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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第20課「みことばどおり行おうと努力する信仰の二段階」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2015-06-05


読むみことば: ローマ7:21_25
覚えるみことば: 第一コリント9:25
参考にするみことば: ローマ8:26
教育目標: みことばどおり行おうと努力するけれど、真理の心と真理でない心が五分に戦うので、最もつらく感じられる信仰の二段階について調べてみる。

赤ちゃんが生まれると名前を戸籍に入れるように、私たちが主を受け入れて聖霊を受ければ、天国のいのちの書に名が記されて、神の子どもとされる特権を得ます。この時がまさに信仰の一段階です。
しかし、真理を知らないので、世と区別された生き方ができなくて、主を信じる前とあまり変わらない姿で生きていきます。神のことばを聞いて学んだとおり行おうと努力するとき、初めて信仰の二段階に至ることができます。



1. みことばどおり行おうと努力する信仰の二段階

信仰の二段階は「みことばどおり行おうと努力する信仰」です。この時は真理のとおりに行おうと努力はしますが、行う時もあり、行えない時もあります。たとえば、「安息日を完全に守りなさい」と言われているのに、家や職場で何かあれば、たまに主日を完全に守れません。みことばに聞き従って、絶えず祈ろうとはしますが、忙しいことがあれば、祈りをやめます。試練と患難にあえば喜んで感謝しようと努力はしますが、ある限界点で耐えられなくて、願望と不平を吐き出します。自分の考えと思いに合わない相手に出会えば、初めは理解してみようと努力するが、ある瞬間に至れば爆発して、憤って、けんかしたりもします。このように肉の行いを捨てられない姿がまさに小さい者たちの信仰(第一ヨハネ2:14)、すなわち、信仰の二段階に属します。
神は信仰の年数や務めの高い低いで信仰をさばかれません。どれほど神のことばどおり行ったかによって、信仰の有無を見分けられます。だからと言って、信仰が二段階だと気を落とす必要はありません。あきらめないで努力していけば、神が必ずより大きい信仰に導いてくださるからです。たとえ当座はみことばどおり完全に行えなくても、変えられようと努力するその姿を、神は喜ばれます。
火のように祈って、神に強くされることを求めて、みことばどおり行おうと努力していけば、自分でも変えられるのを感じることができます。前は十回罪を犯したのに、九回、八回、五回、三回、一回とだんだん減って、ついには罪を犯さない人に変えられます。このように変えられるほど、だんだん信仰の三段階へと成長していくのです。



2. 信仰生活の中で最もつらい信仰の二段階

信仰の二段階の聖徒は信仰生活が難しく感じられるかもしれません。知識的には神のことばを知っていて、罪と義とさばきについて学びました。しかし、心では相変わらず世が好きで、真理でないことを行いたいのです。みことばどおり生きようとする心と、罪を犯そうとする心が対等で、信仰生活が最もつらい段階です。罪を犯そうとする心が強ければ、神のことばを知っていながらも行えないので、だんだん聖霊に満たされないようになって、心が悩むようになり、信仰生活をおろそかにします。
しかし、御霊はこのように弱い人であってもあきらめないで、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。<ローマ8:26>に「御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。」とあるとおりです。
信仰の一段階の時は罪が罪であることも知らなくて、罪を犯しても苦しく感じたり、御霊のうめきを感じたりすることもできません。しかし、信仰の一段階を過ぎて、信仰の二段階になれば、罪を犯したとき、心が悩むようになり、聖霊に満たされないようになって苦しみます。「こうしてはいけないのに…」と御霊がうめかれるのを感じます。
信仰の二段階はみことばを行うとき、神のみこころを心から悟って行うのではありません。真理を学んだから義務的にみことばに聞き従おうと努力するだけです。たとえば、「安息日を守りなさい」と言われる神のみこころを悟った人は主日を守ることが難しくありません。神に礼拝して、賛美して、聖徒と交わることがこの上なく幸せです。もし誰かが主日に映画を見に行こうと言っても、言下に断ります。
しかし、「安息日を守りなさい」というみことばを心から悟れなかった人は、疲れればためらいます。家で休みたくて「インターネットで礼拝をささげてはいけないだろうか」と葛藤が生じます。友だちが主日に旅行に行こうと言えば、「主日を守らなければならない」という心と「旅行に行こうか」という二つの心が対立します。
このように信仰の二段階では、みことばどおり行おうとさせる御霊と、世を追い求めようとする肉の願うことが戦います(ガラテヤ5:17)。この時、世を追い求めようとする心が強ければ、主日を守らない可能性が大きくて、御霊を追い求めようとする心がもっと強ければ、主日を守れます。
このような戦いが最も激しい時がまさに二つの心が50対50である時です。真理の心か真理でない心か、片方の力がけた外れに強ければ、強い方に傾くでしょうが、両側がきっ抗しているので、信仰生活がつらく感じられるのです。
<ローマ7:22_24>に「すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」とあります。善を行うことを願う真理の心と、神のことばに逆らって、不正、不法を行うことを願う真理でない心が戦うので、みじめに感じてつらいという意味です。
この時、早く勝てる方法は絶えず祈って、みことばどおり生きるために努力することです。真理を行うほど真理でないものを追い求めようとする心はますます弱くなって、神のことばを守るのが楽になって、信仰生活が楽しいです。
このように信仰が成長して、ついにみことばどおり行えるようになると、信仰の三段階に入ります。信仰の一、二段階が「乳飲み子の信者」ならば、信仰の三段階はみことばどおり行える「堅い食物を食べる信者」と言えます。



