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聖書の学び
Title
第1課「イエス様の系譜に載った異邦の女性ルツ」
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
Date
2015-12-17
読むみことば: ルツ1:16_17
覚えるみことば: マタイ1:1_6
参考にするみことば: レビ25:25
教育目標: 自分を犠牲にして、誠実と真実をもって変わらず道理を尽くしたルツの善を見習って、神に認められる聖徒になるようにする。
1. 心が良くて神を信じるようになったルツ
モアブに住んでいたルツは、激しいききんを避けて移住して来たイスラエルの男と結婚しました。ところが、不幸にもこの家の男たちが子孫を残さないまま、みな死んでしまいます。結局、家には姑のナオミと弟嫁オルパ、そしてルツだけ残りました。やもめ三人で頼り合って暮らしていたある日、姑はユダのベツレヘムが豊作だと聞いて、故郷に帰ろうと決心します。
ベツレヘムに向かっているうち、ナオミは夫も子もないふたりの嫁を憐れんで、実家に帰って平和な暮らしをするようにと勧めました。この時、弟嫁オルパは泣いて帰りましたが、ルツはそうしませんでした。むしろ「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。」(ルツ1:16)と告白して、最後まで姑にすがりついていました。
もしルツに自分の利益を求める心があったなら、人情として一、二回断ってから、姑から別れて帰るように仕向けられて、弟嫁オルパのように勝てないふりをして離れたでしょう。しかし、ルツは良い心を持っていたので、姑をひとり残して離れられませんでした。
ルツの告白には、最後まで姑に仕えるという固い意志とともに、イスラエルの神を拝みますという信仰の決断まで込められています。もともとルツはモアブの女なので、結婚前は異国の神を拝んでいたでしょう。しかし、この家に嫁として来た後は、姑を通してイスラエルの神を信じるようになったので、その神を選択しますという固い意志が込められているのです。
2. 神がルツの善を認められる理由
1)自分を犠牲にして道理に従う心
「道理」とは、人として行うべき正しい道のことを言います。子どもは親に仕え、兄弟間では愛し合い、若者は老人を敬うなど、人が当然守るべき正しい道を歩むとき、道理に従っていると言えます。このように道理とは人が当然守るべきことなので、あえて善と言えないのに、神がルツの行いを善と認められた理由は何でしょうか。
ルツが実家に帰れば親類がいて、再婚して新しい暮らしをすることもできます。しかし、姑について行ったら、慣れない土地ですぐに食べていく確かな方法もありません。しかも姑は年をとっているので、ルツが生活のすべての責任を負わなければならない状況です。また、姑が世を去ったら、夫も子どももなく、外国でひとりぼっちになるでしょう。ですから、姑も嫁たちが故郷に帰って楽に暮らすように勧めたのです。
ところが、ルツは自分の利益を計算したのではなく、犠牲を払ってでも、ひとりになった姑に仕える道を選びました。このように道理に従う善は、家庭だけでなく、職場でも同じです。
前に、ある方が現在勤めている職場より良い条件でスカウトされて、どうすればよいかと聞いたことがあります。自分に利益になるほうを選ぶ前に、まず相談したのは、神の良きみこころに従おうとする心があったからでしょう。もし、自分が苦しいとき、その職場でとても助けられて能力のある社会人になったし、会社で重責を任せられているとしたら、どうするのが善でしょうか。受けた恵みを忘れないのが道理であり、善なのです。どうしても辞めなければならないなら、その職場に害にならないようにすべきでしょう。このように神を信じて、現実の利益をあきらめて道理に従うなら、神は必ずより良いもので報いてくださいます。
信仰にあっても、道理に従う良い心を持っている人は霊的な成長が速いです。このような人は罪から救ってくださった神の愛と主の恵みに感謝するので、神のみこころどおり生きることを当たり前だと思います。信仰生活を始めた最初から、主日を守って十分の一献金をすることが神の子どもの基本的な道理であると知って実践していきます。これは心に道理に従う善があるからです。
