new commer 初めてお越しの方の登録 | ホームページ管理人に
hide
ManminCentralChurch

黙示録講解 | 信仰を測ると | 創世記講解

 
banner
on air
Sermon
Official Service
メッセージ(date)
主日礼拝
主日夕方礼拝
金曜徹夜礼拝
Lecture
ヨハネの手紙第一
黙示録講解
創世記講解
Theme Sermons
十字架のことば
信仰の量り
十戒
愛の章
天国
地獄
Columns
cell bible
 
隠れたマナ
2019年
六日間のマナ・上
六日間のマナ・下
神の良きみこころ

信仰の量り
愛の章
御霊の実
神の七つの御霊
祝福の秘訣
クリスチャンの基本
わたしはそれをしましょう
義人は信仰によって生きる
八つの幸い
2010年
2009年
2008年
隠れたマナ
2019年
六日間のマナ・上
六日間のマナ・下
神の良きみこころ
信仰の量り
愛の章
御霊の実
神の七つの御霊
祝福の秘訣
クリスチャンの基本
わたしはそれをしましょう
義人は信仰によって生きる
八つの幸い
2010年
2009年
2008年
column
counselor
mis_cross_jp
MIS_Spirit
MIS_HolySpirit
MIS_HolySpirit
 
聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第2課「善の段階(2)」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2016-01-22


読むみことば:ローマ12:2
覚えるみことば:マタイ5:39
参考にするみことば:マタイ5:39-42
教育目標:善の三段階と四段階について知って、さらに高い次元の善の心に変えられ、神の愛と祝福を思いきり味わう。

前回は完全な善に至る過程を四段階に分けて、一、二段階について調べました。悪をもって悪に報いるのではないが、気まずくなったり気に入らなくなったりするのを抑えて我慢する一段階の善、心にどんな悪い感情もいだかない二段階の善を超えて、三、四段階の善の心になるためには、どうすればよいでしょうか?



1.相手を感動させる三段階の善

善の三段階は、悪を行う相手にも善を行って、むしろ感動を与えることができる善の次元です。心に悪がないので、単に悪をもって対抗しない善の二段階が消極的な善の段階とすれば、悪をもって対抗しないところにとどまるのではなく、むしろ善をもって悪に報いる善の三段階は、積極的な善の段階と言えます。
このような善の段階に入った人は「全く聖なるものとされた」と言えます。神のことばに「してはならない、避けなさい」とあるように、肉の性質を完全に脱ぎ捨てて、悪はどんな悪でも避けただけでなく、「しなさい、守りなさい」というみことばも完全に心に臨んだ状態です。
たとえば、<マタイ5:39-42>に「しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着もやりなさい。あなたに一ミリオン行けと強いるような者とは、いっしょに二ミリオン行きなさい。求める者には与え、借りようとする者は断らないようにしなさい。」とあります。このようなみことばを心から自然に行える人なら、善の三段階に入ったのです。
自分の損得を先に計算しないし、善を行うためには自分の犠牲も気にしません。また、自分に敵のように対する人がいても、「どうすればその人の心を解いて平和をつくろうか」だけを考えるのです。善の深い段階に入るほど、現実では自分を犠牲にすることもありますが、心が善で満ちている人は善を行うこと自体がうれしくて楽しいので、つらく思いません。
重要なことは、霊的には罪がないことが力であるので、悪を捨てて善の心に変えられたほど、霊的な光も強く現れることです。善の二段階にだけ入っても、霊的な光のため敵である悪魔・サタンが働けないので、試練や患難や迫害が退いて、試練がやって来ても善をもって通り抜けて、かえって祝福されるようになります。
まして善の三段階に入るなら、悪い者が触れることができないだけでなく、敵である悪魔・サタンの策略を打ち砕けます。たとえば、悪を行う相手の心が良い言葉と行いに感動して、悪を悔い改めて立ち返るみわざが起こります。これは、善を行う人の霊的な光があまりにも強くて、相手に働く敵である悪魔・サタンが退いて、その相手の心に残っている小さい善にまでその光が届いたから起こることです。したがって、善とは、単に心が良いから負けてあげて、すべてを渡すような弱いものではなく、敵である悪魔・サタンを退けて、その策略も打ち砕いてしまう、大きい威力を持っているのです。
ダニエルの場合、不当にも陰謀にはまって獅子の穴に投げ込まれましたが、陰謀を企てた人々に対して少しも悔しい気持ちもなく、恨みもしませんでした。王が自分の命を助けてくれなかったからといってむなしく思わなかったし、神が働かれて獅子の穴から生きて帰った時も、ただこの上ない仕えを表す言葉で王に告白します。「王さま。永遠に生きられますように。私の神は御使いを送り、獅子の口をふさいでくださったので、獅子は私に何の害も加えませんでした。それは私に罪のないことが神の前に認められたからです。王よ。私はあなたにも、何も悪いことをしていません。」と言ったのです(ダニエル6:21-22)。
このように善の言葉を聞くと、どれほど王の心の琴線に触れたでしょうか。王はダニエルに害を及ぼそうとした人々に直ちに罰を与え、ダニエルを輝かせただけでなく、全国にダニエルの神を尊重するように命令しました。ダニエルのように相手を感動させる三段階の善に至れば、神がいつもともに歩まれ、何でも心にいだいたとおりに答えてくださいます。
ところで、これよりさらに高い次元の善があります。ダニエルも三段階の善にとどまったのではなく、最も高い次元の善の心になって、新しいエルサレムでも尊い座に至りました。ひょっとして「私はまだ悪も完全に捨てていないのに、いつ善の二段階を過ぎて三段階に至るだろうか」と思う方がいるでしょうか? 神は「善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。」(ガラテヤ6:9)と言われたので、まだ悪を完全に捨てていないとしても、熱心に善を行おうと努力するなら、すみやかに捨てることができます。もちろん心自体が善に変えられて善の言葉と行いが出てくるのとは違いますが、神を愛するので最善を尽くして善を積んでいくなら、善の行いが出てくるようになります。私たちが良いほうに思い、良い心で話し、良い行いをしようと努力すれば、その分、悪を捨てられます。
このように悪を捨てて善を行い、悪を完全に捨て去ったら、その時がついに善の二段階です。ですから、善の二段階でも、時によって相手に感動を与える善の言葉や行いが出てくることもあります。時には相手に真っ向から対抗しない程度で終わる場合もあり、ある場合は悪を行う相手の心を安らかにする良い言葉を口にしたりもします。一歩進んで、相手の心に感動が与えられる仕えの行いが出てくることもあります。
ところが、善の三段階ではこのような良い言葉と行いがいつも出てくるのです。ですから、「私は相手が悪を行っても全然心が穏やかにならなかったし、むしろ良い言葉を口にしたので、善の三段階だろう」と言えるのではありません。どんな状況でも、どんな相手に対しても、いつも心が穏やかで相手に善を行ったのかを顧みなければならないのです。



