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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第9課「神の御目にこの上なく心が良かったアブラハム」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2016-02-11


読むみことば: 創世記13:8_9
覚えるみことば: ヤコブ3:17
参考にするみことば: 創世記12:2
教育目標: 真理が豊かに臨んで、自分のすべてのものを喜んで渡し、すべてのことに私心なく正直で誠実なので祝福される聖徒になるようにする。

アブラハムは神に喜ばれる信仰を持って、「信仰の父、祝福の基、神の友」と呼ばれた聖書の人物です。神の祝福は何一つただ与えられたのではありません。それほどアブラハムの心と行いが神の御目にこの上なく良いと認められたので与えられた結果です。
それではアブラハムのどんな心が神の御目にこの上なく良いと認められたのでしょうか。

1. 寛容で温順な心

寛容と温順は、真理に変えられるほど臨む、豊かで余裕のある心から出て来ます。「寛容」とは、真理が心に豊かに臨むと同時に、真理による自由があるので、自分が持っているすべてを渡せる心です。「温順」とは、良い美しい心で、真理にあってこれも可だしあれも可である心であって、そのうちでもさらに神に喜ばれる方を選べる心です。このような寛容で温順な心になると、良い美しい言葉と行いが出て来ます。
創世記13章には、アブラハムの生き方の中に寛容で温順な心がうかがい知れる出来事が記されています。それは、おいのロトに良い地を選び取るように、アブラハムが選択権を譲る場面です。ロトはアブラハムが神のみこころに従って生まれ故郷、父の家を出て来た時から一緒でした。神がアブラハムを祝福してくださるとき、ロトも一緒に祝福を受けました。
ところが、ふたりとも持ち物が多くなったので、彼らが一緒に住むことができなくなりました。家畜が多くて、水も牧草地も足りなかったので、アブラハムの牧者たちとロトの牧者たちの間にたびたび争いが起こりました。
するとアブラハムはおいのロトにこのように提案します。「どうか私とあなたとの間、また私の牧者たちとあなたの牧者たちとの間に、争いがないようにしてくれ。私たちは、親類同士なのだから。全地はあなたの前にあるではないか。私から別れてくれないか。もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう。」(創13:8~9)
目上の人としていくらでも先に良い地を選び取ることができるのに、アブラハムはおいに譲ったのです。この時ロトは、遠慮はおろか、どこもよく潤っていて肥沃なソドムの地を選んで離れるのが見られます。
皆さんがロトの立場だったなら、どうするでしょうか。道理と恩を知っているなら、いくら強いられても、叔父のアブラハムに良い地を譲るのが当然でしょう。しかし、ロトは自分が見て良い地を選び取って離れました。その心の器がどうなのかわかるでしょう。
それでもアブラハムはロトに対して少しもむなしく思ったり、気まずくなったりしませんでした。相手に与えては与えることができる寛容な心と、真理にあってこれも良くてあれも良いが、神がさらに喜ばれる方を選び取れる温順な心があったからです。
心から相手に仕えれば、自分が持てる権利も喜んで譲れます。たとえば、皆さんが持っているものが十だとしましょう。ところで、相手がそれ欲しいと言ったら、いくつぐらいあげられるでしょうか。これはひとりひとりの心の大きさによって違うでしょう。たった一つだけあげる人もいて、五つくらいまではあげる人もいるでしょう。また、心が広くて九つまであげられる人もいるでしょう。アブラハムは相手が十全部を下さいと言っても、あげられる心でした。このように自分のすべてのものを喜んで渡せる寛容で温順な心を神が善だと認めて、祝福してくださるのです。

