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聖書の学び
Title
第22課「全家を通じて忠実だったモーセ」
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
Date
2015-12-04
読むみことば: 民数記12:3、7
覚えるみことば: 民数記12:7
参考にするみことば: 出エジプト32:32
教育目標: 出エジプトの指導者モーセのように、悪はどんな悪でも避けて、全家を通じて忠実である御霊の戦士になるようにする。
モーセはエジプトで奴隷として苦しめられていたイスラエルの民を連れ出した、出エジプトの指導者です。彼はわずかな困難がやって来てもつぶやくのが常だった民を、父の心でいつも心に抱いて放しませんでした。信仰のない民だったので、一時も気の休まる日がありませんでしたが、モーセは彼らを自分のいのちより愛して、しもべとして神の家全体のために忠実でした。
1. モーセの出生と時代的な背景
イスラエルの民が住んでいたカナンの地に飢謹がひどく、食物が尽きると、ヤコブと彼の家族はエジプトに移住するようになります。そこはヤコブの息子ヨセフが全土を支配していて、糧の心配をしなくてもよかったからです。彼らはエジプトのゴシェンの地で羊を飼いながら暮らしました。移住した当時、七十人にすぎなかったヤコブから生まれた者は、ますますふえていきました。
歳月が流れて、ヨセフとその時代の人々が皆死んで、ヨセフを知らない人が王位につきました。出エジプト記1章で、新しい王は「イスラエルの民は、われわれよりも多く、また強い。・・・彼らが多くなり、いざ戦いというときに、敵側についてわれわれと戦い、この地から出て行くといけないから。」とイスラエル人を奴隷として働かせて、ひどく苦しめます。それでもイスラエルの民はますますふえ広がったので、新しい王パロはイスラエルで生まれる男の子はみな殺さなければならないと命じます。
モーセはこのような暗鬱な時代に生まれました。彼の両親は三か月間モーセを隠して育てましたが、もう隠しきれなくなったので、パピルス製のかごに入れて川に浮かべます。ちょうど水浴びに来たパロの娘がそのかごを見つけて、かごの中の子どもをあわれに思って、養子とします。神の恵みによってモーセの実の母が乳母として推薦され、パロの娘は子どもを連れて行って乳を飲ませて育てるようにします。
モーセは幼い時、実の母からヘブル民族と神について学び、エジプト王宮で王女の息子として最高の教育を受けて成長しました。しかし、心の一方では、実の母から聞いた神とエジプトで苦しんでいる自分の民族へのあわれみが離れませんでした。
2. 荒野で四十年練られる歳月を過ごしたモーセ
出エジプト記2章で、ある日、モーセはエジプト人が自分の民族であるヘブル人を打つのを見て義憤が起き、彼を打ち殺してしまいます。ところが、次の日、ふたりのヘブル人が争っているのを見て、モーセが悪いほうに「なぜ自分の仲間を打つのか」と言って止めたら、かえって「あなたはエジプト人を殺したように、私も殺そうと言うのか」と言うのです。モーセはエジプト人を殺したことが知れたとわかって、エジプトから逃げ出します。
もしモーセが自分の安逸だけを考えたなら、同族が苦しんでいるのを見ても、自分に害が及ぶのではないかと恐れて、知らないふりしたでしょう。しかし、モーセは自分の民族である神の民とともに苦しむことを選び取りました(ヘブル11:25)。
モーセは王宮を離れてミデヤンの荒野に逃げ、そこでミデヤンの祭司の娘と結婚して、羊を飼いながら暮らすようになります。王子としての自尊心や自信もなくなって、だんだん平凡な羊飼いの生活に慣れていきました。荒野の生活に慣れると、心が練られる時間がやって来ました。自分はすべてを持っている者のようでしたが、実際に現実では何も持っていないと思うと、人生の虚しさが感じられたのです。荒野で羊を飼って四十年の歳月を過ごしながら、自分は何もできないということを徹底的に悟りました。
自分の義憤に勝てないで人を打ち殺したモーセがこのように低くなれたのは、まさに試練があったからです。肉的に見れば、モーセは神のみわざを実現することにあって役に立たない人になったようですが、神は王子として堂々としたモーセではなく、徹底的に低くなったモーセを望んでおられました。それから何年もたって、エジプトの王は死に、イスラエル人の労役の叫びは神に届きました。出エジプト記3章で、神は自分を完全に捨てたモーセを召して、出エジプトの指導者としてお立てになり、大きい使命を下さいます。
3. 地上のだれにもまさって非常に謙遜であったモーセ
謙遜な人はどんな状況でも誰ともぶつからないで、すべての人との平和を追い求めます。自分の考えと教養に合わなくても、心に抱いてあげます。信仰が弱くて悪を現す人にも顔を背けないで、最後まで変えられることを望んで、待ってあげます。
