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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第3課「火の燃える炉から生還したダニエルの三人の同僚」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2015-12-31


読むみことば: ダニエル3:16_18
覚えるみことば: 申命記28:1
参考にするみことば: 出エジプト20:3
教育目標: 神が嫌われることなら徹底的に嫌って、神の御前に信義を裏切らない、真っ直ぐで良い心を耕す聖徒になるようにする。

ダニエルと彼の三人の同僚はB.C.605年、バビロン王ネブカデネザルが南ユダの首都エルサレムを侵略したとき、とりことして引かれて行きました。当時、彼らは少年にすぎませんでしたが、バビロンでとりことして暮らしながらも、神に向けられた信仰を捨てませんでした。その結果、あらゆる文学を悟る力と知恵を与えられたし、知恵と悟りのあらゆる面で国中のどんな呪法師、呪文師よりも十倍もまさっていました。これは、彼らが神に認められる良い心を持っていただけでなく、信仰の行いで神に喜ばれたからです。
それでは、ダニエルの三人の同僚はどれほど良くて美しい心を持っていたので、神が火の燃える炉からも救い出されたのでしょうか。

1. 神が嫌われることなら徹底的に嫌う心

当時、バビロン王は融和政策の一環として、とりこにして捕らえて来た南ユダの王族と貴族の中から、知恵に秀で、知識に富む少年たちを連れ来て、その国の文学とことばとを教えました(ダニエル書1章)。
ダニエルと彼の三人の同僚もこれに選ばれて、三年間カルデヤ人の文学を学んで、王が定めた食べ物を食べなければなりませんでした。この時、彼らに心配なことがありました。それは、王が定めた食べ物に、偶像に供えた物や神が「忌むべきもの」と言われた動物で作った食べ物が混ざっていることがありうるということでした。
それで、ダニエルと三人の同僚は世話役に求め、王さまの食べるごちそうを食べないで、代わりに野菜だけを食べられるように、条件つきで許されました。ひとまず十日間野菜だけを食べてから、王さまの食べるごちそうを食べている少年たちの顔色と見比べてくださいと言いました。十日の終わりになると、彼らの顔色は、王の食べるごちそうを食べているどの少年よりも良く、からだも肥えていました。
神は彼らに知識とあらゆる文学を悟る力と知恵を与えられました。ダニエルは特に、すべての幻と夢とを解くことができました。その結果、ダニエルと三人の同僚は王に仕える者として選ばれました。
とりこの身で王が定める食べ物を断るのは簡単なことではありません。まかり間違って気に触ったら、いのちが危険なこともあります。しかし、彼らは神を心から恐れたので、神が嫌われることはいのちの脅威があっても嫌ったのです。
神がイスラエルの民に偶像に供えた物や忌むべき食べ物を禁じられたのは、それが悪い影響を与えるからです。ここには愛する子どもたちのための神の良きみこころが込められています。まず、忌むべき動物には良くない属性が入っていて、摂取し続ければ、どうしても影響を受けます。また、偶像に供えた物を食べると、自然にそのような文化に染まって、心を守れず偶像を拝みやすいです。偶像礼拝をする人は神の祝福を受けることもできず、結局永遠の死に至るようになるので、厳しく戒められたのです。このような神の愛を知らないで、今日、世界平和、宗教間の和合などを掲げて、神のみこころに逆らう人たちがいますが、これに決して惑わされてはいけません。
ダニエルと彼の三人の同僚のように、神の良きみこころがあると信じて、そのみことばどおり徹底的に守る人がいるかと思えば、大したことと思わないで聞き流す人もいます。このように心の善の程度によって、出て来る行いが違ってきます。
教会の中で守るべき男女間の秩序もそうです。うちの教会は開拓の時から、家族でない以上、男女二人きりで車に乗らないように戒めてきました。肉の属性が残っている限り、男女が二人きりで車に乗ったり、密閉された空間にいたりする場合、問題が起こることもあるので、神が戒められたのです。
また、教会の各機関や部署の財政を思いのままに使ってはならない、と厳しく戒めました。少しの間借用して使ってから返したとしても、その金額がいくら小さかったとしても、神のものに思いのまま手をつけたら、これは盗むかもしれない心があるという証拠だからです。
この他にも聖書には、神が戒められたことがまことに多いです。これをどれほど良い心で守り行っているでしょうか。外から見ては同じようにみことばを守っているとしても、神の良きみこころを心から悟って喜びと感謝をもって守るのと、義務感からやいやいやながら守るのとでは、大きな違いがあります。また、自分の立場と環境にしたがって適当に妥協するなら、これは善とは離れているということを悟り、ダニエルと三人の同僚のように、神が嫌われることなら自分も徹底的に嫌う良い心にならなければなりません。

