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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第4課「求めなさい、捜しなさい、たたきなさい」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2015-07-31


読むみことば: マタイ7:7_11
覚えるみことば: マタイ7:11
参考にするみことば: 第三ヨハネ4
教育目標: 神に答えられて祝福されるために、何を求めて、捜して、たたかなければならないのか調べてみる。

親の立場では、かわいい子どもが何かを求めるとき、当然それを聞こうとします。まして全知全能で愛そのものである父なる神のお心はどうでしょうか。求めることは何でも答えてあげたいのですが、それも最も良いものを与えることを望んでおられます。
それで、<マタイ7:9_11>で「あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。」と言われたのです。



1. 求めなさい。そうすれば与えられます

<マタイ7:7>で、神の御子として人となってこの地上に来られたイエス様が「求めなさい。そうすれば与えられます。」と言われました。このみことばの中には、私たちが神の子どもとされる祝福を受けることを望んでおられる主の愛の心がぎっしり込められています。それでは、神の子どもたちはイエス・キリストの御名によって何を求めなければならないでしょうか。

第一に、御力と御顔を求めなければなりません。
<詩篇105:4>に「【主】とその御力を尋ね求めよ。絶えず御顔を慕い求めよ。」とあります。まず、「御力を求める」とは、創造主の神を信じる信仰を求めるという意味です。信仰生活をすることにおいては、必ず信仰、すなわち、神の力が必要です。自分の意志と努力では30分祈ることも難しいけれど、神がその御力によって強くしてくだされば、1時間、2時間も聖霊に満たされて祈れます。世の人々が酒、タバコをやめようとするなら難しいけれど、神が強くしてくだされば、一気にやめることもできます。私たちが罪を捨てて神のことばのとおり生き、世に打ち勝つことにおいても、御力がなければなりません。
次に、「御顔を求める」とは、文字どおり神の御顔を見ることを願うという意味ではなく、神がどなたなのか知ろうと努力する、という意味です。主を受け入れて、礼拝に参加して「神様がなぜ私たちのお父様であられるのか」「なぜことばが神であるのか」聖書を通して神を知っていくことが神の御顔を求めることです。

第二に、神の国と義を求めなければなりません。
イエス様は「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」と約束されました(マタイ6:33)。それでは、「神の国を求める」という意味は何でしょうか。すべての人が神の子どもとされるように、魂の救い、すなわち、世界の福音化のために祈りなさい、という意味です。また、「神の義を求めなさい」とは、神が聖であることに似せられて、聖められるように祈りなさい、という意味です。私たちが罪を捨てて真理のとおり行って、聖められることがまさに神の義を実現することです。神の義を求めて、たましいに幸いを得ている人はすべての点でも幸いを得、また健康である祝福が臨むのがわかります(第三ヨハネ2)。

第三に、働き人になるために、使命を果たすために求めなければなりません。
神の国と義を求めた後は、働き人になるために祈らなければなりません。働き人になった人は使命をよく果たすために求めなければなりません。神は神を求める者たちに報いを下さり、それぞれのしわざに応じて報いてくださいます。
<黙示録2:10>に「死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。」とあります。世でも熱心に勉強すれば良い大学に入れるし、職場で熱心に働けば昇進して、より良い待遇を受けます。同じように、主にあっても与えられた使命をよく果たせば、神に愛されて認められ、より大きい使命が与えられて、多くの報いをいただくようになります。天国で受ける報いはこの地上で受けるものと比べられないほど輝かしいものなので、神の尊い働き人になるために切に求めますように。

第四に、日ごとの糧を求めなければなりません。
この世で生きていきながら必要な衣食住に関するものなどを求めなければならない、という意味です。衣食住、職場、事業の場、健康など、肉的な分野でも神に答えられてこそ、神の国を実現するのに十分に使えます。「神様は私の事情よくご存じだから下さるだろう」とじっとしているのではなく、主が教えてくださったとおり「私たちに日ごとの糧をお与えください。」と祈らなければなりません。
ところが、いくら求めても下さらない場合があります。<ヤコブ4:3>に「願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。」とあるように、自分の快楽のために使おうとして願う場合です。まかり間違えば、欲がはらんで罪を犯し、死の道に行くこともあるのに、愛なる神がどうして答えることがおできになるでしょうか。