出エジプトの指導者モーセは壮年の男子だけでも六十万人に至るイスラエルの民をエジプトから連れ出して、カナンの地に導く四十年間、多くの困難にあいます。民は神がモーセとともにおられる数多くの不思議としるしを見ながらも、つぶやくのが常でした。そうするうち、神のみこころに逆らって罪を犯し、ついに滅ぼされる危機に置かれます。
この時モーセがどれほどだれにもまさって非常に謙遜であったのか、聖書にはっきり記されています。出エジプト記32章で、モーセが神の命令を受けるためにシナイ山に登ってから降りて来るのに手間取っているのを見て、イスラエルの民は鋳物の子牛を造って神として拝み、放蕩に飲み食いし戯れました。すると神はどれほど御怒りを燃やされたのか、民を絶ち滅ぼすと言われます。
この時モーセは「ああ、この民は大きな罪を犯してしまいました。自分たちのために金の神を造ったのです。今、もし、彼らの罪をお赦しくだされるものなら──。しかし、もしも、かないませんなら、どうか、あなたがお書きになったあなたの書物から、私の名を消し去ってください。」と切なるとりなしの祈りをささげます(出エジプト32:31_32)。モーセはいのちの書から自分の名が消されるとしても、すなわち、地獄に落ちるとしても、民を救ってくださいと神にすがりました。自分のいのちを担保にして、滅ぼされる危機に置かれた民を救ってくださいと言ったのです。モーセの公義を超える愛の求めに、神は思い直されます。モーセは自分を憎んで恨む者であってもいのちを与えられる、最高の善をもって心に抱いたのです。
4. 全家を通じて忠実であるモーセ
「忠実」とは、与えられた使命を完全に果たすのはもちろん、任された職務以上を果たし抜くことを言います。また、「全家を通じて忠実である」とは、自分が属している教会だけでなく、家庭、学校、仕事場、事業の場など、与えられたあらゆる分野で忠実であることです。このように全家を通じて忠実であるためには、自分の心とまこと、時間と物質までも惜しまず犠牲にすることができなければなりません。
<ヘブル3:5>に「モーセは、しもべとして神の家全体のために忠実でした。それは、後に語られる事をあかしするためでした。」とあります。モーセがどれほど自分を低くして任された使命を完全に果たしたのかがわかります。
当時、モーセの使命はイスラエルの民をエジプトから連れ出して、カナンの地に導くことでした。ところが、わずかな困難にあえばモーセにつぶやいて手向かう民をカナンの地に導き入れることは容易ではないことでした。民の指導者になれば、それだけ負わなければならない荷も多く、心理的にプレッシャーが大きく迫って来ます。しかし、モーセは責任を回避したり使命を放棄したりしないで、どんな困難がやって来ても神を信じ、難関を突破して行きました。父のような心で民を抱き、彼らが神が望んでおられる民になるように、最善を尽くして導きました。
イスラエルの民をエジプトから連れ上った日からいのちが尽きるまで、モーセはただの一瞬もゆっくり過ごしたことがありませんでした。モーセが民のゆえに流した涙と、彼らのためにささげた悲しみの祈りは言葉ですべて表現できません。この民を見捨てないで、みこころにあって導いてくださいと、いつも切に祈ったのです。
皆さんはひょっとして「使命が重くてとてもつらい。使命を手放したい」と思ったことはないでしょうか。イスラエルの民をエジプトから連れ出した時から自分のいのちが尽きる時まで最善を尽くした、モーセのことを考えてみてください。全家を通じて忠実であったのに実が少ないと申し訳なく思うモーセの心に似せられて、神に喜ばれる忠実な御霊の働き人にならなければならないでしょう。
* まとめと適用
1.エジプトで奴隷として苦しめられていたイスラエルの民を連れ出した、出エジプトの指導者は誰でしょうか?( )
2.神は王子として堂々としたモーセではなく、どんな姿のモーセを望まれたでしょうか?()
3.神はイスラエルの民が金の神を造って拝み、放蕩に飲み食いしたとき、民を絶ち滅ぼそうとなさいました。この時、モーセは神に何ととりなしの祈りをささげたでしょうか?
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4.モーセがいのち尽きるまで民のために流した涙と悲しみの祈りは言葉ですべて言えません。皆さんは魂のためにどれほど献身して、とりなしの祈りをささげているでしょうか?
* 今週の課題
次回はどんな迫害と困難にあっても感謝した使徒パウロの生き方を通して、まことの信仰とは何かについて学びます。<第二コリント11:23_27>と<ローマ9:1_3>を読んできましょう。
* 知って力にしましょう
「モーセの善」
1.はかない罪の楽しみを受けるよりは、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取った。
2.試練の中でも神を信じ、すべてのことに心から感謝した。
3.地上のだれにもまさって非常に謙遜だった。
4.全家を通じて忠実だった。
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