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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第12課「信仰がなくては神に喜ばれることはできません」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2014-08-01


読むみことば: ヘブル11:6
覚えるみことば: ヘブル11:6
参考にするみことば:ヘブル11章
教育目標:昔の信仰の人々のように信仰によって神に喜ばれて、何でも答えられて祝福される幸いな聖徒になるようにする。


スポーツ選手はオリンピックでメダルを取ってこそ、汗を流した労苦に対するやりがいを感じるようになります。長い歳月、訓練を受けて苦労したのに、メダルを獲得できないなら、自分はもちろん、国民にも喜ばれません。しかし、金メダルを取れば、国民に愛されて大歓迎され、国から年金と多くの恩恵を受けることができます。
それでは、私たちが神に愛されて祝福される秘訣は何でしょうか?スポーツ選手のようにつらい訓練を受けて、金メダルを取ってこそ喜ばれるでしょうか?そうではありません。私たちの信仰を喜ばれます。信仰によって父なる神に喜ばれれば、求めるものは何でも答えられ、神の愛と祝福のうちに私たちを支えてくださいます。



1.信仰によって神に喜ばれようとするなら

[ヘブル11:6]に「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」とあります。
私たちが信仰によって神に喜ばれようとするなら、何より神がどんな方なのか知ることが大切です。それでは、神はどんな方でしょうか? 全知全能の方で、創造主であり、さばきの主であられます。
[ハガイ2:8]に「銀はわたしのもの。金もわたしのもの。」とあり、すべてのものが神のものだと言っておられます。世のすべてのものと人の生死禍福が神の御手にあるので、神は富と栄誉を下さることも、権力者として立てたり廃したりすることもおできになります。
[第二歴代25:8]には「神には、助ける力があり、つまずかせる力もあるからです。」とあります。神がともにおられれば、不利な戦争でも大いに勝利するのが見られます。ギデオンは三百人の兵士で海辺の砂のように多い敵を退けて勝ちました(士師記7章)。
信仰によって神に喜ばれると、敵の内部に仲間争いが起きて、戦わなくても勝った場合もあります。ヨシャパテ王が神に助けられることを信じて、聖なる飾り物を着けた賛美する者たちを武装した者の前に出て行かせて、主をほめたたえると、神がご自身で戦って勝つようにしてくださったのです(第二歴代20:21-28)。
このように、神はどんな問題でも解決することがおできになります。病気のいやしはもちろん、事業が危なくても、神の御前にどんな信仰を見せるかによって、あっという間に栄えるようにされ、大いに興すことがおできになります。
私たちが神に喜ばれれば、すべてを与えることがおできになりますが、この時、要求されるものが私たちの心と信仰です。心の良い人は創造主の神について知ろうと努力し、神を正しく知って、簡単に信仰を持つことができます。信仰があれば、みことばに聞き従って行うことで神に喜ばれるのです。自分の力ではできないことも、神を信じることで、十分にできる力が湧いてくるのです。



2.信仰によって神に喜ばれた人々

[ヘブル11:4]に「信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささげ、そのいけにえによって彼が義人であることの証明を得ました。」とあります。神はアベルが彼の羊の初子の中から、それも最上のものを持って来たささげ物には目を留められましたが、カインが地の作物から持って来たささげ物には目を留められませんでした(創世記4:3-5)。つまり、アベルは信仰によって神が望んでおられるいけにえをささげましたが、カインは自分のやり方で肉のいけにえをささげたからです。
いけにえは今日の礼拝と同じです。私たちが神の御前に霊とまことによって礼拝をささげるとき、神が喜んでお受けになります。神は誰が心と思いとまことを尽くして礼拝をささげるのか探しておられます。雑念なく、心と思いを集中して礼拝をささげ、乳飲み子のようにみことばの乳を慕い求めて、みことばに耳を傾ける子どもたちを喜ばれるのです。
[ヘブル11:5]には「信仰によって、エノクは死を見ることのないように移されました。神に移されて、見えなくなりました。」とあります。エノクが死なないで生きたまま天国に移されたことで、どれほど聖なる生き方をしたのか推察できます。[ローマ6:23]に「罪から来る報酬は死」とあります。罪があれば必ず死ぬようになりますが、エノクは罪がなかったので、死ななかったのです。
創世記5章には、神が三百年、エノクとともに歩まれたとあります。エノクが六十五歳の時からともに歩んでくださったのです。その時、神がともに歩むことのおできになる完全で清い器になったからです。エノクはこの地上で生きている間、神とともに歩んで、天に移される前に、神に喜ばれていることが、あかしされていました。神は光そのものであるので、悪を捨てて真理の中を歩む真実な子どもを愛して、その人とともに歩んでくださいます。
[ヘブル11:7]に「信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り、その箱舟によって、世の罪を定め、信仰による義を相続する者となりました。」とあります。
いやなにおいがする汚いゴミは家に置かないで捨てなければならないように、ノアの時代は神が世をさばかれるしかないほど暴虐で満ちていて、堕落した世代でした。世の中に罪がはびこっていて、人々は欲望と快楽に従って、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていて、みこころとは正反対に生きていました。
しかし、正しい人ノアは神のことばのとおり生きて、神が命じられた箱舟を長い期間かけて造りました。人々はあざ笑ってさげすみましたが、ノアは神の警告のおことばを信じて箱舟を造り、洪水のさばきから家族みなが救われました。