2. 信仰を守るために妥協しない心

偶像に供えた物や忌むべき食べ物で身を汚さないようとした彼らの心は、歳月が流れて地位が高くなっても変わりませんでした。ダニエルの三人の同僚の環境は異国文化で満ちていましたが、彼らは真っ直ぐな心で、変わらず神の良きみこころに従いました。
ところが、彼らに途方もない信仰のチャレンジがやって来ました。当時のバビロン王、ネブカデネザルがドラの平野に金の像を造って、それを拝めと命じたのです(ダニエル書3章)。誰でも拝まなければ、火の燃える炉の中に投げ込むと脅します。
しかし、ダニエルの三人の同僚はいのちの脅威の前でも、絶対に妥協しませんでした。腹を立てた王は懐柔と脅迫で三人の意志を曲げてみようとします。もう一度機会を与えるから、金の像を拝めというのです。すると、ダニエルの三人の同僚は「私たちはこのことについて、あなたにお答えする必要はありません。」と断固として言います。火の燃える炉の中に投げ込まれるとしても、決して偶像を拝まないということです。これとともに、彼らは「私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。」と大胆に信仰を告白します。王に自分たちが信じる神の全能であることを明らかに伝えたのです。
神に信義を守るために、いのちを失っても絶対妥協しない彼らの心を、神は善と認められました。ところが、彼らからさらに良い告白が続きます。「しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。」と言ったのです。神が自分たちを火の燃える炉から救い出してくださらなくても偶像を拝まない、という悲壮な信仰の告白なのです。
これは決して神が救い出してくださることについて確信がないからではありません。十分に救い出してくださる神を信じますが、そうでなくても神への信頼と愛は変わらないという深い善の告白をしたのです。自分が行うべきことをこのくらいしたから、神もこのくらい自分にしてくださることを願う心ではありませんでした。
彼らは、神の御前で道理を尽くしたのに試練がやって来て、いのちを失うところであっても、決して神を恨んだり、つらいと思ったりしませんでした。霊とたましいの主人である神にすべてをゆだねる、完全な信頼があったからです。また、生き死にが問題なのではなく、神のみこころのうちにいるということだけで充分だ、と思う心でした。
この時、神がネブカデネザル王の心を働かせば、彼らを火の燃える炉に投げ込まないこともあります。それでも結局、彼らは普通より七倍熱くした炉に投げ込まれました。神がそのまま放っておかれた理由は何でしょうか。彼らが火の燃える炉に投げ込まれても変わらない信仰の証しを見せることをご存じだったからです。これを通して誰も反論できない確実な証しになさり、神の栄光を大いに現されました。
王が見ると、熱い火の中に神々の子のような姿の人が彼らとともにいました。シャデラクとメシャクとアベデ・ネゴは、火の燃える炉の中から出て来たのに、その頭の毛も焦げず、上着も以前と変わりませんでした。火のにおいもしませんでした。ネブカデネザル王は彼らを火の燃える炉から守ってくださった神をほめたたえながら、彼らを栄えさせました。
もし皆さんがダニエルの三人の同僚のようにいのちが脅かされる状況に置かれたなら、信仰を守ることができるでしょうか。自分の利益によってああしたりこうしたりする悪賢い心があれば、いざ現実の困難がやって来た場合、信仰を守りにくいのです。ですから、ダニエルの三人の同僚のように、神が嫌われることなら徹底的に嫌って、信仰を守るためにいのちが脅かされても絶対妥協しない善の心を耕しますように。


* まとめと適用
1. 神が偶像に供えた物や忌むべき食べ物を禁じられた理由は何でしょうか。

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2. ダニエルの三人の同僚はネブカデネザル王から懐柔と脅迫を受けたにもかかわらず、どんな告白をしたでしょうか。

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3.神はなぜダニエルの三人の同僚が火の燃える炉に投げ込まれるように放っておかれたのでしょうか。

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* 今週の課題
次回はダニエルの善について学びます。ダニエル書6章を読んできましょう。


* 知って力にしましょう
「肉的な偶像礼拝」と「霊的な偶像礼拝」
「肉的な偶像礼拝」とは、木、石、金属、金、銀などで、人、獣、魚、日、月、星などの形状を作って拝むことを言う。お守りに頼ったり、死んだ人を祭ったりするなど、迷信的で呪術的な行為も偶像礼拝である。
「霊的な偶像礼拝」とは「神より愛するすべてのもの」を言う。自分の欲に従って、親、夫、妻、子どもを神より愛することを意味する。自分自身を最高だと思って愛する人も、自分が偶像になりうる。

 
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