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メッセージ >
聖書の学び
Title
第15課 十架上の七言(2)
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
Date
2008-04-11
読むみことば: ヨハネ19:26-28、マタイ27:46
覚えるみことば: マタイ27:46
教育目標
十架上の七言の第三、四、五言の霊的な意味を悟って、さらに神が望まれる信仰生活ができるようにする。
イエス様が十字架につけられたまま残された、七つの十架上のことばのうち、きょうは第三、四、五言について調べます。
第三言:「女の方。そこに、あなたの息子がいます。」「そこに、あなたの母がいます。」
ふたりの犯罪人と一緒に十字架につけられたイエス様は、おとめマリヤとそばに立っている愛する弟子とを見て、マリヤに「女の方。そこに、あなたの息子がいます。」と言われ、ヨハネには「そこに、あなたの母がいます。」と言われました。これが十架上の七言の第三言です。
それでは、イエス様がこのように言われた理由は何でしょうか? 肉的には、自分がみごもって産んだ息子が十字架につけられて死んでいくので、胸が裂けるような苦しみを受けているマリヤを慰めるためです。霊的には、神を信じるすべての人々が兄弟、姉妹であり、母であるという事実を、全人類に告げ知らせるためです。
イエス様はマリヤを「お母さん」と呼ばないで、「女の方」と呼ばれました。これは、神の御子として人となってこの地上に来られた方で、神の御姿であられる方なので(ピリピ2:6)、お母さんがいるはずがないからです。おとめマリヤは、ただ神の摂理を成し遂げるためにからだを貸しただけで、聖霊によって宿られたイエス様を産んだだけです(マタイ1:18)。
[マタイ12:50]で「天におられるわたしの父のみこころを行なう者はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」と言われたイエス様は、マリヤに対してヨハネを指して「女の方。そこに、あなたの息子がいます。」と言われました。また、愛する弟子ヨハネには「そこに、あなたの母がいます。」と言われて、マリヤを母のように思って仕えなければならないと教えてくださいました。
私たちが神のみこころを行なうようになり、信仰が育つほど、天国への望みがあふれて、私たちの国籍は天にあるという霊的な所属がはっきりします(ピリピ3:20)。以前は血を分けた兄弟のほうが愛を感じて良かったのに、徐々に信仰の兄弟のほうがもっと良くなるのもそのためです。したがって、神を信じる人はすべて兄弟であり、姉妹であることを悟って、信仰の兄弟たちをもっと愛するべきです。
第四言:エリ、エリ、レマ、サバクタニ。(わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。)
[マタイ27:46]に「三時ごろ、イエスは大声で、『エリ、エリ、レマ、サバクタニ。』と叫ばれた。これは、『わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。』という意味である。」とあります。ある人はこれを誤解して、イエス様は十字架刑があまりにも苦しくて、神を恨んでいるのだと言ったりしますが、決してそうではありません。イエス様がこの地上に来られた理由は、十字架を負うことによって、敵である悪魔を滅ぼして、私たち人の子を救ってくださるためです。イエス様はこのような神のみこころに死にまで従って、ご自分を犠牲にされた方ですから、十字架の苦しみに勝てなくて神を恨むはずがありません。それでは、第四言の霊的な意味は何でしょうか?
神はひとり子イエス・キリストを捨てられましたが、被造物の手によってあざけられて十字架につけられるように、徹底的に捨てられました。これは、私たちを救うための神の驚くべき知恵であり、言葉にならないほどの愛です。それでも、イエス様を十字架につけた無知な人たちは、これを全く悟らなかったので、イエス様は神の愛が悟れるように「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」と大声で叫ばれたのです。
その当時、イエス様は一晩中、食べることも眠ることもできないで、あちこち連れ回されて、あらゆる苦しみとあざけりにあわれました。大きな木の十字架を負ってゴルゴタの丘を上られ、むちに打たれ、十字架につけられて血を注ぎ出されました。また、砂漠の熱い太陽の下で十字架につけられて、水と血をすべて注ぎ出したので、何の力もなかったのです。
それにもかかわらず、このように大声で言われたのは、罪によって死ぬしかない私たちの罪を贖うために、神は何の傷もしみもないイエス・キリストをそれほど徹底的に捨てられたのだ、ということを教えてくださるためでした。また、イエス様が徹底的に捨てられて、人の子たちのために亡くなっていくのに、数多くの人たちが闇の中で世を愛して生きていて、いのちの道に出て来ることができないことを思いながら、嘆かれたのです。
第五言:「わたしは渇く。」
[ヨハネ19:28-29]に「この後、イエスは、すべてのことが完了したのを知って、聖書が成就するために、『わたしは渇く。』と言われた。そこには酸いぶどう酒のいっぱいはいった入れ物が置いてあった。そこで彼らは、酸いぶどう酒を含んだ海綿をヒソプの枝につけて、それをイエスの口もとに差し出した。」とあります。
それでは、イエス様が「わたしは渇く。」と言われた理由は何でしょうか? [詩篇69:21]に「彼らは私の食物の代わりに、苦味を与え、私が渇いたときには酢を飲ませました。」とありますが、このみことばを成就するためでした。聖書を記した預言者たちは、神の霊感によって、また、霊の目が開かれて、幻の中で今後の事を記しました。このみことばを記した記者は、イエス・キリストが十字架につけられて死なれる場面を見たのです。
また、イエス様は砂漠の熱い太陽の下で数時間、十字架につけられて血を注ぎ出したので、実際に激しいのどの渇きを感じられました。十字架刑は最も苛酷な処刑方法で、刃物で首を切られて一瞬に死ぬより、はるかに耐えられないものです。このように、人としてはとうてい耐えがたい苦しみとのどの渇きを感じられましたが、イエス様が「わたしは渇く。」と言われたのは、単に肉的な渇きを意味するのではなく、霊的なまことの意味が含まれています。
イエス様は、「わたしは血を注ぎ出してのどが渇くので、のどを潤すために、わたしの血の代価である魂を救ってほしい」と切に叫ばれたのです。イエス・キリストの十字架の尊い血によって罪が赦されて救われた神の子どもたちは、今でも私たちに「わたしは渇く。」と言われる主の御声を心から聞いて、主の血の代価である魂を救うことに最善を尽くさなければならないのです。
それでは、私たちはどのようにして十字架につけられたイエス様の血の代価を払うことができるでしょうか?
まずは、イエス様を知らなくて闇にいる人々を伝道することです。イエス様が、神を知らないで地獄へ行く人々を救うために十字架を負われたので、神はひとりの魂を全世界より尊く思われ、一人が伝道されて救われるたびに大いに喜んで、天国の報いとして返してくださいます。
第二は、神への各種のささげ物です。各分野で神の働きが進められることによって、多くの魂が救われ、神の国が広げられます。各種のささげ物を神にささげて、神の国を広げれば、これもまた、主の血の代価を払うことになります。
三番目は、神の国と義のために熱心に祈ることです。私たちが火のように祈って、上から力を受けてこそ、魂をいのちの道に導いて、使命が果たせるので、祈ることが主の血の代価を払うことです。
愛する聖徒の皆さん、十架上の七言の第三、四、五言の霊的な意味をよく悟って、ただ天国に望みをおいて、多くの魂を救いの道に導く幸いな聖徒になりますように、主の御名によって祝福して祈ります。
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