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メッセージ >
聖書の学び
Title
第20課「あなたはわたしを愛しますか」
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
Date
2015-11-20
読むみことば: ヨハネ21:15_17
覚えるみことば: ヨハネ6:53
参考にするみことば: ヨハネ1:29
教育目標: 主が一番弟子ペテロに言われたとおり、魂の救いに努める働き人になるようにする。
ペテロはイエス様の一番弟子ですが、聖霊を受ける前、死の脅威の前でイエス様を知らないと三度も言ってしまいました(マタイ26:69_70、マルコ14:66_68、ルカ22:55_57、ヨハネ18:17_18)。イエス様が弟子たちと最後の晩餐をなさったとき、「今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」と言われたとおりです。
十字架刑にあわれた後、よみがえられた主は恐れている弟子たちに現れて、疑わないで信じて、大胆に福音を伝えることができるように愛の対話を交わされました。ヨハネの福音書21章には、よみがえられた主が弟子たちに三度目現れたことが記されていますが、再び会った主とペテロの間には、どんな対話があったのでしょうか。
1. あなたはわたしを愛しますか。
ガリラヤの湖で魚をとっていた七人の弟子たちがよみがえられた主に会って、ともに迎える朝は他のどの時よりも幸せでした。前はペテロに恐れがありましたが、よみがえられた主に会った後は、心から信仰が持てて、真実の愛を分かち合える関係になったのですから、どれほどうれしかったでしょうか。
食事を済ませたとき、主はペテロに「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」とお聞きになりました。これはシモンに質問されたのですが、キリストを受け入れて、信仰の岩の上に立ったすべて人々、すなわち、神に認められる多くの主のしもべと働き人たちにお聞きになったと同じことです。
主は三度も「あなたはわたしを愛しますか。」とお聞きになりました。ある人は前にペテロが主を三度知らないと言ったので、それについて責められたのだと言います。しかし、主は、すでに悔い改めて立ち返ったことについて、相手の心を刺すようなお方ではありません。ペテロが主をどれほど愛するのかよくご存じですが、口で告白するようにして、完全に心に刻むようになさったのです。<マルコ12:30>に「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」とあるように、神を第一に愛しなさいという意味が込められています。
2.「わたしの小羊を飼いなさい。」
よみがえられた主の「あなたはわたしを愛しますか。」という最初の質問に対して、ペテロが「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」と答えます。すると主は「わたしの小羊を飼いなさい。」と言われます。
ここで「小羊」とは何を意味するのでしょうか。ある人は、神が聖徒を羊と表現されたので、小羊は初心の者を意味すると言います。これは神のことばを文字だけで解釈したからです。
聖書を詳しく調べてみれば、小羊はイエス様のことを意味しているのがわかります。<ヨハネ1:29>でバプテスマのヨハネはイエス様を見て「世の罪を取り除く神の小羊」と表現しました。レビ記には、子羊をいけにえとしてささげる場面があちこちに記されています。
小羊は、霊的に、全人類の罪を贖うためになだめの供え物として来られるイエス様を意味します。<出エジプト12:1_11>にも「傷のない一歳の雄の子羊を取って火で焼いて食べなければならない。」とあります。
ところで、<ヨハネ6:51_54>で、イエス様が「わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。・・・人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。」と言われています。つまり、小羊であるイエス様の肉を食べて、イエス様の血を飲んでこそ救われて、永遠のいのちを得るようになるということです。
イエス様は「ことばが人となって来られた方」です(ヨハネ1:14)。したがって、イエス様の肉を食べて、イエス様の血を飲むとは、すなわち、神のことばを心によく糧として、それを守り行うことを意味します。
結論として、主がペテロに「わたしの小羊を飼いなさい。」と言われたのは、主の肉と血、すなわち、真理である聖書66巻のみことばで養いなさいという意味です。つまり、福音を伝えなさいという意味なのです。
3.「わたしの羊を牧しなさい。」
主は再び「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」とお聞きになります。この時もペテロは同じように「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」と答えます。すると、今度は主がペテロに「わたしの羊を牧しなさい。」と言われました。