2.いのちも惜しまず与える四段階の善

最も次元の高い四段階の善は、悪を行う相手のためにいのちも惜しまず与えられる善の次元です。それは、罪人のためにひとり子イエス様をなだめの供え物として渡してくださった神の善の次元であり、正しい人や情け深い人だけのためではなく、罪人のためにご自身のいのちを与えてくださった、私たちの主イエス様の善の次元です。
イエス様は罪人が受けるべき死という呪いを代わりに受けるために木にかけられただけでなく、傷のない尊い血を注ぎ出されたことによって、罪人のすべての罪をただ一度で贖ってくださいました。まことに神の愛と恵みを悟り、神が望んでおられる真実の子ども、すなわち、キリスト・イエスの心構えでいて、神をこの上なく愛し、神に喜ばれる完全に御霊に属する子どもになることを望んでおられたからです。
聖書には、悪を行う相手のために、イエス様のようにいのちも惜しまず与えられる四段階の善に至った方々が出てきます。
<出エジプト32:32>には、神のことばに逆らって不従順を繰り返すイスラエルの民のために、預言者モーセが神に切に祈る内容が記されています。「今、もし、彼らの罪をお赦しくだされるものなら──。しかし、もしも、かないませんなら、どうか、あなたがお書きになったあなたの書物から、私の名を消し去ってください。」エジプトから連れ出すために神がお立てになった指導者モーセは、イスラエルの民に、葦の海を乾いた地のように歩いて渡るなど、多くの驚くべき神の力を体験させました。それでも民はいつもつぶやいて、モーセを恨み、はなはだしくは石で打とうとまでしました。このような民なのに、自分のいのちと引き換えに彼らの罪を赦してくださいと神に祈ったのです。
<ローマ9:3>を読めば、新約時代の使徒パウロも、モーセのような心で祈りました。「もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです。」とあります。ここで「私の同胞、肉による同国人」とはユダヤ人とパリサイ人のことで、彼らは当時、ひどく使徒パウロを迫害して妨げた人々です。それどころかユダヤ人の中に、パウロを殺してしまうまでは飲み食いしないと誓い合った人たちもいました。このように自分を迫害して妨げる人であっても、使徒パウロは自分が救われないとしても、彼らは救われることを願う心で神に求めたのです。
アブラハムとエリヤ、エノクのような方も最高の善の次元に至りました。このような次元に至れば、敵である悪魔・サタンが妨げることができないだけでなく、上から神の力も授けられて、神に大いに栄光を帰すことができます。そして、将来、天国の最も美しい場所である新しいエルサレムにとどまることはもちろん、神の御座のさらに近くにとどまり、とこしえに大きい栄華を味わうようになります。信仰によってうるわしい善を慕い、ただ神のことばに聞き従えば、すみやかに完全な善の段階に入れます。



* まとめと適用

1.( )の中に正しい言葉を入れてください。
善の一段階:( )をもって対抗しないで( )を抑えて我慢する。
善の二段階:悪をもって( )に報いないで、心にどんな悪い( )もない。
善の三段階:悪を行う相手に( )を行い、むしろ( )を与える。
善の四段階:悪を行う相手のために( )も惜しまず与えられる。
2.次の中で最高の善の心になった方を選んでください。
①使徒パウロ ②ダニエル ③モーセ ④エリシャ
 3.次のうち、善に関する聖句でないものを選んでください。
①マタイ5:38-42 ②ローマ9:3 ③マタイ5:28 ④出エジプト32:32



* 今週の課題

次回から聖書の中の人物を取り上げて、善について具体的に学びます。ルツ記に目を通してきましょう。



* 「用語」を知って力にしましょう!

「告訴」とは?
民の間で起きた問題の解決を官庁に訴え出ること。

 
ManminCentralChurch
73, Yeouidaebang-ro 22-gil, Dongjak-gu, Seoul, Korea
- tel 82-2-818-7000 - fax 82-2-851-3846
COPYRIGHT MANMIN CENTRAL CHURCH, ALL RIGHTS RESERVED