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聖書の学び
Title
第4課「赦す心」
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
Date
2014-02-07
読むみことば: エゼキエル18:21_24
覚えるみことば: マタイ5:23_24
参考にするみことば:詩篇103:12_14
教育目標:誰とも敵にならないで、赦して愛することで神の御前に答えられて祝福される幸いな聖徒になるようにする。
愛の豊かな神は悪者でも滅ぼすことを喜ばれません。しかし、聖書に神が悪者を滅ぼされる場面が記されている理由は何でしょうか? ここには神の公義が込められています。聖書を詳しく読めば、悪者を滅ぼすしかない公義と、絶えず赦して憐れんでくださった神の愛を悟ることができます。
1.何としてでも赦そうとされる愛なる神
創世記18_19章に記されているソドムとゴモラは罪と悪がきわめて重い町でした。これ以上赦せないところでしたが、神はすぐ滅ぼさないで、最後まで生かすことができる証拠を探そうと、御使いを遣わして調べるようになさいました。そして、神はアブラハムにこのことをあらかじめ知らせてくださいます。
誰よりも神のお心をよく知っていたアブラハムは「あなたはほんとうに、正しい者を、悪い者といっしょに滅ぼし尽くされるのですか。もしや、その町の中に五十人の正しい者がいるかもしれません。ほんとうに滅ぼしてしまわれるのですか。その中にいる五十人の正しい者のために、その町をお赦しにはならないのですか。」と恐る恐る尋ねます。
すると神は、正しい者五十人を見つけたら赦そうと言われます。これに対してアブラハムはあきらめないで、正しい者四十人、三十人、二十人、十人がいたら、お赦しにはならないのですかと聞きます。
しかし、残念なことに、ソドムには十人の正しい者がいなかったのです。かえって彼らを調べに来た御使いたちにまで、害を及ぼそうとしました。このように彼らの罪が立ち返れない限界に達したので、神がその町を滅ぼされたのです。
神はアブラハムがおいのロトのことで心配するのを知っておられ、彼の家族を救おうとなさいました。しかし、神が町を滅ぼされるというロトの言葉を冗談のように思った婿たちはソドムに残って死に、御使いの言葉を聞かないで後ろを振り返ったロトの妻は塩の柱になってしまいました。神は何としてでも機会を与えて生かそうとなさるのですが、立ち返らないでこれ以上赦せない段階に至れば、さばかれるしかありません。
2.罪と悪がはびこって立ち返れないので滅ぼされる神
神がカナンの地に住んでいるエモリ人を滅ぼされたのも同じです。彼らに対しても寛容を尽くして待ってくださいました。イスラエルの民がエジプトで奴隷生活をしていた四百年もの間、忍ばれたのです(創世記15:13_16)。それでも彼らは立ち返らないで、さらに悪を積み上げました。ついに罪と悪がはびこって立ち返る可能性がないので、その地をイスラエルの民に与えられたのです。
神は、悪者であっても立ち返るなら、罪を覚えられることはありません。このような神のお心が[エゼキエル18:21_22]によく表れています。「しかし、悪者でも、自分の犯したすべての罪から立ち返り、わたしのすべてのおきてを守り、公義と正義を行うなら、彼は必ず生きて、死ぬことはない。彼が犯したすべてのそむきの罪は覚えられることはなく、彼が行った正しいことのために、彼は生きる。」とあります。
それでは、愛と赦しの神がエモリ人を根絶やしにされた理由は何でしょうか? イスラエルの民が彼らの行いにならって偶像を拝んでまじないをし、淫行を行い、曲がったことを見ならうことがあるからです。
神はその中でもエリコの町に住んでいたラハブとその親族は救ってくださいました。ラハブは神がイスラエルの民に施された驚くべきことを聞いて、神を信じて恐れたし、偵察に行ったイスラエル人を隠してあげるという善を行ったからです(ヨシュア2章)。
このように神は寛容を尽くしてお赦しになるだけでなく、正しい者は滅ぼされないお方です。愛と公義によって治められ、たとえ異邦人だとしても、善を行って神を捜す人は見つけるようにしてくださり、救いを与えてくださるのです。
3. 悪者でも悔い改めればお赦しになる神
神はニネベにどんな愛と赦しを施されたでしょうか? ニネベはイスラエルを苦しめてていた敵国アッシリヤの首都でしたが、どれほど腐敗していたのか、彼らの悪行が神の御前に立ち上るほどでした。
それでも、神は彼らをすぐ滅ぼさないで、悔い改める機会を与えようと預言者ヨナを遣わされます。ヨナはニネベが滅ぼされることを願ったので、聞き従わないでタルシシュに逃げます。そうして暴風にあって船が難破しそうになると、水夫たちは誰のせいなのか知るためにくじを引きます。結局ヨナが当たり、彼は海に投げ込まれて、大きな魚の腹の中に入ります。そこでヨナは不従順を悔い改めて、神を呼び求めて祈ります。その祈りをお聞きになった神はヨナを赦して、魚に命じ、ヨナを陸地に吐き出させます。
結局、ヨナはニネベに行って「もう四十日すると、ニネベは滅ぼされる。」と叫びます。これは彼らの罪と悪があまりにも大きくて、とうてい赦しが不可能な状態であることを意味します。するとニネベの民はへりくだった心で、神を信じて断食しながら悔い改めました。それで神は滅ぼさなかったのです。このように、悪者でも悔い改めれば神は赦してくださるのです。