時々、流通業や飲食業などに勤めていて、主日を完全に守りにくい方の中で、祈って環境を変えたり、主日を守れる職場に移ったりする方がいます。これが自分の利益ではなく、神を愛して道理に従う心から出たことなら、神がさらに大きな祝福で報いてくださいます。
道理に従う人は十分の一献金をささげるのを惜しみません。自分に与えられたすべてが神のものだと認めるので、その証拠として総収入のうち十分の一をささげなさいという神のことばが苦しかったり重かったりしません。
このように良い心で自分の道理に従う人は、家庭や職場ではもちろん、信仰にあってもすみやかに神の愛と祝福を受けられるように、神が体験を下さり、これを通して信仰を成長させてくださいます。
2)誠実と真実をもって変わらず道理を行う心
人に自由意志を下さった神は、何でも強いられてではなく、自分から進んで誠実に行うことを喜ばれます。ルツは姑の後についてユダの地に来てから、一度も自分の選択を後悔しませんでした。歳月が過ぎて困難がやって来ても、初めと同じ心でまことを尽くして姑に仕えたのです。
姑と一緒にユダのベツレヘムに着いたとき、ルツはすぐ糧から求めなければなりませんでした。幸いなことに大麦の刈り入れの時だったので、落ち穂を拾い集めてかろうじて暮らしていけました。きつい仕事でしたが、彼女は自分の立場に不平を言いませんでした。むしろ姑を養えることに感謝して、誠実に働きました。一日中落ち穂を拾い集めて家に帰ると、姑にその日にあったことをやさしく話しました。実の娘にもまさる真心で、姑の心を推し量り、愛をもって仕えたのです。
姑もルツを実の娘のように愛したし、このようなルツの行いはベツレヘムの人々に知られて、ほめられていました。このように変わらず道理に従って行ったルツは、結局神に祝福され、町の有力者であるボアズの妻になりました。
ボアズは姑の近親者であって、買い戻しの権利がありました(ルツ2:20;レビ25:25)。ルツはボアズに男の子を産みました。彼がまさにダビデ王の祖父オベデです。ルツは異邦の女性ながらも、イエス様の系譜に載る祝福を受けたのです。
心が良い人は、良いことをするとき、何度かしてやめません。自分を犠牲にして、どんな状況でも変わらず善を行うのが、まさに完全である神のみこころを実現することです。今日は心の良い人も珍しいですが、最後まで道理を尽くす人はまことに見つけにくいです。
「長患いに親孝行はなし」という言葉のように、初めは子どもとしての道理に従って病気になった親の面倒をみても、時間が経って病気がよくならないで、巨額の治療費までかかったら、ほとんど心が変わります。自分の立場を嘆いたり、荒々しい言葉で病気になった親を傷つけたりします。
もちろん、子どもたちが自分を犠牲にしてでも親に仕えるのが当然ですが、親の立場からもさびしく思うのではなく、子どもの立場を理解して配慮するのがまことの愛であり、善なのです。互いにこのような愛があれば、人の道理をあれこれ言う必要もありません。
それでは、イエス・キリストを受け入れて神を知り、真理のみことばを学んだ神の子どもたちはどう行わなければならないでしょうか。永遠に死ぬしかない死の道から主の恵みによって救われて、永遠のいのちを約束されました。ですから、受けた恵みに報いるのが人としての道理なのです。しかも、私たちの霊とたましいの父は神であり、私たちはその方の子どもです。
それならば、神が望んでおられることに従って、どれほど子としての道理を尽くしているのか、省みてみますように。特に主の恵みに感謝して「一生主のために献身します」と告白した方々は、その心に変わりがないのか調べなければなりません。はたして家庭の構成員として、教会で霊的な家族の構成員として、良い心で自分の道理を果たしているでしょうか。まことに神を愛する人なら、ルツのように霊肉ともに自分の道理を尽くさなければならないでしょう。そうして、どんな状況でも最後まで善を行い、神の大いなる愛と祝福を受けられますように。
* まとめと適用
神がルツの行いを善と認めてくださった理由は何でしょうか。
第一、自分を犠牲にして道理に従う心だったからである。
第二、( )
* 今週の課題
次回はイスラエルの最も偉大な王ダビデの善について学びます。第一サムエル17章を読んできましょう。
* 知って力にしましょう
「ルツの系譜」
エリメレク________ナオミ
マフロン ルツ キルヨン オルパ
ボアズ
オベデ
エッサイ
ダビデ
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