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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第22課「死に至る罪」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2013-06-21


読むみことば: マタイ12:31-32
覚えるみことば: ヘブル10:26
参考にするみことば: ヘブル6:4-6
教育目標: 死に至る罪と死に至らない罪について明らかに知って、救われない死に至る罪を決して犯さないようにする。

工場の廃水やゴミ、農薬のような毒劇物や、放射能でひどく汚染された土地は、回復するのに永い歳月がかかるか、回復が不可能です。人の心の地もこれに似ています。毒性のある廃水のような死に至る罪にひどく汚染されれば、元の状態に回復しにくいし、救いに至るのもやさしくありません。
しかし、神は荒廃した心の地も蘇生させる力を持っておられます。どれほど徹底的にたましいを砕いて罪を告白し、心を浄化させるために努めるかによって、神の憐れみをいただけるのです。もし過ぎし日々、心の地を耕さないでけがしてきたとすれば、徹底的にたましいを砕いて罪を告白し、悪はどんな悪でも避けて清い心を回復しますように。


1. 救いとかかわる罪は決して犯してはならない

私たちが罪人であることを悟って悔い改め、心の戸を開いてイエス・キリストを受け入れれば、神が賜物として聖霊を与えてくださいます。聖霊に助けられてこそ、罪を捨ててみこころどおり生きることができるからです。
ところが、ある人は賜物として聖霊を受けたにもかかわらず、聖なる御霊に逆らって肉の行いをしたりもします。肉の行いとは、行いで犯す罪のことを言います。イエス・キリストを受け入れて罪が赦されても、また繰り返して罪を犯せば、救われないこともあります。なぜでしょうか? 神は赦してはまた赦される方ですが、一度救われたからといっても、あまりにも重い罪を犯したり、罪を犯し続けてある限界線を超えてしまえば、敵である悪魔・サタンが「あの人をどうやって神様の子どもだと言えるのですか」と訴えるからです。神は愛であると同時に公義のお方なので、敵である悪魔・サタンが霊の世界の法則を根拠に訴えれば、これを受け入れられるしかないのです。
したがって、どんな罪でも犯してはいけませんが、特に救いとかかわる罪は決して犯してはいけません。ひょっとして罪を犯したなら、直ちに悔い改めて立ち返らなければなりません。罪といっても全部同じ罪なのではありません。神のことばに背いた罪の中には、悔い改めればすぐ赦されることができる、比較的軽い罪があるかと思えば、「救われない」と警告された重い罪もあります。


2. 死に至る罪と死に至らない罪

<ガラテヤ5:19-21>に「肉の行いは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。」とあります。
分派、すなわち、正統的教理から分かれることをはじめとして、明白な肉の行いに当たる罪を犯せば、「神の国を相続することはありません。」とあるように、救われません。しかし、「救われない罪」を犯したとしても、徹底的にたましいを砕いて罪を告白して、絶え間なく祈って罪から立ち返れば、救いの道が開かれることがあります。分派を作って分かれてしまった人でも、そこから出て、立ち返って悔い改めれば、神が憐れんで救いの道を開いてくださいます。
このように、悔い改めれば救われることができて、死に至らない罪があるかと思えば、いくら努力しても悔い改めの霊が与えられず、悔い改められない罪もあります。このような罪を「死に至る罪」と言います。罪があまりにも重いので、いくら赦しを求めても赦されないのです。
<第一ヨハネ5:16>に「だれでも兄弟が死に至らない罪を犯しているのを見たなら、神に求めなさい。そうすれば神はその人のために、死に至らない罪を犯している人々に、いのちをお与えになります。死に至る罪があります。この罪については、願うようにとは言いません。」とあります。
それでは、最初から赦しを願うようにとも言われていない「死に至る罪」とは、具体的にどんなことでしょうか?
第一、聖霊を冒涜し、けがし、逆らう罪です。
<マタイ12:31-32>に「だから、わたしはあなたがたに言います。人はどんな罪も冒涜も赦していただけます。しかし、御霊に逆らう冒涜は赦されません。また、人の子に逆らうことばを口にする者でも、赦されます。しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、だれであっても、この世であろうと次に来る世であろうと、赦されません。」とあります。
第二、主をもう一度十字架にかけて、恥辱を与える場合です。
<ヘブル6:4-6>に「一度光を受けて天からの賜物の味を知り、聖霊にあずかる者となり、神のすばらしいみことばと、後にやがて来る世の力とを味わったうえで、しかも堕落してしまうならば、そういう人々をもう一度悔い改めに立ち返らせることはできません。彼らは、自分で神の子をもう一度十字架にかけて、恥辱を与える人たちだからです。」とあります。
第三、真理を知っていながら、ことさらに罪を犯し続ける場合です。
<ヘブル10:26-27>に「もし私たちが、真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続けるならば、罪のためのいけにえは、もはや残されていません。ただ、さばきと、逆らう人たちを焼き尽くす激しい火とを、恐れながら待つよりほかはないのです。」とあります。