私たちが神を愛して、祈って罪と戦って捨て、命令を守るために熱心に走って行けば、神に認められる働き人になります。そうする時、主は「わたしの羊を牧しなさい。」と言われます。
ここで「羊」とは誰を意味しているのでしょうか。<第一ペテロ5:2_3>に「あなたがたのうちにいる、神の羊の群れを、牧しなさい。強制されてするのではなく、神に従って、自分から進んでそれをなし、卑しい利得を求める心からではなく、心を込めてそれをしなさい。あなたがたは、その割り当てられている人たちを支配するのではなく、むしろ群れの模範となりなさい。」とあります。つまり、羊とは、神の子どもとされた聖徒を指していることがわかります。
したがって、「わたしの羊を牧しなさい。」というみことばは、聖徒たちを熱心に訪問してみことばを教え、祈って真理の中に導きなさいという意味です。ゆだねられた羊の群れに草をよく食べさせて、イエス・キリストをさらに明らかに知って信仰が成長するようにし、試練や患難を避けられるようにみことばを教えて祈ってあげることを意味します。
当時は教会という特定の建物や羊の群れがなかったので、イエス様の弟子たちは歩き回って福音を伝え、教会を建てて羊の群れを作っていきました。今日は、教会を建てて、羊の群れを救いの道に導きながら心を込めて顧みる場合が多いです。主のしもべだけでなく、長老、執事、教師など、務めを受けて羊の群れを牧する人々も、神を第一に愛して、魂を愛して、つまずいた羊の群れを引き起こしていやすなど、正しい道に導かなければなりません。このように熱心に意欲を持って聖霊に満たされて最善を尽くして使命を果たすことがすなわち、羊を牧することです。
4.「わたしの羊を飼いなさい。」
主が三度「あなたはわたしを愛しますか。」とお聞きになりました。するとシモン・ペテロは同じ質問に心を痛めて「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」と答えます。すると主は「わたしの羊を飼いなさい。」と言われます。
ペテロが心を痛めたのは、何かの悪い心があったり、さびしくなったりしたからではありませんでした。自分は主を愛すると告白し、心から主を愛することを主がご存じでも、自分に欠けたところがあることを自ら認めるしかなかったからです。
それでは、主がペテロに「わたしの羊を飼いなさい。」と言われたのはどんな意味でしょうか。イエス・キリストを受け入れた人の中には、信仰がよく成長する人がいるかと思えば、そうでない場合も多いです。変えられるのが遅くて、誘惑に陥る人もいます。このような人々をより大きい愛と仕えで顧みることが羊を飼うことです。病気になって傷ついた羊をいやして健康な羊にし、道に迷った羊を正しい道に導くことなのです。真理の上に正しく立てないで、分裂を起こしてそねんだりねたんだりするなど、牧者を試みる羊も、神の知恵と力に助けられていのちの糧で養うことにより、おとなしい羊にしていくことです。
神を第一に愛すれば、羊を飼う力が天から臨んで、神を愛する羊に変えさせることができます。このように主が三度「あなたはわたしを愛しますか。」とお聞きになった後、「わたしの小羊を飼いなさい」「わたしの羊を牧しなさい」「わたしの羊を飼いなさい」と言われて、その重要性を心に刻むようになさいました。ですから、ペテロのように主に愛されて認められ、さらに信仰と従順、謙遜と仕えで与えられた使命を力いっぱい果たさなければならないでしょう。
* まとめと適用
( ) の中に正しい言葉を入れてください。
1. ( )とは、主の肉と血、すなわち、真理である聖書66巻のみことばで養いなさいという意味である。つまり、福音を伝えなさいという意味だ。
2. ( )とは、聖徒たちを熱心に訪問してみことばを教え、祈って真理の中に導きなさいという意味だ。
3. ( )とは、病気になって傷ついた羊をいやして健康な羊にし、道に迷った羊を正しい道に導くことだ。
* 今週の課題
<ガラテヤ5:22_23>に九つの御霊の実が記されています。何々で、それぞれの霊的な意味は何でしょうか。『このようなものを禁ずる律法はありません』を読んで、次回までに考えてきましょう。
* 知って力にしましょう
「天国のかぎをいただいたペテロ」
イエス様が弟子たちに「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」とお聞きになったとき、ペテロは「あなたは、生ける神の御子キリストです。」と信仰の告白をする。イエス様はペテロの信仰を義とみなして、彼が何でも地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、地上で解くなら、それは天においても解かれていると言われて、天の御国のかぎを下さった(マタイ16:19)。ペテロは聖霊を受けて神の力を授かり、いのちを尽くして主を証しして、十字架に逆さにかかって殉教する。
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