2. 私心のない正直で誠実な心

アブラハムはもともと広くて大きい心だった上に、すべての事について正直で誠実でした。すべてを正確に処理して完璧にしようとしました。自分は何ものでもないと心から認める低い心でしたが、神の御名によってはどんなことでもできるという完全な信仰がありました。それで、どんな困難がやって来ても、正直で誠実に行っていくと、それが祝福の道になりました。このようなことが神の御目に善だと認められました。
ある人は、信仰によって行うと言いながら、私心があって相手を欺いたり、不誠実な姿が現れたりします。しかし、心の良い人は神が祝福してくださることを信じるので、いつも誠実で正直に行います。アブラハムがそうだったので「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。」(創12:2)という祝福のみことばがそのとおりに成就されたのです。
私心なく正直で誠実なアブラハムの姿がうかがい知れる出来事が創世記14章に記されています。
ソドムに住んでいたおいのロトがカナンの地で起こった連合戦争に巻き込まれて、とりこになった時でした。アブラハムはしもべたちを率いてロトを救い、ソドム王に勝利を抱かせました。するとソドム王は彼に戦利品を取ってくださいと勧めましたが、アブラハムはきっぱりと断りました。「糸一本でも、くつひも一本でも、あなたの所有物から私は何一つ取らない。それは、あなたが、『アブラムを富ませたのは私だ』と言わないためだ。」(創14:23)
アブラハムは戦争を勝利に導いた主役であり、ソドム王に大きい恩を施した人なので、戦利品を取っても不当なことではありません。それでも彼は私的な利益を取ろうとする心が全くありませんでした。また、後日、自分がさらに富んだとき、ソドム王が戦利品を与えたからだと言えるので、きっぱりと断ったのです。このようにアブラハムは自分の利益を追って財物を積むのではなく、たましいに幸いを得ている分、神が下さる幸いを得て富むことを願いました。
私たちも神に祝福されたいなら、アブラハムのように正直でなければなりません。自分の欲に従ってすぐに目に見える利益を求める人は神に祝福されることができません。心に欲があれば、誰かに惑わされなくても自ら惑わされて試みに会い、自分の掘った穴に陥ることもあります(箴28:10)。
アブラハムは自分が戦利品を持ったからといって罪にならないのに取らなかったし、ただで得られる物にも必ず代価を払う心でした。これは妻サラの墓地を求める時も同じでした(創23章)。ヘテ人たちが葬るほら穴をただであげると言いましたが、彼は相当な代価を払ってマクペラのほら穴を得ました。これも少しも私心がないし、正当に代価を払わなければもらわない正直さと誠実さを示している場面です。
また、アブラハムが代価を払ってはっきりと自分の所有にしたのは、善の知恵があったからです。後日、彼らの心が変わっていくらでも地を返してくれと言うこともありえるので、初めからこのような問題がないようにきちんと処理したのです。
アビメレクのしもべたちがアブラハムの井戸を奪い取った時も同じでした(創21章)。この時も、アブラハムは是非をただして補償を求めたのではありません。むしろアビメレクに七頭の雌の子羊を与えながら、井戸に対する自分の所有権を確実にします。相手の過ちが明らかなのに、自分の方から先に平和を追い求めて、以後再び争いが起こらないように賢く解決したのです。
もしアブラハムが相手の過ちだけを叱ったとすれば、どうだったでしょうか。アビメレクは悔いるより、仕方なく退くので、まことの平和がつくられなかったでしょう。再び窮地に追い込まれるか、機会があれば相手が井戸を奪い取ることもありうるのです。それで、アブラハムは被害に対して補償してもらわなければならない立場なのに、むしろアビメレクに井戸の代価を払ったのです。結局、アビメレクは心からアブラハムに屈服して、その後は井戸を狙いませんでした。このようにアブラハムは善の知恵でどんなことでもきちんと完璧に処理して、問題がないようにしました。
神の国を実現する時も、善の知恵があれば、さらにすみやかで調和がとれて実現できます。ことごとにけちをつける相手でも、自分を助ける人にすることができるのです。神がアブラハムに下さった善の知恵は、まず自分のものを渡せる豊かな心になる時、また、どんな私心なく正直に行う時に臨むということを悟って、さらに善を慕いますように。


* まとめと適用
( )の中に合う言葉を入れてください。
1. ( )とは、真理が心に豊かに臨むと同時に、真理による自由があるので、自分が持っているすべてを渡せる心です。( )とは、良い美しい心で、真理にあってこれも可だしあれも可である心であって、そのうちでもさらに神に喜ばれる方を選べる心です。
2.神がお認めになるアブラハムの善は何でしょうか。

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* 今週の課題
次回はアブラハムの善(2)を学びます。アブラハムは「神の友」とまで呼ばれました。このような光栄な呼び方をされたのは神様からどんな点を認められたからでしょうか。<ヘブル11:17_19>を読んできましょう。


* 知って力にしましょう
「戦利品を断ったアブラハム」
ソドム王は戦争を勝利に導いたアブラハムに戦利品を与えようとしたが、アブラハムは断る。財物に対する欲や私的な利益を求める心が全くないからだ。アブラハムが断ったもう一つの理由は、人の心が真理に変えられる前はいつでも移り変わることがあるからだ。ソドム王が今はありがたく思うが、後日「私はやりたくなかったが、アブラハムが代価を求めたから与えた」と言うこともありえるのだ。それで、アブラハムは戦争に一緒に行った若者たちの糧と、自分を助けた同盟軍に返す分け前の他には、何も取らなかった。アブラハムに、自分を助けた人々に対しては責任を負って労苦を補償してあげようとする配慮の心があることがうかがい知れる。

 
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