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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第4課「揺れ動いてはならない」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2014-05-30


読むみことば: 士師記9:7_15
覚えるみことば: 箴言4:27
参考にするみことば: エペソ6:5_7
教育目標: ただ信仰によってどんな状況でも揺れ動かないで自分の分と持ち場を守り、任された使命をよく果たす聖徒になるようにする。

甘草は根に甘みがあって、他の漢方薬とは違って多様な用途に使われます。甘みが口に合うようにし、他の薬剤の働きをよくするからです。こんな甘草でも、患者の症状によって禁じる場合があります。甘草は体内に塩分と水分を蓄積させるので、高血圧や心臓病には良くないそうです。このように、よく使う漢方薬にも、入るべきところと入ってはいけないところがあります。入るべきところに入れば良い結果を得ますが、そうでない場合、副作用や良くない結果をもたすからです。



1. そよがなかった木といばらのたとえ

士師記9章には、ギデオンの息子ヨタムがシェケムの人々に向かって叫ぶ場面が記されています。彼がなぜオリ―ブの木といちじくの木、ぶどうの木、いばらのたとえを挙げて叫んでいるのか、まずその背景を調べてみましょう。
イスラエルが神に罪を犯して、ミデヤン人に苦しめられているとき、神はギデオンをさばきつかさとしてお立てになり、三百人の軍人で数多くのミデヤン人を退けて勝つようにされました。するとイスラエルの民がギデオンに自分たちを治めてくださいと要請します。ギデオンは「私はあなたがたを治めません。また、私の息子もあなたがたを治めません。【主】があなたがたを治められます。」と断ります。
ところが、ギデオンが死んだ後、そばめの息子アビメレクが王になろうとする欲から陰謀をたくらみました。アビメレクは自分の母の故郷であるシェケムの人々を懐柔して資金を用意した後、そのお金でごろつきを集めて、父の息子たち、すなわち、自分の腹違いの兄弟七十人を一度に抹殺しました。
幸い、末子ヨタムだけが隠れていたので災いを免れました。結局、アビメレクがシェケムの人々を後ろ盾にして王になると、これを聞いたヨタムは我慢できませんでした。彼はシェケムの南側にあるゲリジム山の頂上に立ち、オリ―ブの木といちじくの木、ぶどうの木、いばらにたとえて、シェケムの人々に叫びます。木々が自分たちの王を立てようとする時に、美しい実を結ぶオリ―ブの木といちじくの木、ぶどうの木はそよがないで、みな王になるのを断りましたが、何の役にも立たないいばらだけが自分の身の程も知らないで、高ぶって王になろうとしたという内容です。
これはつまり、ギデオンと彼の息子たちは民が要請しても王位を狙わなかったのに、かえってそばめの息子であるアビメレクが悪い方法で王になったことをたとえたのです。もちろんこのために神の報いが臨んで、アビメレクを王として立てたシェケムの人々はかえってアビメレクの手にかかって滅ぼされ、アビメレクもひとりの女が投げつけたひき臼の上石が頭に当たって、悲惨な死に方をしてしまいました。おのおの自分の持ち場で守るべき道理があるのに、これから外れたので不幸な結果を招いたのです。



2. おのおのの持ち場で守るべき道理

すべての人は自分の持ち場ですべきことと道理があります。「道理」とは、人が当然守るべき正しい道のことを言います。子どもは親に仕え、兄弟は仲良くして、年下の人は目上の人を敬うなど、人が守るべき正しい道を歩むとき、道理に従うと言えます。親としてすべき道理があり、夫あるいは妻としての道理があります。また、主のしもべとしての道理があり、聖徒としての道理があります。
たとえば、主のしもべなら、聖徒たちが悪はどんな悪でも避けて完全に真理の中を歩むように悟らせて、神を愛してすべてのことに天国の望みをもって打ち勝つ生き方になるように導かなければなりません。聖徒のほうでは、みことばに聞き従って変えられ、正しくきよい人になり、全家を通じて忠実に仕えることが道理です。
親は子どもをおこらせないで、主の教育と訓戒によって真理にあって正しく育てなければなりません。子どもも主にあって親を敬い、言われたことに従わなければなりません。夫婦の間も同じです。妻は夫をかしらとして仕えて、家庭を顧みなければなりません。夫は一家の長として家庭を守り、キリストが教会を愛されたように妻を愛さなければなりません。
上下関係ではどうするのが道理でしょうか?[エペソ6:5_7]に「奴隷たちよ。あなたがたは、キリストに従うように、恐れおののいて真心から地上の主人に従いなさい。人のごきげんとりのような、うわべだけの仕え方でなく、キリストのしもべとして、心から神のみこころを行い、人にではなく、主に仕えるように、善意をもって仕えなさい。」とあります。また、目上の人の道理も教えてくださいました。[コロサイ4:1]に「主人たちよ。あなたがたは、自分たちの主も天におられることを知っているのですから、奴隷に対して正義と公平を示しなさい。」とあります。
このように、すべての人にはおのおのの持ち場ですべきことがあり、まことの義人になろうとすれば、自分の道理を守らなければなりません。



