new commer 初めてお越しの方の登録 | ホームページ管理人に
hide
ManminCentralChurch

黙示録講解 | 信仰を測ると | 創世記講解

 
banner
on air
Sermon
Official Service
メッセージ(date)
主日礼拝
主日夕方礼拝
金曜徹夜礼拝
Lecture
ヨハネの手紙第一
黙示録講解
創世記講解
Theme Sermons
十字架のことば
信仰の量り
十戒
愛の章
天国
地獄
Columns
cell bible
 
隠れたマナ
2019年
六日間のマナ・上
六日間のマナ・下
神の良きみこころ

信仰の量り
愛の章
御霊の実
神の七つの御霊
祝福の秘訣
クリスチャンの基本
わたしはそれをしましょう
義人は信仰によって生きる
八つの幸い
2010年
2009年
2008年
隠れたマナ
2019年
六日間のマナ・上
六日間のマナ・下
神の良きみこころ
信仰の量り
愛の章
御霊の実
神の七つの御霊
祝福の秘訣
クリスチャンの基本
わたしはそれをしましょう
義人は信仰によって生きる
八つの幸い
2010年
2009年
2008年
column
counselor
mis_cross_jp
MIS_Spirit
MIS_HolySpirit
MIS_HolySpirit
 
聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第5課「どうすれば答えられるのか」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2015-08-07


読むみことば: 第一ヨハネ3:21_22
覚えるみことば: 第一ヨハネ3:22
参考にするみことば: マルコ11:24
教育目標: 神の子どもが祈っても答えられない理由と、すみやかに答えていただける秘訣を教える。

<第一ヨハネ5:14_15>に「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。」とあります。これは神のみこころが何か悟って、そのみこころにかなう願いをする者は、求めることは何でも答えられるということです。
それでは、マタイの福音書15章に記されているカナン人の女は、どのように悪霊に取りつかれている娘の問題に答えていただくことができたのでしょうか。



1. へりくだって最後まで信仰を見せたカナン人の女

カナン人の女はイエス様が死んだ者を生き返らせて、悪霊を退け、数多くの人をいやされるという噂を聞いて、切に慕っていました。イエス様なら悪霊に取りつかれている娘を直してくださる、と信じたからです。
折しもイエス様がある所におられるという噂を聞きました。その女は機会を逃さないで出て来て、叫び声を上げながら「主よ。ダビデの子よ。私をあわれんでください。娘が、ひどく悪霊に取りつかれているのです。」と言います。ところが、イエス様は一言もお答えにならなかったし、彼女を帰してやってくださいと言う弟子たちに「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外のところには遣わされていません」とお答えになります。
すると女はイエス様の前にひれ伏して、もう一度「主よ。私をお助けください」と頼みます。それでもイエス様は「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです」と言われます。これは、答えていただきたいと願うカナン人の女の信仰をテストするためでした。
信仰がなければ、ほとんどの場合「私は犬扱いされた」とひどく自尊心が傷ついて、怒ってその場から立ち去ったり「私は答えられそうもない」と気を落としてしまったりしがちです。しかし、その女は「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」と言って、徹底的に自分を低くして最後まで信仰を見せます。するとイエス様が「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」と言われると、彼女の娘はその時から直りました。
このようにカナン人の女が答えていただけた理由は何でしょうか。彼女の心が良くて柔和なうえに、自分を徹底的に低くし、神のみこころにかなうように最後までイエス様に求める信仰を見せたからです。



2. 祈っても答えられない理由

神は愛する子どもたちの祈りに必ず答えてくださいます。<ヨハネ14:13>で、イエス様も「またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。」と約束されました。ところで、熱心に信仰生活をしていて、祈っているつもりなのに、答えられない理由は何でしょうか。
第一に、不義をいだいて祈るからです。
<詩篇66:18>に「もしも私の心にいだく不義があるなら、主は聞き入れてくださらない。」とあります。人の心にいだく不義があるなら、敵である悪魔・サタンが妨げるので、神に答えていただくことができません。神の御前で自分の罪を徹底的に悔い改めて求める時でこそ、祈りの答えが臨むのです。
第二に、兄弟と仲たがいした状態で祈るからです。
<マタイ18:35>に「あなたがたもそれぞれ、心から兄弟を赦さないなら、天のわたしの父も、あなたがたに、このようになさるのです。」とあります。自分が兄弟を赦さないなら、神も自分の罪をお赦しにならないので、答えていただけません。ですから、夫婦の間で、親子の間で、兄弟の間で、隣人の間で、同僚の間で平和が壊れたなら、まず仲直りしなければなりません。
第三に、欲をもって祈るからです。
物質を求める場合、神の国のために、貧しい人に施しをして、魂を救うために使おうとする目的なら、神の栄光のためのことなので、その信仰のとおり答えられます。しかし、娯楽のためとか隣人へのライバル意識など、悪意をもって求めるなら、それは欲であって、悪い祈りなので、答えていただけないのです。
第四に、疑いながら祈るからです。
<ヤコブ1:6_7>に「ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。」とあります。<マルコ11:24>には「だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」とあります。現実的にいくら不可能なように見えても、信仰の父アブラハムのように少しも疑わなければ、神がその信仰を喜ばれて、答えてくださいます。
第五に、戒めを守らないで祈るからです。
<ヨハネ14:21>に「わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。」とあります。戒めを守る時でこそ神を愛すると言えるし、神に愛されることができます。私たちが神の命令を守り、神に喜ばれることを行っているなら、大胆に神の御前に出ることができ、求めるものは何でもいただくことができます(第一ヨハネ3:21_22)。しかし、命令を守らなければ、神を愛さないということなので、祈りの答えが与えないのです。
第六に、信仰によって蒔かないで祈るからです。
<ガラテヤ6:7>に「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。」とあります。神の御前に祈りを蒔けばたましいに幸いを得る祝福が臨み、物質を蒔けば物質の祝福をいただくようになります。また、奉仕を蒔けば健康である祝福が臨むなど、蒔いたとおり刈り取ることができます。したがって、神に答えていただくためには、信仰によってまめに蒔かなければなりません。



