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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第8課「蒔いて刈り取る法則」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2014-03-07


読むみことば: 第二コリント9:6-8
覚えるみことば: 第二コリント9:7
参考にするみことば:ガラテヤ6:7-9
教育目標:心を良い地に耕して、蒔くものは何でも三十倍、六十倍、百倍の豊かな祝福を受ける幸いな聖徒になるようにする。


農夫は実を豊かに刈り取るようになると信じるので、種を蒔いて労苦して熱心に耕作します。ところが、農夫が農作業のやり方を知らず、いつ種を蒔いて、いつ刈り取るべきなのか知らなければ、いくら熱心に労苦するとしても、良い収穫を期待しにくいでしょう。
信仰生活も同じです。霊的に蒔いて刈り取る法則をよく知ってこそ、求めるものは何でも答えられて祝福されることができます。それでは、神のまことの子どもになって、豊かな実を結ぶ信仰生活をするためには、どうすべきでしょうか?



1.心を良い地に耕さなければなりません

農夫が種を蒔くためには、まず地を耕す作業をしなければなりません。いくら荒れ地であっても、一生懸命汗をかいて耕せば、良い地になることができます。硬い地ならばすき返して、肥料をやってやわらかくし、石があれば拾って捨て、いばらがあれば抜き取って、真心をこめて育てれば、肥えた地に変わるのです。
同じように私たちの心の地も神が「してはならない」と言われたことはしないで、「捨てなさい・避けなさい」と言われたことを熱心に捨てて避けていけば耕されます。また「しなさい」「守りなさい」と言われたことを守って行えば、御霊の実がたわわに結ばれていきます。
マタイの福音書13章には、霊的に人の心を意味する四種類の地のたとえが記されています。
第一、「道ばた」です。道ばたは人々がいつも足で踏んで通るので硬いです。種がこの道ばたに落ちれば、根をおろせません。土の中に埋められることもできないので、全く芽が出ないのです。鳥が来てその種を食べてしまったりもします。霊的に「道ばた」とは、まさに硬い心、かたくなな心を表しています。みことばを聞いても悟れなくて、信じられない心なのです。確かに信じられる証拠を見せても、疑って信じようとしない心です。
第二、種を蒔けば芽が出ても、石のためにあまり成長できない「岩地」です。これは、みことばを聞いて知識としては知っていても、行いが伴わない心の地です。信仰の確信がないので、試練や患難がやって来たり、迫害にあったりすれば、倒れてしまいます。恵みを受けた時は心が熱くて「アーメン」と言っても、すぐサタンのしわざを受けて疑い、裏切ったりもする心です。
第三、種を蒔けば芽が出て育つけれど、いばらにふさがれて芽が育たず、実を結べない「いばらの地」です。つまり、富の惑わしやこの世の心づかいがみことばをふさぐため、実を結ばない心です。この心を持っている人は、みことばを信じて行うけれど、みことばどおり完全に行わないで、肉の思いに従って行います。たとえば「安息日を聖なる日とせよ」というみことばに聞き従って礼拝をささげるけれど、家のこと、事業の場の心配、明日出勤してからの心配など、肉に属することについての憂いが絶えず押し寄せてきます。ですから、霊とまことによって礼拝をささげることができなくて、神が与えようとされる祝福を完全に受けられないのです。
第四、種を蒔けば芽が出て、実を結び、三十倍、六十倍、百倍に刈り取れる「良い地」です。みことばなら自分の思いを働かして計算しないで、条件をつけないで「アーメン」と言い、信仰によって聞き従う心です。それで、心が良い地の人はいつも神と交わって、求めるものは何でも答えられて、そのみこころどおりに生きていけるのです。
私たちがいくら多くの種を蒔いて育てるとしても、心が良い地でなければ、労苦したことに比べて収穫が良くありません。ですから、まずは心の地を耕す作業、すなわち、罪と悪を脱ぎ捨てて、聖められた清い心にならなければなりません。良い地、すなわち、善なる心、愛と徳と柔和な心になってこそ、豊かな実を結ぶことができるのです。



2.神の御前にいろいろな種を蒔かなければなりません

地を耕す農夫は、季節に従ってその地にいろいろな種を蒔きます。豆、小豆、大根、白菜、かぼちゃなどの種をいろいろ蒔くのです。
霊的にも同じです。私たちの心の地を耕す作業とともに、種を蒔くことも同時にしなければなりません。「憎しみ」を捨てるために、熱心に祈りながら「愛」の種を蒔けば、すみやかに憎しみを捨てて愛することができます。このように心の地を耕していけば、ますます良い地になりますが、私たちが真理に逆らうものを捨てるからといって、これが神の御前に報いにはなりません。
それでは、「蒔く」とは何を意味するのでしょうか? 聖書に「しなさい、守りなさい」と言われたとおり聞き従うことが、まさに蒔く作業です。聖書66巻に記された「喜びなさい、伝道しなさい、命令を守りなさい、安息日を守りなさい」というみことばを熱心に守り行うことが、まさにいろいろな種を蒔くことです。
農夫が春に種を蒔くとき、秋に刈り取ることを信じて蒔くように、神の御前に蒔く時も、三十倍、六十倍、百倍にあふれるように祝福してくださることを信仰の目で望みながら、喜びをもって蒔かなければなりません。いやいやながらでなく、強いられてでもなく、喜んで蒔くとき、豊かな実を刈り取ることができます(第二コリント9:7)。



