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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第14課「信仰を守り通しました」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2014-08-15


読むみことば: 第二テモテ4:7-8
覚えるみことば: 第二テモテ4:7
参考にするみことば:ヘブル11:6
教育目標:この世のどんなことにも揺るがないで信仰を堅く守り通し、すべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となる御霊の戦士になるようにする。

私たちが信仰を守り通すことはまことに大切です。信仰があってこそ救われて天国に行けるし、答えられて祝福された生き方をして、望みを持って献身できるからです。信仰が小さいという言い訳で世と妥協したり、自分の利益のために不法を行ったりするような卑屈なことは決してあってはなりません。何としてでも、祈りと断食をしてでも神にすがって、自分の心を守り、信仰によって勝利を得るために努めなければなりません。



1.聖霊を受ける前と後のペテロの信仰

イエス様の一番弟子ペテロは、聖霊を受ける前は信仰を堅く守れず、イエス様を知らないと言ったりもしました。[マタイ26:31]で、イエス様が捕らえられる前、弟子たちに「あなたがたはみな、今夜、わたしのゆえにつまずきます。」と言われます。この時、ペテロは堂々と「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません。」と告白します。しかし、イエス様が捕らえられると、恐れに捕われてイエス様を知らないと言ってしまいました。
このようなペテロの信仰をすでにご存じだったので、イエス様は十字架の苦しみを受けられる前、弟子たちに「起きて、誘惑に陥らないように祈っていなさい。」と頼まれたのです。しかし、心は燃えていても、肉体は弱かったペテロと弟子たちは疲れに勝てなくて、眠ってしまいました。祈らないので、結局信仰を守り通せなくて、イエス様を知らないと言ってしまったのです。
ペテロが聖霊を受ける前は信仰を守り通せなかったのですが、イエス様が十字架につけられ、よみがえって天に昇られた後は変えられました。聖霊を受けて神の力を授かると、いのちを尽くして福音を伝え、ついには十字架に逆さにつけられて殉教するまで、決して信仰を捨てない一番弟子になったのです。



2.信仰を堅く守り通した昔の信仰の人々

それでは、使徒パウロはどうだったでしょうか? 主に出会う前は律法に精通していたパリサイ人であり、律法による義についてならば非難されるところのない者であるばかりか、当代最高の律法学者ガマリエルのもとで教育を受けました。敬虔なユダヤ教徒で、クリスチャンを迫害するのに先立ち、ステパノに石を投げつける現場にもいました。
しかし、主に出会った後は聖霊を受けて神の力を授かり、地の果てにまで福音を宣べ伝える異邦人の使徒になりました。使徒の働きを読むと、福音を伝えていて数えきれないほどむち打たれ、牢に入れられ、死に直面したこともしばしばでしたが、決して信仰が揺るがなかったのです。
天国の望みがあったので死に至るまで忠実であり、最後の殉教の瞬間まで、変わることなく一生福音を宣べ伝えました。[第二テモテ4:7-8]では「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。」と大胆に告白しました。
それでは、ダニエルはどうだったでしょうか? ダニエルはペルシヤ帝国の大臣になったとき、そねんだ人々のたくらみによって獅子の穴に投げ込まれられました。ダニエルが日に三度エルサレムに向かって祈ることを知って、彼らは王に三十日間、王以外に、いかなる神にも人にも、祈願をする者はだれでも、獅子の穴に投げ込まれると禁令として実施するようにしました。これを知っていても、ダニエルはいつものように日に三度祈り、結局獅子の穴に投げ込まれました。しかし、御使いが獅子の口をふさいで、何の害も加えられず、生ける神を天下に現しました。
ダニエルはいのちが危険な状況でも祈りをやめないほど神を愛して、信仰によって自分を守り通しました。ですから、神が知恵と悟りを与えて、今後の事について明らかに知らせてくださり、高くしてくださったのです。
ダニエルの三人の友だちも同じです。ひれ伏して、王が立てた金の像を拝まなかったという理由で、怒りに満ちた王が普通より七倍熱くした火の燃える炉に投げ込もうとした時も、彼らは信仰を堅く守り通しました。
[ダニエル3:17-18]で「もし、そうなれば、私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。」と断固として断ります。
すべてを失うとしても、神への信仰を守り通すために、彼らは火の燃える炉も恐れませんでした。結局、火の燃える炉に投げ込まれましたが、頭の毛も焦げず、生きて出て来ました。このようにダニエルや彼の三人の友だちはいのちを失うこともある状況でも信仰を捨てなかったので、神に栄光を帰しました。
神を愛するなら、いくら苦しい状況がやって来ても信仰を堅く守り通したという証拠が伴わなければなりません。世と妥協しないで、真理に逆らうものに同調しない信仰を持つ人はみこころでなければ果敢に断ち切って、闇から光の中に出て来ることができます。仮に迫害されるとしても、天の報いを望みながら喜ぶのです。もし主のために迫害されて殺されるなら、天国でとこしえに栄光を味わうのですから、まことに幸いなことです。



