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メッセージ >
聖書の学び
Title
第6課「救われる信仰と救われた信仰」
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
Date
2013-02-15
読むみことば: ローマ10:13-15
覚えるみことば: ローマ12:3
参考にするみことば: 第一ヨハネ2:12-14
教育目標: イエス様だけが救い主の資格条件にかなう方であることを悟り、救いの喜びを思いきり味わう聖徒になるようにする。
私たちが教会に通うからといって、何が何でも救われるのではありません。自分が罪人であることを悟り、たましいを砕いて罪を告白して、聖霊を受けてこそ、救われることができます。したがって、教会に出てきて、たましいを砕いて罪を告白する前まで、すなわち、聖霊を受ける前までの過程を「救われる信仰」と言い、たましいを砕いて罪を告白して聖霊を受けた状態を「救われた信仰」と言うのです。私たちがイエス・キリストを信じて天国に行こうとすれば、単に教会に出席するだけの信者ではなく、「救われた信仰」を持って、みことばどおり行う聖徒にならなければなりません。
それでは、「救われる信仰」と「救われた信仰」について具体的に調べてみます
1. 救いに向かっていく過程である「救われる信仰」
イエス様がゴルゴタで十字架につけられた時のことです。<ルカ23:39>以下を読むと、イエス様の両側に、十字架刑にあっていたふたりの犯罪人がいました。その時、犯罪人のひとりはイエスに悪口を言い、「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え」と言いました。すると、もうひとりのほうが答えて、彼をたしなめながら、主の御名を呼んで自分の信仰を告白しました。すなわち、「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」と言ったのです。
これに対して、イエス様は彼に「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」と言われました。彼に、救われてパラダイスに行くことを約束してくださったのです。これは、イエス様が罪を赦して救いを得させることのできるメシヤ、すなわち、キリストであるということを宣言したのです。
時々「悔い改めた犯罪人のように、自分の好きなとおりに生きて、死ぬ直前にイエス・キリストを受け入れれば、救われるのではないのか」と誤解する人たちがいます。しかし、もうひとりの犯罪人は、十字架にかけられる前にすでに「救われる信仰」があったので、救いを得ることができたのです。
ひとりの犯罪人がイエス様に悪口を言ったとき、彼をたしなめながら、イエス様は何の罪もなく十字架刑を受けておられるのだと力説したのを見ればわかります。彼は神の御子であるイエス様に関する噂を聞いて、すでに心で認めていました。その後、イエス様が十字架にかけられて血を注ぎ出しながら「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」と祈られる姿を見て、どれほど申し訳なかったでしょうか。
それで、十字架にかけられてひどい苦しみを受けながらも、イエス様に向かって「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」と自分を救ってくださいと切にお願いしたのです。
もし彼が十字架刑にあわないで生き延びたとすれば、どう生きたでしょうか? 決して以前のように凶悪な罪を犯しながら生きはしなかったでしょう。自分の罪を徹底的に悔い改めて、みことばどおり生きようと努力したでしょう。それで、イエス様が彼の告白を聞いて、「あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」と救いを得ることを確かなものとしてくださったのです。
それでは、救いを得た犯罪人がイエス様に自分の信仰を告白する前に持っていた「救われる信仰」とは、具体的にどんなものでしょうか? これは、まだ救いを完全に確信してはいないが、熱心に救いに向かっていく過程にある信仰です。
誰でも救いの確信を持つには、「救われる信仰」から「救われた信仰」に変わらなければなりません。このためには自分の努力も必要です。つまり、信仰を持とうと努力するとき、神が自分の罪を悟って悔い改められる恵みと救いの確信を下さるからです。
まだ救いの確信がない人が「救われる信仰」から「救われた信仰」に変わるには、熱心にみことばを聞いて学ぶ努力が必要です。私たちがみことばを聞いて学ぶと、何が罪なのか悟るようになります。
このように神を見つけようと熱心に捜して努力すれば、神の恵みが臨みます。以前、創造主の神を信じなかったことがどれほど大きい罪なのか、心の底から悟って徹底的に悔い改めるようになります。神は生きておられ、イエス様の十字架の出来事がまさに「自分」のためだと信じるので、「私は罪人の中の罪人だった」という告白が自然に出てくるのです。ですから、再び罪を犯さないように、神が上から恵みを与えて強くしてくださるのです。このようにたましいを砕いて罪を告白するまで、神の子どもとされるために努力する過程にある信仰が「救われる信仰」です。
まことに悔い改めれば、聖霊が臨み、心がすがすがしくなり、救いの確信が生じます。誰にも解決できなかった罪の荷をおろすと、身も心も飛んで行くように軽くて、喜びが湧き上がります。ついに「救われた信仰」が生まれたのです。