3. 主にあって忍耐とまことをもって育てなければなりません

農夫は畑に種を蒔いてから、水と肥料をやり、草を取り、虫を殺して、忍耐とまことをもってよく育てます。このような努力がなければ、芽が出て育っていくうちに弱ったり、実を結ぶ前に病虫害にやられて枯れたりもします。実がよく育つまで汗をかく労苦があってこそ、豊かな実を結べるのです。
それでは、霊的にみことばがすくすく育ち、美しく実を結ぼうとするなら、どうすべきでしょうか?
第一、霊とまことによって礼拝をささげなければなりません。心と思いとまことを尽くして、神を愛して心を込めて礼拝をささげるのです。そうしてこそ、雑念や疲れ、眠気に負けないで、天から力が与えられ、神と交われます。みことばを悟ってこそ、自分を発見して霊的な成長ができるのです。
第二、祈りと賛美をささげることで御霊に感じて満たされなければなりません。いくら信仰のある人でも、祈らなければ試練や患難を防げないし、敵である悪魔と世に打ち勝つことができません。しかし、いつも目を覚まして祈り、みことばのとおり主を呼び求めて、心を込めた祈りと賛美で神に栄光を帰せば、御霊に感じて動かされ、交わって満たされることができます。
第三、いつも喜んでいて、すべてのことについて感謝しなければなりません。植物も、喜びながら楽しんで育ててこそ生き生きと育つように、自分の心がいつも喜んでいて、感謝があふれてこそ、敵である悪魔が退いて、隙をつくことができません。
第四、耐え忍んで時を待たなければなりません。種子によってその実を結ぶ期間が違うように、神の御前に蒔いたものも、すぐ答えられて実を刈り取れるものもありますが、長い時間を必要とするものもあります。それで、<ガラテヤ6:9>に「善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。」とあるのです。このように耐え忍んで育ててみれば、心に霊の愛と御霊の九つの実、八つの幸いの実が結ばれ、これが神を愛する証拠になるのです。



4.種を蒔けば、その刈り取りもすることになります

農夫が種を蒔いて実が結ばれば、その刈り取りもするように、霊の世界の法則も同じです。<ガラテヤ6:7-8>に「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。」とあります。
私たちが祈りを蒔けば、天から強くされてみことばのとおり生きられて、たましいに幸いを得ていきます。熱心に忠実に奉仕すれば、弱いからだが霊肉ともに健康になり、十分の一献金と感謝献金など物質を熱心にささげれば、物質の祝福が臨んで、思いきり神の国と義のために用いることができます。
シュネムに住んでいた裕福な女は、神のしもべエリシャに心を尽くして仕えました。そこでエリシャは女のために神に求め、神は長い間子どもがいなかった女に息子が生まれるという祝福を下さったのです。タビタは多くの良いわざと施しをしていたので、病気にかかって死んでから生き返りました。
このように種を蒔けば、その刈り取りもすることになるので、心を良い地に耕して、いろいろな信仰の種を蒔いて、豊かな実を刈り取りますように。



●まとめと適用

自分の心はどんなタイプの地でしょうか?次から選んで( )の中に書いてください。[道ばた、岩地、いばらの地、良い地]

1.みことばを聞いて知識的には知っていても、行いが伴わないし、信仰の確信がないので、試練や患難がやって来たり、迫害にあったりすれば、倒れてしまう。( )

2.硬くてかたくなな心で、みことばを聞いても悟れなくて、信じられる証拠を見せても、疑って信じようとしない心である。( )

3.三十倍、六十倍、百倍に刈り取れる地で、みことばなら自分の思いを働かさないで、条件をつけないで聞き従う心である。( )

4.富の惑わしやこの世の心づかいによってみことばどおり完全に行えないで、肉の思いに従い、神に心からより頼めない。( )



●今週の課題

神様は神の子どもである私たちの願いに答えてあげたいと望んでおられます。では、願いをかなえていただくには、どうすればよいでしょうか? 次回までに考えてきましょう。



●「用語」を知って力にしましょう!

「霊とまことによってささげる礼拝」
霊によってささげる礼拝とは、聖書のみことばを御霊に感じて動かされ、満たされているうちに心に糧とし、私たちのうちにおられる聖霊とともに心からささげる礼拝のことを言う。
まことによってささげる礼拝とは、神を正しく理解して、身と心と思いとまことを尽くして、神を愛する心をもって喜びと感謝、祈りと賛美、行いとささげ物をもってささげる礼拝のことを言う。

 
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