2. 捜しなさい。そうすれば見つかります

はたして私たちが何を失ったので、イエス様が捜しなさいと勧められたのでしょうか。それは失った神のかたちです。最初の人アダムは神のかたちに似せて造られた生きものでした。悪が全くないので、神と交わりながらエデンの園で豊かに生きていました。ところが、神が、食べると「必ず死ぬ」と言われた善悪の知識の木から取って食べる不従順の罪を犯したので、結局死ぬようになりました。ここで「死」とは、単に息が絶える肉体の死のことを言うのではなく、「霊の死」を意味します。
もともと人は神と交われる霊と、霊に支配されるたましい、そして霊とたましいの幕屋である肉で創造されました(第一テサロニケ5:23参照)。ところが、神の命令を破ると、人の主人である霊が死んでしまったのです。アダムの霊が死んでいなかった時は神と交わっていましたが、罪のゆえに霊が死ぬと、これ以上交わることができなくなりました。このように罪を犯したアダムと彼の血を引いたすべての人は霊が死んで、神のかたちを失ってしまいました。そして、敵である悪魔・サタンがそそのかすまま、情欲的でむなしいことを追い求めて、獣にすぎないように生きていくようになったのです(伝道者3:18)。
このように人の本分を失って罪と悪の中で生きていた私たちが人間らしく生きようとするなら、死んだ霊が生き返らなければなりません。そうしてこそ、失った神のかたちを取り戻すことができるのです。死んだ霊が生き返るためには、イエス・キリストを受け入れて、賜物として聖霊を受けなければなりません。聖霊は私たちの心のうちに来られて、死んでいた霊を生き返らせ、神が嫌われる闇のわざを捨てられるように助けてくださいます。御霊によって霊を生み続け、真理のとおりに行っていくことがまさに御霊の人に変えられる過程であり、失った神のかたちを取り戻していくことです。



3. たたきなさい。そうすれば開かれます

<黙示録3:20>に「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」とあります。主がまず私たちの心をたたいてくださいました。伝道する人やいろいろな方法を通して、または天下万物に込められている神の神性と力を感じるようにさせて、救い主であるイエス様を受け入れるようにしてくださったのです。
今は私たちが神の心の戸をたたく番です。イエス様が「たたきなさい。」と言われましたが、これは「天の戸」、すなわち、神の心をたたきなさいという意味です。
それでは、神の心の戸をどのようにたたかなければならないでしょうか。神の心の戸をたたくとは、すなわち、神のことばのとおり行うことを言います。<第三ヨハネ4>に「私の子どもたちが真理に歩んでいることを聞くことほど、私にとって大きな喜びはありません。」とあります。子どもが親を喜ばせると、親は何でも与えたいと思います。このように私たちが真理、すなわち、神のことばのとおりに行うとき、神がとても喜ばれて、答えと祝福を下さるのです。
また、神の心の戸を開けられるのは、芯から心を砕いて罪を告白することです。私たちが過ぎし日の過ちを徹底的に悔い改めて変えられるとき、神が喜ばれます。「【主】は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる。」とあります(詩篇34:18)。

このように聖書に記されているとおり、求めて、捜して、たたけば、神に喜ばれる幸いな聖徒になり、求めるものは何でも答えられることができるのです。



* まとめと適用

(    )の中にふさわしい言葉を入れてください
1. 「御力を求める」とは、創造主の神を信じる(    )を求めるという意味である。信仰生活をするには必ず信仰、すなわち、神の力が必要である。
「御顔を求める」とは、文字どおり神の御顔を見ることを願うという意味ではなく、(    )がどなたなのか(    )と努力するという意味である。

2. 「神の心の戸をたたく」とは、神のことばのとおり(    )ことを言う。私たちが神のことばのとおり行うとき、神がとても喜ばれて、答えと祝福を下さる。また、神の心の戸を開けられるのは、芯から心を(    )いて罪を(    )することである。

3. 私たちが何を失ったので、イエス様は捜しなさいと勧められたのでしょうか。

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4.<第三ヨハネ4>を覚えて書いてみてください。

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* 今週の課題
皆さんが祈って答えをいただくためにはどうしたらよいでしょうか。答えられない場合、何が問題でしょうか。次回までに考えてきましょう。



* 「用語」を知って力にしましょう

「神のかたちに似せられて創造された人」とは
人の外見の姿だけが神のかたちに似せられて創造されたのではなく、人の根本である霊が神から与えられて、聖なる神に似せられた存在として造られた、という意味である。

 
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