2. 救いの確信がある「救われた信仰」
私たちの罪が赦されて、賜物として聖霊を受け、天国のいのちの書に名が記されれば、それは救いの始まりです。その時から聖なる御霊に導かれて、救いを達成しなければなりません。賜物として聖霊を受ければ、救いの確信の中で神を「父」と呼べる資格を得るようになります。
イエス・キリストを信じて、賜物として聖霊を受け、神の子どもとされる特権を得たことは、まことに驚くべきことです。敵である悪魔の奴隷から神の子どもへと、身分が完全に変わったからです。前は試練や患難と苦しみの中で寄るべなく生きていました。ところが、主を受け入れてからは、創造主の神を「父」と呼んで、天国の望みをもってうれしく幸せに生きていきます。このように聖霊を受けた後、救いの確信を持って神の子どもとして生きていく信仰を「救われた信仰」と言います。
「救われる信仰」が、神の子どもとされようと努力して、たましいを砕いて罪を告白する前までの信仰だとすれば、「救われた信仰」は、たましいを砕いて罪を告白した後、聖霊を受けてみことばどおり行っていく信仰です。つまり「救われる信仰」と「救われた信仰」を分ける基準は、まさに「聖霊を受けたか受けなかったか」ということなのです。
私たちに「救われた信仰」が与えられれば、世を追い求めて生きてきた間違った以前の生活を捨てて、みことばどおり生きたくなります。無理やりにではなく、神の愛に感謝して、底から湧き上がる心でみことばを守り行うようになります。
ある人は聖霊を受けて直ちに酒とタバコをやめたり、メッセージを聞いた学んだとおり喜んで聞き従っていったりします。初めはからしの種ほどの信仰からスタートしますが、みことばを聞いて守り行いながら、どんな風雨にもびくともしない木のように大きい信仰に成長して、豊かな実を結びます。
子どもが生まれると、小さい者、若い者の過程を経て父になるように、信仰もますます成長していきます。生まれたばかりの子どものように信仰が小さくても、成長過程を経れば、若い者を過ぎて父のような大きい信仰になることができます。
「子どもたちの信仰」とは、たった今イエス・キリストを受け入れたばかりの、聖霊を受けた段階のことを言います。子どもたちの信仰が育てば、小さい者たちの信仰になります。「小さい者たちの信仰」とは、父なる神を知る信仰です。つまり、親について深くまでは知らないで、一部分を少し知っている段階なのです。ですから、真理を知って体験しますが、みことばどおり行うこともあり、行えないこともあるのです。
小さい者たちの信仰が育てば、若い者の信仰になります。「若い者の信仰」とは、完全に成熟はしていなくても、みことばが心に臨んでいるので、十分に敵である悪魔・サタンの策略を打ち砕いて勝利する段階のことを言います。みことばの上に堅く立って、天国の望みを持ち、世に目を向けません。どんな試練にあっても揺るがない力があります。絶えず祈りながら、むしろ感謝して賛美して、試練を軽々と勝ち抜くのです。
若い者の信仰が育てば、「父の信仰」になります。これは「初めからおられる方を知る信仰」、すなわち、神の初めを知っている信仰です。ここで「神を知る」とは、子どもの信仰で神を知るのとは全く次元が違います。「子を生んでこそ知る親心」と言うように、父の信仰になってこそはじめて父なる神のお心を完全に知ることができます。創造主の神の深いところ、初めまでも知ることができるのです。
父の信仰を持った人々はすべての人の模範になって、へりくだっているので、どんな人でもいだき、右にも左にもそれないで、揺るぐことなく真理に完全に立つようになります。徳と愛を兼ね備えて、御霊の実を豊かに結ぶ成熟した信仰なので、天国で太陽のように輝く座に至れるのです。
* まとめと適用
1. 「救われる信仰」と「救われた信仰」を分けて説明してみてください。
救われる信仰:
---------------------------------------------------------------------
救われた信仰:
---------------------------------------------------------------------
2. 次の説明の中で間違っているものを選んでください。
①子どもたちの信仰(信仰の一段階)-聖霊を受けて救われる信仰
②小さい者たちの信仰(信仰の二段階)-みことばどおり行おうと努力する信仰
③若い者たちの信仰(信仰の三段階)-みことばどおり行える信仰
④父たちの信仰(信仰の岩以上)-神に喜ばれる信仰
* 今週の課題
ヨハネの福音書3章5節で、イエス様がニコデモに「人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。」と答えられました。水と御霊によって新しく生まれるとはどんな意味でしょうか? 次回までに考えてきましょう。
* 知って力にしましょう!
「パラダイス」
かろうじて救われた信仰を持った人々が入る場所である。神の御座から最も遠く離れたところであって、神の栄光の光が弱いし、天国の場所の中で最も低い段階である。パラダイスの端は、白い御座の大審判の時まで、天国の待機場所として活用される。全く聖なるものとされて新しいエルサレムに入れる人々を除いて、世の初めから救われた数えきれない人々がパラダイスの端にとどまっている。
73, Yeouidaebang-ro 22-gil, Dongjak-gu, Seoul, Korea
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