3.信仰を捨てた人々

聖書には、昔の信仰の人々と違って、心を守れずに信仰を捨てた人々もいます。ナボテのぶどう畑を取り上げるため、アハブ王の妻イゼベルに買収されたふたりの偽りの証人がその例です。彼らの謀略で、罪のないナボテが石打ちにされて殺されなければなりませんでした。信仰を堅く守り通した人々は決して自分の利益のために偽りを行いません。どんないのちの脅威の前でも、真実をわい曲しないのです。
第一列王記22章に記されているゼデキヤと約四百人のにせ預言者は偽りの預言をして、信仰を捨てます。北イスラエルのアハブ王はアラムに奪われたラモテ・ギルアデを取り戻すために、南ユダのヨシャパテ王に助けを求めます。すると、ヨシャパテはまず神のみこころがどうなのか預言者たちに聞いてみようと提案します。それで、アハブ王が約四百人のにせ預言者に聞いたとき、彼らは一斉に戦いで勝利すると預言します。その中でゼデキヤは鉄の角まで作って勝利を豪語します。
しかし、神の預言者ミカヤはイスラエルがアラムとの戦いで敗れて、飼い主のいない羊の群れのように山々に散らされ、アハブ王は死ぬと預言します。すると、ゼデキヤがミカヤの頬をなぐりつけます。アハブはミカヤを獄屋に入れて、ヨシャパテの連合軍とともにアラムと戦いに行きます。
ところが、結果はゼデキヤと四百人の預言者たちの預言が偽りだということがはっきりしました。ひとりの兵士が何げなく放った弓にアハブ王が当たって戦死し、サマリヤの池で犬が彼の血をなめたのです。信仰を捨てて偽りを預言した預言者たちの言葉が決して当たるはずがないことを証明したのです。
使徒パウロの同労者デマスも、信仰を守り通せなかった人のひとりです。パウロの伝道旅行に参加して、熱心に福音を伝えた彼はパウロの一次投獄の時までいっしょでした。しかし、パウロが再度投獄されると、パウロを捨てて故郷のテサロニケに帰ってしまいました。パウロとともに苦しみを受けるより、世で味わえる富と名誉のほうが良かったのです。聖書はこれについて、彼が今の世を愛して離れたと記しています(第二テモテ4:10)。信仰を守り通すためには、自分の心を真理でよく守らなければなりません。
ヨシュアの時、アカンという人も、信仰を守れなくて罪を犯したことがわかります。エリコを占領した後、アカンが神の命令を破って、こっそり欲しい物を隠しておいたので、神の燃える怒りを引き起こしてしまいます。ヨシュアがアカンに何をしたのか告げなさいと言うと、「私は、分捕り物の中に、シヌアルの美しい外套一枚と、銀二百シェケルと、目方五十シェケルの金の延べ棒一本があるのを見て、欲しくなり、それらを取りました。」とありのままを告げます(ヨシュア7:21)。アカンが罪を犯したので、イスラエルはアイとの戦いであっけなく敗れ、罪を犯したアカンは全家族とともに石で打ち殺されました。
したがって、右にも左にもそれたり、自分の利益を求めて、みこころに逆らったりするようなことが決してあってはなりません。永遠の天国に望みを置き、何をするにしても神の栄光のために生きなければならないでしょう。
私たちが信仰を持って神が望んでおられる義を行えば、天国で義の栄冠を報いとして授けられ、太陽のように輝く栄光の座に入れます。昔の信仰の人々のように自分の利益を求めないで信仰を堅く守り通し、神に喜ばれる真実の子どもになりますように。



* まとめと適用

(   )の中に合う人物を書いてください。
1.聖霊を受ける前はイエス様を三度も知らないと言ったが、聖霊を受けた後は、十字架に逆さまにつけられて殉教するまで信仰を捨てなかった。(   )
2.敬虔なユダヤ教徒で、クリスチャンを迫害するのに先立ったが、主に出会ってから異邦人の使徒として殉教するまで福音を宣べ伝えることに努めた。(   )
3.使徒パウロの同労者で、福音を伝えていて苦しみを受けることが嫌で、世を愛して離れた。(   )
4.神の命令を破って、エリコから出たシヌアルの美しい外套一枚と、銀二百シェケルと、目方五十シェケルの金の延べ棒一本を盗んで、アイとの戦いで敗れるようにした張本人である。(   )



* 今週の課題

聖書にはいやされて祝福された人々のことが記されていますが、彼らに何があったから心の願いがかなえられたのでしょうか? 長血の女の例を参考に考えてきましょう。



* 「地名」を知って力にしましょう!

「ラモテ・ギルアデ」
ヨルダン川の向こう側にあり、ソロモン時代に重要な戦略的な要衝地であった。イスラエルとしては必ず取り戻さなければならない町だった。神は北イスラエルを侵略するアラムの連合軍を二度も退けてくださり、アハブ王にアラム王ベン・ハダデを殺す機会を与えられた。ところが、アハブ王はベン・ハダデの「私の父が、あなたの父上から奪い取った町々をお返しします。あなたは私の父がサマリヤにしたように、ダマスコに市場を設けることもできます。」というぺてんにかかって生かして戻した。三年過ぎても町を戻さないので、アハブ王は姻戚関係を結んだ南ユダのヨシャパテ王と結託してアラムとの戦争を起こし、戦死してしまう。

 
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