところで、聖書には、このようなエリヤが新約時代にバプテスマのヨハネとして来たことが記してあります。

1. 行いと真実をもって神を愛したエリヤ

エリヤはこの地上で働いていたとき、いつも神と交わっていました。深い祈りを通して、神が望んでおられるみこころを明らかに悟るために努力しました。柔弱な性分で、大いなる事をやり遂げるためには、それだけもっと神にすがらなければなりませんでした。神はいと高きところから力を着せて、エリヤの心を強く支えてくださいました。
このような体験を通して、エリヤは神の力をさらに慕うようになり、柔弱な自分に大きい力を着せて強くなさる神をさらに愛するようになりました。とうてい聞き従えないことも、神が命じられれば従いました。
世の人々も愛する人のためには何でもしてあげたいと思います。自分の限界を超えることにも最善を尽くします。ところが、肉的な愛は歳月が過ぎて環境が変われば、心も行いも変わります。自分がしてあげた分、相手からもらいたいと願います。
しかし、神に対するエリヤの愛は変わることがなかったし、その愛を行いと真実をもって完全に現しました。多くの人が神を信じる、愛していると言いながら、いざあることを任されれば、自分の性分を言い訳にしてできないと言います。「私もやりたいけれど、そのことは性分に合わなくてどうしようもない」と言うのです。このような人は心から神を信じて真実に愛しているのか、省みなければなりません。神に対する信仰と愛が熱ければ、性分は何の関係もないからです。父なる神の愛を伝えなくては、わが主イエス・キリストを叫ばなくては耐えられない心になるのです。
肉的にはとても柔弱な性分を持っていたエリヤは、ひとりでにせ預言者八百五十人と対決して火の答えを引き下ろすことまでしました。神への燃えるような愛があったので、神を遠ざけて偶像礼拝に陥った民を救おうと、大胆に行うことができたのです。エリヤはこのような過程を通して、神についてさらに明らかに悟ってわかるようになりました。
おとなの信仰の段階に至れば、初めからおられる父なる神についてさらに深く知るようになります。彼はこの地上にいた時も、神について深く悟って非常に慕いました。ついに生きたまま天に上ったエリヤが神にじかにお目にかかったとき、どれほど神に対する愛で満ちていたでしょうか。
三位一体の神についてさらに明らかに悟って確かなものとしていただけでなく、御子、御霊の神の使命についても知るようになりました。特に御子の神は救い主になるために人となってこの地上に来られ、なだめの供え物として十字架につけられて死なれなければならないということを知るようになりました。エリヤがこのことを知るようになったとき、主を慕う心が燃えるようでした。それで、神に「主のためにどんなことでもできます」と告白したのです。神はこの告白をお受けになって、エリヤをまたこの地上に遣わして、主の道を用意する大きい使命を下さいました。

