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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第15課「十ミナのたとえ」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2015-10-16


読むみことば: ルカ19:11_27
覚えるみことば: ヨハネ15:26
参考にするみことば: マタイ13:44
教育目標: 賜物として聖霊を受けた神の子どもが霊的な商売がよくして、さらにすばらしい天国に入るようにする。

よく十ミナのたとえとタラントのたとえを同じだと思いますが、この二つの霊的な意味は違います。タラントのたとえは霊的な能力を持ってどれほど使命をよく果たしたかによって、将来主に認められる程度が変わるという内容です。それでは、十ミナのたとえにはどんな霊的な意味が込められているでしょうか。

1. ある身分の高い人が、遠い国に行った。王位を受けて帰るためであった。

<ルカ19:12_13>に「ある身分の高い人が、遠い国に行った。王位を受けて帰るためであった。彼は自分の十人のしもべを呼んで、十ミナを与え、彼らに言った。『私が帰るまで、これで商売しなさい。』」とあります。
ここで「身分の高い人」とは「イエス・キリスト」を意味し、「ミナ」とは「聖霊」を意味します(使徒2:38)。十人が一ミナずつ同じように受けたように、主を受け入れた人々は同じように一つの聖霊を受けます。
「タラントのたとえ」は使命に関することです。それで、それぞれ能力に応じて違うタラントを渡してくださったのです。しかし、ミナは聖霊を意味するので、すべての人が一ミナずつ公平に受けたのです。このように一ミナずつ与えた身分の高い人は、王位を受けて帰るために遠い国に行きました。ここで「遠い国」とは、神がおられる天国のことを言います。
ところで、主は天国に行く前ではなく、よみがえって天に昇られた後、聖霊を遣わしてくださいました。ミナのたとえでは天国に行く前にミナを与えたので、実際と違うように見えますが、ここには深い霊的な意味が込められています。
<マタイ16:28>に「ここに立っている人々の中には、人の子が御国とともに来るのを見るまでは、決して死を味わわない人々がいます。」とありますが、これは主が死の力を打ち砕いてよみがえられて王位を受け、復活のからだで現れるのを見る弟子たちもいるという意味です。
墓に葬られて三日目によみがえられた主は、まずマグダラのマリヤにご自分を現して復活を知らせた後、神がおられる天国に行って、その日夕方、また弟子たちがいた所に現れました。このように主はすでに神のみもとに行って王位を受けられたのに、なぜ身分の高い人が王位を受けるために行く前に一ミナずつ与えたとあるのでしょうか。
ここで「王位」とは、イエス様ご自身のための王位ではなく、救われた聖徒たちのための王位のことを言います。主はよみがえられて王位をすでに受けられましたが、聖徒たちは王位が回復されなかったのです。敵である悪魔・サタンが支配しているこの世で耕作を受けながら、神のかたちを取り戻していく過程があるからです。将来主が空中に降臨されて、聖徒たちが主を迎えるために変えられるとき、救われた聖徒たちの王位が回復されるのです。

2. 私が帰るまで、これで商売しなさい。

身分の高い人が遠い国に行くとき、しもべに一ミナずつ与えて「私が帰るまで、これで商売しなさい。」と言います。主が花婿として来られ、神の子どもたちは花嫁なる資格で主を迎える時が主の空中降臨の時であり、身分の高い人が王位を受けて帰って来て商売したものを調べてみる時です。
それでは、聖霊を誰にでも同じように与えて商売しなさいと言われたのですが、どのようにして商売しなさいということでしょうか。タラントのたとえはおのおのその能力に応じて使命を果たして、多くの人を救うことを「商売」と表現したのですが、十ミナのたとえで言っている「商売」は救いに関することです。つまり、誰でも同じように受けた聖霊で商売して御霊の実を結び、完全な救いに至ることを意味します。
<マタイ13:44>に「天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買います。」というみことばと同じ意味です。
天の御国は畑に隠された宝のようなものだから、それがまことに美しくて良いものだとわかったら、買おうとしない人がどこにいるでしょうか。持ち物を全部売り払ってでも、永遠の天国を買うべきでしょう。
それでは、持ち物を全部売り払って天国を買ったとは、どういう意味でしょうか。自分の中にある真理でないものに属する「肉の思い」や真理にふさわしくない「さまざまの思弁」「肉の願い」など、真理に背くものを捨て、打ち砕いてキリストに服従し、真理の人になっていくことです。このように持ち物を全部売り払ってこそ、天国を所有するようになり、天国はこのように激しく攻める人が奪い取るのです。
したがって、一ミナで十ミナを作ったということは、聖霊に助けられて熱心に罪と戦ってこれを捨てる商売、すなわち、聖められるための商売をするものの、完全に商売して心が聖められたということです。