4.東が西から遠く離れているように、私たちのそむきの罪を遠く離される神
ある人は「なぜあんな悪い人に神様は罰を下されないのだろうか」と言います。しかし、神は人と違って、すべての人が救われることを望んでおられます(第一テモテ2:4)。私たちもこのような神の愛のゆえに救われることができるのです。
ダビデも大きい罪を犯してから悟るやいなや悔い改めると、神がお赦しになりました。ヒゼキヤの息子マナセも、偶像礼拝と悪を行ってバビロンに捕虜として引かれて行ったとき、神の御前にへりくだって悔い改めたら、また王位を回復させてくださいました。
主の契約を守る者、その戒めを心に留めて、行う者には「東が西から遠く離れているように、私たちのそむきの罪を私たちから遠く離される。」(詩篇103:12)とあります。何が何でも赦すというのではなく、立ち返ってみことばどおり生きる人にそうしてくださるのです。人々は相手のそむきの罪をいつまでも覚えておいて口にしたりもしますが、神はすべての罪を東が西から遠く離れているように、覚えてもおられません。罪を憎むだけで、人を憎まれるのではないのです。誰でも罪から立ち返れば、正しい人と認めてくださいます。
ルカの福音書15章には、このような神のお心がよく表れています。羊を百匹持っている牧者が、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩くのです。切なく羊を捜す牧者の心がまさに神のお心です。牧者はいなくなった羊を見つけたら、どれほど喜んだか、友だちや近所の人たちを呼び集め、「いっしょに喜んでください。」と言います。神のお心もこうなので、[ルカ15:7]に「それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。」とあるのです。
これが神のお心なので、その方の子どもとされた私たちも、敵意や憎しみなど、良くない感情があってはいけません。そのようなものを捨て去り、互いに赦して愛して平和をつくるとき、神に答えられるのです。
5.愛と赦しで平和をつくってこそ答えられる
[マタイ5:23_24]に「だから、祭壇の上に供え物をささげようとしているとき、もし兄弟に恨まれていることをそこで思い出したなら、供え物はそこに、祭壇の前に置いたままにして、出て行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから、来て、その供え物をささげなさい。」とあります。兄弟を憎んでいたことを悔い改めて、立ち返ってから供え物をささげてこそ、神が喜んでお受けになり、祝福されるのです。
この世を生きていると、自分の思いに合わないことや不当なことにあって、敵意を持ったり憎んだりすることがありえます。しかし、人の咎や負いめを赦せなければ、どうして神に赦されることができるでしょうか。イエス様が教えてくださった祈りにも「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。」とあるように、兄弟の負いめを赦してこそ、神も私たちの罪をお赦しになるのです。
神は私たちが互いに愛して赦して、平和であることを望んでおられます。神は罪人になった人類を救うためにひとり子も惜しまない愛を施して、すべての罪を赦してくださいました。このような恵みをいただいたのですから、皆を愛して赦して平和をつくらなければなりません。自分を顧みて、憎しみ、ねたみ、さばくこと、罪に定めるなど、悪はどんな悪でも避けて、互いに赦して愛すことによって神の答えと祝福があふれますように。
●まとめと適用
1.神様はなぜエモリ人とソドムとゴモラを滅ぼすしかなかったのでしょうか?
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2.自分を苦しめてつらくし、とうてい赦すことも受け入れることもできない人に、皆さんはどんな心で対していますか?
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3.ヨナは自分の国を踏みにじっているニネベが滅ぼされたらよいのにと思っているのに、神はむしろ行って彼らを悔い改めさせて救われるようにメッセージを伝えなさいと言われます。このように自分の思いと合わないことをしなさいと言われれば、皆さんはどうしますか?
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●今週の課題
旧約聖書には預言者エリシャについての記述があります。その中で彼の言葉に聞き従って病気がいやされた人と、彼を欺いて呪われ、その病気にかかった人が出てきます。それぞれ誰でしょうか? 次回までに探してきましょう。
●「地名」を知って力にしましょう!
「ニネベ」とは?
強大国アッシリヤ帝国の首都である。周囲が13kmの大規模な町であって、歩いてひと回りするのに三日もかかった。30メートルを越える高い城壁に囲まれた要塞であった。城壁の頂上は三台の馬車が走るほどで、城壁が厚かった。アッシリヤ人は建築術、好戦的な態度、軍事力とあくどいことで有名だった。特に捕虜に残忍なことで悪名高かった。神は彼らの不正、無節制、偶像礼拝、暴力性などを黙認しないで、さばこうとする前にヨナを遣わして、神の警告メッセージを伝えるようにされた。これによって彼らが立ち返ったので、救いの機会をつかむことができた。
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