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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第5課「異邦人の宣教に先立った使徒パウロ」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2016-01-14


読むみことば: 第一コリント15:9_10
覚えるみことば: 第一コリント15:10
参考にするみことば: 第一ペテロ1:7
教育目標: 一度受けた恵みが変わらなかった使徒パウロの善を見習って、終わりの時、聖霊の道具として尊く用いられる聖徒になるようにする。

パウロは新約時代の最高の使徒として指折り数えられる人物です。彼はイエスを信じる人を迫害するのに先立った者でしたが、ダマスコへ行く道で主に出会って悔い改めた後は、イエス・キリストの福音を伝えることにいのちを尽くしました。特に異邦人たちに福音を伝えて、多くの教会を建てただけでなく、新約聖書27巻のうち14巻を記すなど、世界宣教の土台を据えました。

1. 正しいことを悟れば移り変わらない心を持っていた使徒パウロ

タルソ(トルコのタルスス)出身のパウロは律法に詳しいパリサイ人でした。当代最高の律法学者ガマリエルのもとで教育を受けた、熱心なユダヤ教信者だった彼は、義が強くて、自分が持っている知識と義で相手を抑えて論じ合うことを楽しみました。
神に対する熱心が大きかった彼は「イエス様が神の御子であり救い主である」というキリスト教徒の言葉をとうてい許せませんでした。これは神聖冒涜だと思ったので、彼はキリスト教徒を迫害するのに先立ちました。
このようにパウロは自分が正しいという思いが強かった上に、優越感と自尊心も人一倍強かったのです。しかし、一度正しいと悟ったら、変わらずその道を行くような心でした。これをご存じだったので、神は一生一代の特別な恵みの体験をするようになさいます。まさに主ご自身が出会ってくださったのです。
パウロがイエスを信じる人々を引いて来るためにダマスコまで遠征している道でのことした。突然、天からのまばゆい光が彼の回りを照らして、光から声が聞こえました。「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか」。あまりのことに驚いて地に倒れたパウロは、どなたなのか聞きました。すると「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」という声を聞きます。
このことがあった後、パウロは三日の間、目が見えず、また飲み食いもしませんでした。そして、アナニヤという弟子から、自分に向けられた神の摂理を聞きます。それは、イエス・キリストの御名を異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶために自分が選ばれたということです。
ついに真実を悟ったパウロは完全に変えられた生き方をしていきます。今はイエスを信じる人々を迫害するのではなく、かえってイエスがキリストであることを証明して、これを否定するユダヤ人たちをうろたえさせました(使9:22)。

2. 主の恵みに対する感謝が変わらなかった使徒パウロ

使徒パウロは罪人を救うためにご自身を完全に犠牲にされた主の大なる愛を悟ると、まるで自分が「罪人のかしら」のように思われました。自分のすべての咎と罪を赦して救ってくださったことはもちろん、尊い使命まで下さった主の恵みに深く感謝するしかありませんでした。このような感謝の心はどんな状況でも変わりませんでした。ひどい迫害と困難にあえばあうほど、さらに深くて濃い感謝の告白が出て来たのです。
彼が福音を伝えながら受けた苦しみが<第二コリント11:23_27>によく記されています。「私の労苦は彼らよりも多く、牢に入れられたことも多く、また、むち打たれたことは数えきれず、死に直面したこともしばしばでした。ユダヤ人から三十九のむちを受けたことが五度、むちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度あり、一昼夜、海上を漂ったこともあります。幾度も旅をし、川の難、盗賊の難、同国民から受ける難、異邦人から受ける難、都市の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいたこともありました。」
このように使徒パウロは死に至るまで忠実であって、多くの苦しみを受けながらも、心からは主の恵みと愛への感謝が絶えず流れ出ました。いくら深い牢や難船の危険も、彼には問題になりませんでした。むしろ前に進めるようにしてくれるむちと思って、過去、イエス様を信じる者たちを迫害した自分を赦して、恵みに報わせていただける機会を与えてくださったことに、心から感謝しました。
ある人は「私も主の恵みに感謝して、今までその心が変わりませんでした」と告白します。しかし、使徒パウロの告白と比べられるでしょうか。主の恵みに感謝して生きているといっても、果たしてパウロが味わった苦しみを受けたら、彼のように心から感謝する人がどのくらいいるでしょうか。
使徒パウロの苦しみに比べれば苦しみと言えないささいな困難にも、すぐ絶望して気を落とす人々がいます。また、神の国に忠実であって献身したのに、いざ自分が願うとおりに祝福されないとなると、どうでしょうか。もしかして悲しくなったり、「私は愛されない人みたいだ」と自暴自棄になったりはしなかったでしょうか。もしこのような人に使徒パウロが味わったような苦難がやって来れば、どれほど感謝の告白ができるでしょうか。
使徒パウロは、主に出会った後、一度もその恵みに感謝する心が変わらなかったし、熱い愛が冷めませんでした。ただ主の福音を伝えるために死に至るまで忠実であって、最後は殉教に至る時も感謝の告白だけが出て来ました。「私の人生をこんなふうに終えるんだなあ!」と千々に乱れた心や後悔、無念を感じたのでもないし、恐れによる緊張でこわばった心情ではなおさらありませんでした。むしろあまりにも恋しい主にもうすぐお目にかかれると思うと、喜びで胸がふくらんでいました。
人なら誰でも死の前で緊張するものですが、使徒パウロは希望で満ちていて、喜びと感謝があふれていたのです。このように彼がひどい苦しみの中でも、いのちを失うような状況でも、変わらず感謝の告白をささげられたのは、彼の心がまことに良かったからです。