3. 一ミナで商売したものを清算される主

<ルカ19:15>以下で、身分の高い人が王位を受けて帰って来たとき、金を与えておいたしもべたちがどんな商売をしたかを知ろうと思い、彼らを呼び出しました。あるしもべが一ミナで十ミナをもうけたと言うと、「よくやった。良いしもべだ。あなたはほんの小さな事にも忠実だったから、十の町を支配する者になりなさい。」とほめました。これがすなわち聖められた人が受ける称賛と報いなのです。
また、一ミナで五ミナをもうけたしもべには「あなたも五つの町を治めなさい。」と言いましたが、ほめませんでした。熱心に商売はしましたが、十ミナをもうけたしもべに比べれば半分くらいしか努力しなかったので、行ったとおり報いてくださるのが見られます。
一方、一ミナを商売しないでふろしきに包んでしまっておいて、そのまま出したしもべは責めました。「悪いしもべだ。私はあなたのことばによって、あなたをさばこう。あなたは、私が預けなかったものを取り立て、蒔かなかったものを刈り取るきびしい人間だと知っていた、というのか。だったら、なぜ私の金を銀行に預けておかなかったのか。そうすれば私は帰って来たときに、それを利息といっしょに受け取れたはずだ。」と言いました。
悪いしもべはすでに聖霊を受けたのに、罪を捨てようと努力するどころか、世の人と同じように罪と悪の中で生き、かえって主人に「お預けにならなかったものをも取り立て、お蒔きにならなかったものをも刈り取る方」だとつぶやくだけです。神は罪人を救うためにひとり子さえ惜しまず十字架に渡してくださった愛なる神であり、蒔いたとおり刈り取るようにされ、行ったとおり報いてくださる正しい神であるのに、怖い神、厳しい神と誤解しているのですから、どれほど悪い心でしょうか。
愛なる神は私たちを子どもとされて天国で永遠のいのちと祝福を味わうようにご自身で導かれるのに、このような愛を悟れなくて、かえってつぶやいてばかりいるなら、どうして罪を捨てて聖められ、すばらしい天国に入れるでしょうか。一ミナをそのままふろしきに包んでしまっておいたしもべは、結局悪いしもべだと責められて、一ミナさえ取り上げられてしまいます。これは、罪を捨てようと努力もせず、罪の中で生き続けていて、神から離れて御霊が消されてしまったら救われないという意味です(黙示録3:1~6)。

4. だれでも持っている者は、さらに与えられ、持たない者からは、持っている物までも取り上げられるのです。

神を愛して、熱心にみことばどおり生きて罪を捨てる人々は聖霊に満たされているので、真理にあって喜びと感謝があふれます。しかし、悪い人々は自分の罪を知っていながらも、悔い改めるどころか、かえってつまずきの種を作って悪を行って、結局は救われることもできなくなります。
イエス様が王になることを望まなかった人々はイエス様を殺すために計画を立てて、結局十字架につけました(マタイ27:23)。今日も教会の中でつまずきの種を作って聖霊を冒涜し、汚し、逆らいながら、主を十字架にもう一度かける人々がいます。それで、<ルカ19:24以下>に「その一ミナを彼から取り上げて、十ミナ持っている人にやりなさい。…だれでも持っている者は、さらに与えられ、持たない者からは、持っている物までも取り上げられるのです。ただ、私が王になるのを望まなかったこの敵どもは、みなここに連れて来て、私の目の前で殺してしまえ。』」とあるのです。
ここで「殺す」とは、霊が死ぬことを意味します。アダムが不従順のゆえ霊が死んだように、聖霊によって御霊の人になるための商売をしなければ、受けた聖霊まで取り上げられて、救われないということです。主を受け入れて聖霊を受けたら、一ミナを受けたのです。十ミナをもうければ、良いしもべだとほめられて十の町を支配する者になるので、熱心に商売して聖められて、天国で太陽のように輝きますように。


* まとめと適用
1. ( )の中に正しい言葉を入れてください
(1) 「身分の高い人」とは( )を意味し、「ミナ」とは( )を意味する。十人が一ミナずつ同じように受けたように、主を受け入れた人々は同じように一つの聖霊を受ける。「タラントのたとえ」は( )に関することである。
(2) タラントのたとえはおのおのその( )に応じて使命を果たして、多くの人を救うことを商売と表現したが、十ミナのたとえで言っている商売とは( )に関することである。つまり、誰でも同じように受けた聖霊で商売して、御霊の実を結んで完全な救いに至ることを意味する。

2. 持ち物を全部売り払って天国を買ったとはどういう意味でしょうか。



* 今週の課題
<黙示録22:12>に「見よ。わたしはすぐに来る。わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために、わたしの報いを携えて来る。」とありますが、救いの確信、物質の祝福、天の報いはどうしたら受けられるでしょうか。次回までに考えてきましょう。


* 知って力にしましょう
ミナvsタラント
霊的に聖霊を意味する「ミナ」は金、銀、宝石のような貴金属の重量を測る単位として使われた。タラントの六十分の一に当たる。ユダヤの一ミナはギリシヤの百ドラクマ(ルカ15:8)に当たる。一ドラクマは労働者の一日の賃金である。

 
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