3.答えられるには信仰の行いを見せなければ

神の御前に答えられようと出てくる人の中には、祈りを受けて直ちにいやされる人がいるかと思えば、信仰が成長しただけ問題が解決される人もいます。ところが、ある人は一年、二年、十年経っても解決されないこともあります。なぜそうなのでしょうか?神は人の心をご覧になるからです。
もし神が働かれていやされた後、変わらずに栄光を帰せる心なら、まだ答えられるような信仰がないとしても、いやしてくださいます。このような体験を通して信仰が成長するからです。しかし、ほとんどの場合、信仰が成長して、どれほどまことを見せて行うかによっていやされます。
ここで「行う」とは、どれほど霊とまことによって礼拝し、どれほどみことばに聞き従い、どれほど信仰を持っているかということです。このような信仰の行いを見せてこそ、神のみわざを体験することができます。
さらに人間的な思いではとうてい不可能な難しいこと、すなわち、目の見えない人が見えて、話せない人が話せるようになり、歩けなかった人が立ち上がって歩き、悪霊が出て行くみわざを体験するためには、それ以上の行いが必要です。まことに神に喜ばれる行いとまことと心、そして愛と献身と神のお心を動かすほどの霊の信仰がなければなりません。
このような信仰は、神がご覧になって正しくて良い心がある人に与えることがおできになります。真理に逆らうものとどんな悪でも避けて、真理に従うほど神と一つになり、一つになるほど神が霊の信仰を与えてくださいます。
初めは神のことばを聞いて知る肉の信仰を持ちますが、これは答えられることのできる信仰ではありません。しかし、「信仰は聞くことから始まり、」とあるので、まず神のことばを熱心に読んで、聞いて、学ばなければなりません。このように学んだことを知識として知ることで終わるのではなく、そのみことばを行っていくとき、神が答えられる霊の信仰を与えてくださるのです。
したがって、自分にどんな問題があるとしても、心配することがありません。毎日祈っているのか、みことばどおり生きるために努力しているのか、神により頼んで喜ばれているのかによって、いつでも神のみわざを体験することができます。私たちが信仰によって行軍するとき、神が喜んで守ってくださり、すべてのことを働かせて益としてくださり、答えを与えて祝福なさいます。どんな状況でも揺れない信仰によって神に喜ばれる真実の子どもになり、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしますように。



* まとめと適用

1.(   )の中に信仰によって神に喜ばれた昔の信仰の人々の名前を入れてください。
(   )は彼の羊の初子の中から、それも最上のものを持って来たので、神はそのささげ物に目を留められたが、カインは肉のいけにえをささげたので、目を留められなかった。
(   )は三百年間、神とともに歩んで、天に移される前に、神に喜ばれていることがあかしされていた。
(   )は、暴虐で満ちていて、堕落した世代に、神が命じられたとおり箱舟を造って、洪水のさばきから家族みなが救われた。

2.(   )の中にふさわしい単語を入れてください。
(   )がなくては、神に喜ばれることはできません。(   )近づく者は、神がおられることと、神を求める者には(   )くださる方であることとを、信じなければならないのです。(ヘブル11:6)



* 今週の課題

イエス様のみもとに来ていやされた人々の共通点は何でしょうか?[マルコ2:1-5]と[ヨハネ5:5-9]を読んで考えてきましょう。



* 「人物」を知って力にしましょう!

「ヨシャパテ王」
ユダの四代王で、高き所とアシェラ像をユダから取り除くなど、宗教改革を断行した(第二歴代17章)。レビ人と祭司を選び、地方を巡回して聖書を教え、正しいさばきをするようにした。彼はモアブとアモンが攻撃して来たとき、民とともに断食しながら神に助けられて勝利を得た。ところが、息子ヨラムを北イスラエルのアハブの娘アタルヤと政略結婚させて、後にユダが宗教的に腐敗する原因を提供した。

 
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