3. すみやかに神に答えられるには

1)信仰を持って祈らなければなりません
私たちが心の戸を開いて、神のことばを信じて聞き従い、そのとおり守り行うとき、神が上から霊の信仰を与えてくださいます。このような霊の信仰を持って神のみこころのとおり祈る時に、すみやかに答えていただくことができます。
2)目的のある祈りをしなければなりません
ある事に対して目的がはっきりしていると、推進力があって早く成就できます。しかし、目的なしに働けば、多くの時間を浪費するようになり、途中でうやむやになりがちです。私たちが祈る時も、明確な目的がなければなりません。目的がはっきりしていると、同じ言葉を繰り返して祈りません。目標としたことを実現するために、さらに切に具体的に祈るようになるのです。これを通して答えられる体験をしながら、さらに神にゆだねる生き方になり、信仰も成長します。
3)愛の祈りをしなければなりません
イエス様は何の罪もないご自身を十字架につけた者たちのためにも、赦しと愛の祈りをおささげになりました。神を知らないで死の道に向かっている人々を憐れんで、切に祈られたのです。このような主の愛によって私たちには救いの道が開かれるようになり、私たちは価なしに救いの恵みをいただいたので、魂のために愛をもって祈らなければなりません。また、神の国と義を求めて、仕えている牧者と聖徒たちのために祈らなければならないのです。
もし私たちがただ惰性に流されて祈るなら、愛の祈りとは言えません。神を愛する心で、義に飢え渇いている心で、教会と牧者と魂のためにささげる祈りが真実の愛の祈りと言えます。
たとえば、聖殿建築のために祈るとき、自分の家を建てることより切なる心で祈ります。聖殿建築に必要な土地と財政、設計と法的な手続き、働き人と技術、天気など、一つ一つ具体的に祈るのです。また、周りの人々の心までもつかさどって、妨げられないですべてが順調に進むようにと祈り、聖殿が完工する時まで安心しません。
魂のための祈りも同じです。彼らの問題を自分のことのように思って、彼らの心になって祈るようになります。仕えている牧者のために祈る時も、主のみこころを完全に実現してほしいと願う切なる心と、聖徒が真理の中を歩んでほしいと気をもみながら望んでいる牧者の心で祈ります。

自分はどんな祈りをしているのか、信仰と愛をもって答えられる祈りをしているのか、それとも形式的に祈ってはいないのか、自分をチェックして、神の答えと祝福をいただきますように。



* まとめと適用

1. スロ・フェニキヤの女が異邦人でありながら答えをいただけた秘訣は何だったでしょうか。

_______________________________________________________________________

2. 私たちがすみやかに答えられるためには、どんな祈りをささげなければならないでしょうか。
①(    )を持って祈らなければならない。
②(    )のある祈りをしなければならない。
③(    )の祈りをしなければならない。

3. 祈っても答えられない理由は何でしょうか。
①(    )をいだいて祈るからである。
②兄弟と(    )した状態で祈るからである。
③(    )をもって祈るからである。
④(    )ながら祈るからである。
⑤(    )を守らないで祈るからである。
⑥信仰によって(    )ないで祈るからである。



* 今週の課題
信仰によって答えをいただくためのもう一つの秘訣が<マルコ9:17_29>に記されています。次回までにこの箇所を読んで、その秘訣とは何か考えてきましょう。



* 知って力にしましょう

「カナン人の女」(マタイ15章)
スロ・フェニキヤの生まれだったので「スロ・フェニキヤの女」とも言う(マルコ7:26)。「スロ・フェニキヤ」はパレスチナの北部シリヤ地域の「フェニキヤ」の過去の地名である。良い心を持っていたスロ・フェニキヤの女はへりくだって美しい信仰の告白をして、心の願いのとおり悪霊に取りつかれていた娘がいやされた。

 
ManminCentralChurch
73, Yeouidaebang-ro 22-gil, Dongjak-gu, Seoul, Korea
- tel 82-2-818-7000 - fax 82-2-851-3846
COPYRIGHT MANMIN CENTRAL CHURCH, ALL RIGHTS RESERVED