3. すべてのことに神の良きみこころを信じて感謝した使徒パウロ

使徒パウロは苦しみを通して自分を完全にする神に、いつも感謝をささげました。すべてのことに神の良きみこころを信じて、心から感謝しました。ですから神はパウロを思う存分練ることがおできになったし、結局彼は大使徒として数えきれない魂を救って、神に大いに栄光を帰したのです。
皆さんは「すべての事について、感謝しなさい」(Iテサ5:18)というみことばをどれほど心に耕したでしょうか。すべての事に感謝するとは、良いことにも良くないことにも変わらず感謝することを言います。
すべての事に感謝するのはひとりひとりの善とも深い関係があります。心の良い人はごく小さいことにも感謝します。感謝する条件がある時に感謝するのは誰でもできます。しかし、神を信じる人々は現実にどんな困難があるとしても感謝できます。信じて祈ればどんな問題でも解決してくださる神を望むので、感謝できるのです。また、自分の思いどおりにならなくて、苦しみを受けるとしても、自分を愛しておられる神を信頼して愛しているので、感謝できます。
神の子どもは一生感謝しても報いきれない大なる恵みと愛を頂いて生きていきます。とこしえにむごい地獄の火で苦しむところだったのに、イエス・キリストの尊い血によって罪が赦されて、神の子どもとされる特権を頂きました。たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、健康である祝福を受け、美しい天国で永遠のいのちと祝福を味わえるので、どれほど感謝なことでしょうか。
<第一ペテロ1:7>に「あなたがたの信仰の試練は、火で精錬されつつなお朽ちて行く金よりも尊く、イエス・キリストの現れのときに称賛と光栄と栄誉になることがわかります。」とあります。<ローマ8:18>には「今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。」とあります。
使徒パウロはつかの間受ける信仰の試練を、比べられない栄光として報いてくださる神に感謝しました。このようにすべてのことに神の良きみこころを信じて、心から感謝するとき、神が喜ばれて、さらに大きい感謝の条件を作ってくださるのです。どんな状況でも主に対する恵みと感謝が変わらないで、いのちを尽くして神の国のために忠実であって、神に心が善であると認められますように。


* まとめと適用
1. ( )の中に合う言葉を書いてください。
使徒パウロは主に出会って以後、一度もその( )に感謝する心が変わらなかったし、熱い愛が冷めなかった。ただ主の( )を伝えるために死に至るまで忠実であって、終局は( )に至る時も感謝の告白だけが出て来た。
2. イエス・キリストを信じる人を捕らえて牢に閉じ込めて迫害するのに先立っていたパウロは、どんなきっかけで主を受け入れるようになったでしょうか。

_____________________________________________________________________
3. 使徒パウロが福音を伝えながら受けた苦しみがどうだったのか、<第二コリント11:23~27>を通して感じてみますように。


* 今週の課題
次回は使徒パウロの善の二回目を学びます。最高の善と愛はどのようにしてパウロに現われたでしょうか。<ローマ9:1_3><第二コリント11:28_29>を読んで考えてきましょう。


* 知って力にしましょう
「パウロ書簡」とは
新約聖書のうち、使徒パウロが書いた手紙のことを言う。新約聖書27巻には、使徒パウロが書いた手紙14巻がある。ローマ人への手紙、コリント人への手紙第一・第二、ガラテヤ人への手紙、エペソ人への手紙、ピリピ人への手紙、コロサイ人への手紙、テサロニケ人への手紙第一・第二、テモテへの手紙第一・第二、テトスへの手紙、ピレモンへの手紙、ヘブル人への手紙である。そのうちエペソ人への手紙、ピリピ人への手紙、コロサイ人への手紙、ピレモンへの手紙は、監獄に閉じ込められていながら記したものなので、獄中書簡と言う。

 
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