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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第4課「義に飢え渇く者は幸いです」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2012-11-23


読むみことば: マタイ5:6
覚えるみことば: マタイ5:6
参考にするみことば:ヨハネ6:35、55、詩篇1:2
教育目標:神がなぜ義に飢え渇く者になりなさいと言われたのか、そして霊的に満ち足りる祝福が何か知る。

[マタイ5:6]に「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるから。」とあります。辞書で「義」とは「人のおこないが道徳・倫理にかなっていること。」と説明しています。ところが、神が言われる「義」とは「みこころに従っていくこと、すなわち、善と真理そのものである神のことばを行うこと」です。つまり、私たちが聖められるまでに経なければならないすべての過程を意味します。



1.義に飢え渇く者にならなければならない

韓国のことわざに「三日飢えて塀を越えない者はない」というものがあります。飢えがどれほど耐えがたいかをよく表しています。昔の人はあまりにも貧しくて食べる物がないと、木の皮や草の根でおかゆを炊いて食べ、やっと命をつなぎました。聖書には、あまりにも飢えたので、子どもまで食べたことが記されています(第二列王6:28_29)。
ところで、飢えに劣らず、渇きも耐えがたいものです。蒸し暑さの中で焼けつくような渇きを感じるとき、ひと口の水だけ飲んでも生きた心地がします。
神は、義を心に耕すためには、飢え渇いた人が食べ物と水を切に求めるように慕いなさいと言われています。切にみこころを求めて、みことばを心に刻んで行う人になりなさいということです。聖められるために、真理の中を歩むために、主のお心に似せられて神のご性質にあずかる者となるために、切に慕う人が幸いな人だからです。
それでは、皆さんはどれほど義に飢え渇いているでしょうか? もしかして「私は教会に一生懸命通ってみことばを聞いているから満ち足りている」と思っているでしょうか? みことばを知っていても、行わなければ絵に描いた餅にすぎません。真理が自分のものにならないので、みこころが自分の義になれないのです。そのような人はいつも食べられなくて飢えている人のようであり、水があっても飲まなくて渇いている人のようです。したがって、神のみこころとお心をさらに深く知るために、切に慕って求めなければならないのです。



2.霊的に満ち足りようとするなら

[ヨハネ6:53]に「人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。」とあります。また、[ヨハネ6:55]には「わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物だからです。」とあります。このみことばは人の子、すなわち、イエス様の肉と血が私たちを満ち足りるようにする霊の糧であり、霊の飲み物であるということです。
ところで、約二千年前に天に上られたイエス様の肉と血を、どこで手に入れられるでしょうか? もし手に入れたとしても、人食い人種のようにどうやって肉を食べて、その血を飲むことができるでしょうか? ここで「イエス様の肉を食べて、その血を飲みなさい」とは霊的な意味です。
それでは、霊的にイエス様の肉は何を意味しているのでしょうか?
[ヨハネ1:1]に「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」とあり、[ヨハネ1:14]には「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。」とあります。つまり、イエス様はみことばである神が人となってこの地上に来られた方です。ですから、イエス様の肉はみことばなのです。そして、これを食べるとは、イエス様の教え、すなわち、神のことばである聖書を熱心に聞いて糧とすることを言います。
[詩篇1:2]に、幸いな人について「まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ」とあり、[詩篇119:147_148]には「私は夜明け前に起きて叫び求めます。私はあなたのことばを待ち望んでいます。私の目は夜明けの見張りよりも先に目覚め、みことばに思いを潜めます。」とあって、昼も夜も神のことばを慕って糧とすると告白しています。
皆さんも昼も夜も聖書のみことばを口ずさみ、聞いたメッセージをいつも反芻して消化し、自分のものに、糧としているでしょうか? 糧とするとは、単に頭に知識としてだけ入れておくことではありません。聞いて学んだみことばを握って、火のように祈って変えられることです。
次に、「イエス様の血を飲む」という意味は何でしょうか?
これは私たちが聞いて学んだ神のことばを守り行うことを言います。いくらおいしくて栄養のある食べ物でも、水分と一緒に摂取しなければ、消化しにくいです。このように私たちが神のことばを聞いて学んでも、真理どおり守り行わなければ、自分のものになれないのです。神のことばを聞いて恵みを受けたら、聞き従って、悪を捨てて光の中を歩むとき、みことばが消化されて自分のものになり、神の義を実現することができます。これがまさに人の子の肉と血を食べて飲むことです。
何日間か飢えた人の前にごちそうを並べると、恥ずかしげもなくあわてて食べるように、霊的な糧と飲み物を見つけた私たちは、いのちとなるみことばを糧として行うために、さらに切に努力しなければなりません。みことばに逆らう自分の行いと心、思いを見つけて、欠けているところを変えさせるために、不断に努力しなければなりません。また、どうすれば主の愛に報いて愛する父に喜ばれるだろうか、どうすれば神が望んでおられることを実現できようか探り窮めて、飢え渇く人のように切に義を求めるために努力しなければなりません。そのような人はみことばを聞いたとおり熱心に従って、罪を捨てて真理を行っていきます。