3. 信仰の二段階の聖徒が入る天国の場所

神は少しでもみことばどおり生きようと努力したことを信仰と認めて、個人の好みに合わせた天国の家と冠を下さいます。信仰の二段階の聖徒の天国の場所は「一天層」であり、個人所有の家はこの地上の多世帯住宅やアパートのような形態です。
内部に美しく飾られたエレベーターがありますが、ただ乗りさえすれば、望む所に止めてくれます。家の中にはすべてのものがよく整えられているので、生活するのに少しも不自由ではありません。音楽が好きな人には楽器があって演奏できるし、本が好きな人には本を読んでゆっくり休める空間が用意されています。
また、美しい庭園が多くて、こんもりとした森が茂った広い公園とさまざまな施設が備えられています。珍しい多様な乗り物をそろえた遊園地とプール、ゴルフ場など、多くのスポーツ施設もあります。
ところが、このような施設は共同で利用します。この地上でアパートの中に作られている公園やスポーツ施設などを共同で利用するのと同じです。信仰の一段階の聖徒が入るパラダイスでは、御使いたちがすべての施設を管理するだけで、助けてはくれませんが、一天層では御使いに助けられることができるので、次元が違う楽しみを味わえます。たとえ個人に属して面倒を見てくれる御使いはいないとしても、必要な場所はどこにでも御使いたちがいて、いろいろ助けてくれるので幸せなのです。
<第一コリント9:25>に「また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。」とあります。たとえ真理でないものがたくさん残っているとしても、みことばどおり生きようと努力したことを認めて、朽ちない永遠のものを望んで信仰の競走に参加した代価として、神は信仰の二段階の聖徒に「朽ちない冠」を報いとして下さいます。
天国は霊である神がおられるところなので、うっとりするほど美しいし、いつも幸せと喜びがあふれています。神は愛する子どもたちが最も美しい天国、新しいエルサレムに入ってくるのを待ちかねておられます。ですから、熱心に信仰の行軍をして、さらに大きい信仰を所有しますように。



* まとめと適用

1. ( )の中に正しい言葉を入れてください
信仰の二段階は( )どおり行おうと( )段階である。

2. 次のうち、信仰の二段階に該当するものを選んでください。
①一天層 ②朽ちない冠 ③信仰生活の中で最もつらい段階
④多世帯住宅やアパート ⑤個人的に面倒を見てくれる御使いがいる
⑥小さい者たちの信仰

3. 信仰の一段階と二段階の違いは何でしょうか。

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4.長い間信仰生活をしたのに、相変わらず信仰の二段階にいたら、神様との間の隔ての壁になります。皆さんは信仰が成長し続けているでしょうか。

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* 今週の課題

次回は信仰の三段階について学びます。<マタイ7:24_27>を読んで、三段階の信仰とはどんな信仰なのか考えてきましょう。



* 「用語」を知って力にしましょう

「肉」と「肉の行い」とは
「肉」とは、霊的に私たちの心にある真理でない属性が行いとして現れるものを総称する。憎しみ、ねたみ、姦淫、高ぶりなど、潜在している真理でないものが暴力、悪口、殺人など、具体的な行為として現れたのである。このような罪を一つ一つ分類したものを「肉の行い」と言う。

 
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