2. バプテスマのヨハネに生まれ変わって主の道を用意したエリヤ

神はエリヤを再びこの地上に遣わされることと、彼がどんな使命を果たすかまで、聖書で預言しておかれました。<イザヤ40:3>に「荒野に呼ばわる者の声がする。『主の道を整えよ。荒地で、私たちの神のために、大路を平らにせよ。』」とあります。<マラキ4:5_6>には「見よ。わたしは、【主】の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、 のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。」とあります。これは仏教で言う輪廻の概念とは全く違います。天に上った人が生まれ変わったことは、人類の歴史上ただエリヤを通して一度だけありました。
それでは、生きたまま天に上ったエリヤはどのようにして再びこの地上で生まれることができたのでしょうか。まず、ひとりの人間が造られるためには、両親の精子と卵子が結びついた水晶体に、必ず神が霊を送ってくださらなければなりません。霊が与えられないなら、姿は人でも獣にすぎないからです。それで、神は人が胎に宿って六か月になると、霊を送ってくださいます。
主の道を用意するバプテスマのヨハネが胎に宿ったとき、彼に送ってくださる霊の中にエリヤの心を入れて送られました。エリヤの霊そのものではなく、エリヤの心が込められた霊を送ってくださったのです。
イエス様の場合は、おとめマリヤのからだを借りて、聖霊によってやどられたので、肉の親の気質を全くお受けになりませんでした。胎に宿ったと同時に与えられた霊そのものが、すなわちイエス様の心だったのです。
ところが、エリヤの場合は少し違います。すでに人のいのちの種が結びついた状態で、エリヤの心が込められた霊が与えられたのです。ですから、親の気質を受け、その影響も受けるようになります。それで、神はその当時の人々の中で最も心が良いと言える人々が宿した胎児に、エリヤの心が込められた霊を送ってくださいました。このように生まれた人がまさにバプテスマのヨハネです(ヨハ1:6)。
聖書のあちこちにバプテスマのヨハネがエリヤの心を持っている人であることが記されています。<ルカ1:17>に「彼こそ、エリヤの霊と力で主の前ぶれをし、父たちの心を子どもたちに向けさせ、逆らう者を義人の心に立ち戻らせ、こうして、整えられた民を主のために用意するのです。」とあります。また、<ルカ3:4>では、預言者イザヤが預言した人、すなわち、主の道を用意するために荒野で叫ぶ者の者がまさにバプテスマのヨハネであると確認しています。
何よりイエス様がバプテスマのヨハネがすなわちエリヤであることを言われました。弟子たちが「すると、律法学者たちが、まずエリヤが来るはずだと言っているのは、どうしてでしょうか。」とお尋ねしたとき、イエス様はこのように答えられました。「エリヤが来て、すべてのことを立て直すのです。しかし、わたしは言います。エリヤはもうすでに来たのです。ところが彼らはエリヤを認めようとせず、彼に対して好き勝手なことをしたのです。人の子もまた、彼らから同じように苦しめられようとしています。」(マタ17:11_12)その時はじめて弟子たちはバプテスマのヨハネがエリヤであることを悟りました。
イエス様は神の御姿であられる方であって、何の傷も汚れもない、まことの光であられます。このようにまことの光であるイエス様の道を用意する人なら、どれほど清くて完全でなければならないでしょうか。それで、神は生きたまま天に上げられるほど清くて完全なエリヤを再びこの地上に遣わして、主の道を用意するようになさったのです。
エリヤがこの働きに選ばれたもう一つ理由は、彼が主への熱い愛をもって「主のために私はどんなことでもできます」と告白したということにあります。エリヤは将来主が遭われる出来事を思うと、耐えられませんでした。それで、主のためにこの地上にまた降りて来るのを少しもはばからなかったし、殉教しなければならないとしても、喜びと感謝をもって耐えようとしたのです。このようにエリヤがことばや口先だけではなく、行いと真実をもって愛を完全に見せたことを、神はこの上ない善だと認められました。
主に出会って初めの愛が熱い時は「私は主のためにどんなことでもします」と告白する人が多いです。しかし、その告白のとおり変わらず真実の行いを見せる人はそんなに多くありません。神への熱い愛が心に満ちている人は、すべてのことばと行いからその愛がにじみ出ます。愛する神が喜ばれることなら、何でもできるのです。
柔和なイエス様も、宮を汚す人をご覧になった時は、厳しく責められました。宮で売り買いしているのをご覧になって、細なわでむちを作って、羊も牛もみな、宮から追い出し、両替人の金を散らし、その台を倒されることまでなさいました。
このように神を熱く愛すれば、周りの人や環境が目に入りません。ただ神のみこころだけを考えて、何としてでもそのみこころをやり遂げようと切に願うようになります。神の働きを実現することにおいて、どうして性分や環境を言い訳できるでしょうか。エリヤのように神への熱い愛を真実の行いをもって現しますように。


* まとめと適用
( )の中に聖句を本文から探して書いてみてください。
1. 神はエリヤを再びこの地上に遣わして、どんな使命を果たすかまで、聖書で預言しておかれた。( )に「荒野に呼ばわる者の声がする。『主の道を整えよ。荒地で、私たちの神のために、大路を平らにせよ。』」とある。
2. ( )には「見よ。わたしは、【主】の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、 のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。」とある。
3.バプテスマのヨハネがエリヤの心を持っている人であることを記した聖句を書いてください。

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* 今週の課題
次回はバプテスマのヨハネの善について学びます。<ヨハネ3:23_30>と<ルカ1:5_80>を読んできましょう。


* 知って力にしましょう
「エリヤの善」
①自分の義がなくてへりくだった心を持っていたので、誰ともぶつからなかった。
②行いと真実をもって神を愛した。

 
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