3.義に飢え渇く者に臨む祝福

[マタイ5:6]に「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるから。」とあります。義を実現することを慕う人は聖書に「避けなさい」とあることを心と思い、行いから避けて、「してはならない」と言われたとおりしないで、「守りなさい。しなさい」と言われたみことばどおり守り行います。
そのような心でみことばを糧として真理のとおり行い続ければ、真理に逆らうものが全くない、聖められた御霊に属する心に変えられるようになります。つまり、御霊の人になるのです。これがまさに満ち足りる祝福なのです。さらに神のことばのとおり完全に変えられれば、神にそっくり似せられた全く聖なるものとされた人になります。
神に似せられただけに、その方が持っておられる権勢と力、神の力を受けることができます。[第一ヨハネ2:13]に「父たちよ。私があなたがたに書き送るのは、あなたがたが、初めからおられる方を、知ったからです。」とあります。これは父なる神のみこころを正確に知って守り行う父の信仰であって、これも霊的に満ち足りる人の幸いな姿です。父のような大きい信仰になるためには、霊の糧が満ち足りて、信仰がすくすく育たなければなりません。
肉的にも、赤ちゃんが生まれて、乳を飲んでご飯を食べながらすくすく育てば、青年になり、おとなになって、親の心を推し量って力になります。このように私たちも神の義を行っていけば、信仰が成長して、神の心を推し量って従う次元に至ります。つまり、父の信仰になって満ち足りる幸いな人になります。
父たちの信仰になれば、すべてのことにおいて栄えて祝福が臨み、敵である悪魔・サタンに打ち勝って支配して従えることができます。また、御霊に属する次元に入って、父なる神の深いお心までも知ることができます。父なる神のお心がどうなのか、そのみこころが何かよくわかって聞き従うのです。
[ローマ8:14]に「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。」とあるように、御霊に属する次元に入れば、神と明らかに交わって、すべてのことに聖霊に導かれて栄えるようになります。このように御霊に感じて、聖霊に動かされ、満たされて神と交わる生き方をすることが「満ち足りる幸い」なのです。聖霊に導かれるなら、試練や患難にあう心配がありません。前途に障害物があっても避けるようにされ、困難にあっても抜け出せる道を教えてくださるからです。
皆さんは義に飢え渇く者になって、熱心に神のことばを糧として行っていきますように。また、自分だけが真理のみことばを聞いて満ち足りるのではなく、いまだに飢えている数多くの魂が福音によって満ち足りるようにする、力ある働き人にならなければなりません。そうするとき、主が皆さんに必要なものを満たしてくださり、いつも豊かで満ち足りる生き方ができるようにしてくださるのです。



* まとめと適用

1.神様が言われる「義」とはどんなものでしょうか?

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2.霊的に満ち足りるためには、主の肉を食べて、主の血を飲まなければなりません。ここで「主の肉と血」が意味するものは何でしょうか?

主の肉:
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主の血:
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* 今週の課題

五つ目の幸いは「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから。」です(マタイ5:6)。霊的なあわれみとはどんなものでしょうか? 次回までに祈りながら考えてきましょう。



* 「用語」を知って力にしましょう!

「信仰の量り」(第一ヨハネ2:12_14)
_ 子どもたちの信仰(信仰の一段階)―聖霊を受けて救われることができる信仰
_ 小さい者たちの信仰(信仰の二段階) ―みことばどおり行おうと努力する信仰
_ 若い者たちの信仰(信仰の三段階) ―みことばどおり行える信仰
_ 父たちの信仰(信仰の四、五段階) ―神をこの上なく愛して、神に喜ばれる信仰

 
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