3. 揺れ動かない信仰生活

教会の中でも同じです。からだの部分の中であるものは大切で、あるものは大切でないのではありません。このように、すべてが各自の持ち場でみな大切なのです。私たちは自分が主のからだなる教会の部分であることを知って、互いに大切に思い、決して相手を苦しめたり、憎んで争ったりしてはいけません。それぞれの持ち場で使命をよく果たすとき、それが神の御目に価値のあるまことの愛と言えるのです。
神は私たちが自分の本分を大切に思うだけでなく、互いを大事に思って、自負心を持って最善を尽くすことを望んでおられます。「私の目にはあれがいいから、私はあれをしよう」と自分の働きをやめたなら、どうして神の御前にふさわしいと言えるでしょうか。
前に触れたオリ―ブの木は「私は神と人とをあがめるために使われる私の油を捨て置いて、木々の上にそよぐために出かけなければならないだろうか。」と言って、王になるのを断りました。いちじくの木も「私は、私の甘みと私の良い実を捨て置いて、木々の上にそよぐために出かけなければならないだろうか。」と言い、ぶどうの木も「私は、神と人とを喜ばせる私の新しいぶどう酒を捨て置いて、木々の上にそよぐために出かけなければならないだろうか。」と言って、王になることを拒否しました。しかし、いばらは王となってくださいという要請にすぐ揺れ動いたのです。
このように、自分の分と持ち場をわきまえて守ることは非常に重要です。主にあってはすべての部分が大切です。ですから、神はひとりひとりがどれほど最善を尽くして果たしたかによって、行ったとおりに報いてくださいます。したがって、そよぐいばらの教訓を通して、どんな状況でも自分の分を守って揺れ動かない、幸いな聖徒になりますように。



4. 信仰生活をしながら揺れ動いてはならない分野

信仰生活を始めた後は、信仰の岩の上に立つまで揺れ動いてはなりません。信仰の岩の上に立てば、どんな試練や患難がやって来ても、右にも左にもそれません。信仰が揺るがないから、みこころなら直ちにその道を行くので、敵である悪魔・サタンに惑わされないで、いつも勝利できます。
祈る時も、いつものように祈って、揺れ動いてはなりません。イエス様はいつも喜んでいて、すべての事について感謝して、絶えず祈られました。そして、ひざまずいて、いつものように、苦しみもだえて切に祈られました。また、わたしの願うようにしてくださいと祈られませんでした。ただみこころのとおりになさってくださいと祈られたのです。
愛することにおいても揺れ動いてはなりません。神が私たちに下さった愛を悟って、神を最後まで変わらず愛し、その愛がさらに昇華されなければなりません。主を愛する心、神の聖なる宮を愛する心、牧者を愛する心、信仰の兄弟を大事にして愛する心、魂を愛する心、使命を愛する心が少しも変わってはなりません。
この他に、忠実に仕えること、伝道することにおいても、揺れ動いてはなりません。人々に生ける神を証しして、闇から光の中に導いて幸いな生き方ができるようにさせるなら、父なる神がどれほど喜ばれるでしょうか。ですから、心と思いを尽くして忠実に仕えるだけでなく、どんな状況でも揺れ動かないで、自分のすべきことを果たして美しい実を結ぶ幸いな聖徒になりますように。



* まとめと適用

1.自分の持ち場を忘れて揺れ動き、自分の兄弟を殺して悪い方法で王になったアビメレクを、ヨタムは何にたとえたでしょうか?(    )

2. オリ―ブの木といちじくの木とぶどうの木はなぜ王にならないと言ったのでしょうか?

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(士師記9:8_13参照)

3. ひょっとして、自分のすべきことを果たせなくて相手に害を及ぼしたり、分をわきまえないで行動して人を困らせたりしたことはなかったか、振り返ってみましょう。



* 今週の課題

創世記6章からのノアの洪水の出来事は現代の私たちに何を教えているでしょうか? 次回までに考えてきましょう。



* 「人物」を知って力にしましょう!

「ギデオン」
イスラエルの五人目のさばきつかさであるギデオンはマナセ部族のヨアシュの末子である。ギデオンとは「刈る者」「切る者」という意味であり、後でバアルの祭壇を取りこわして、「バアルは自分で争えばよい。」という意味の「エルバアル」という名を得る。彼は農場と果樹園を持っていた純粋な農夫だった。神に召されたところも打ち場だった。ギデオンは三万二千人の中から三百人を選び、つぼとたいまつを使ってミデヤン人を撃破し、四十年の間イスラエルを治めて穏やかにした(士師記8:28)。

 
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