3. 聖霊を冒涜し、逆らい、けがすことは死に至る罪

教会の歴史を調べてみれば、聖書を基準としないで、ささいな教理の違いや個人的なわだかまりによって、異端だと罪に定めたことがたくさんあります。しかし、イエス・キリストを否定しないで、三位一体の神を信じ、新生、復活、再臨、さばき、天国など、聖書の核心的教理が同じならば、決して異端だとさばいたり、罪に定めたりしてはなりません。特に神がともにおられる教会や牧会者をやたらに罪に定めたら、聖霊を冒涜し、逆らい、けがすことになって、永遠の死に至ることがあることを覚えておかなければなりません(マタイ12:31-32)。
それでは、聖霊を冒涜し、逆らい、けがすことについて、もう少し具体的に調べてみましょうか。
まず「聖霊を冒涜する」とは、神の働きがなされないように聖霊のみわざをさえぎることを言います。言いかえれば、聖霊のみわざなのに、自分の思いに合わないので、悪をもって神の働きを妨げることです。たとえば、聖霊のみわざが起きている教会を異端だと罪に定めて流言飛語をまき散らしたり、偽りの文書をねつ造して集会を妨げたりすることなどがこれに当たります。真理を知らなくてそうしたのなら、立ち返って悔い改めて赦されることができますが、知っていながらもねたんでそねんで悪い心で妨げるなら、決して赦されません。
次に「聖霊に逆らう」とは何でしょうか? 神が聞かせてくださった聖霊の声に逆らったり、聖霊のみわざを思いのままにさばいて罪に定め、教団に知らせて追い出すなど、相手に害を与えることです。
<マタイ12:32>に「また、人の子に逆らうことばを口にする者でも、赦されます。しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、だれであっても、この世であろうと次に来る世であろうと、赦されません。」とあります。「人の子に逆らうことばを口にする」とは、イエス様を単に人だと思って逆らうことを言うことを意味します。これはイエス様が救い主であることを悟れない無知から始まった罪なので、悔い改めて立ち返って主を受け入れれば、救われることもできるということです。
今日も、真理を知らなかったり、聖霊を受ける前にこのような罪を犯せば、神も悔い改めて赦される機会を与えてくださいます。しかし、もしイエス・キリストが誰なのか知っていながらも、主を冒涜して逆らったなら、これは聖霊を冒涜して逆らうようなことなので、決して赦されません。
最後に「聖霊をけがす」とは、神の御霊である聖霊を侮ったり、その神性をけがすことです(ルカ12:10)。もし聖霊のみわざをサタンのしわざだと非難したり、反対に聖霊のみわざでないことを聖霊のみわざだと言ったなら、これは神の永遠の力と神性を侮る罪です。また、真理を真理に逆らうことだと偽って伝えたり、事実を偽りだ、でっちあげだと言うことも、聖霊をけがすことなのです。
したがって、聖霊のみわざを認めないで、やたらに異端だとさばいたり罪に定めたりしてはなりません。もし過去によく知らなくて聖霊を冒涜し、逆らい、けがしたとすれば、今でも徹底的にたましいを砕いて罪を告白して、神の憐れみを受けるようお願いします。


* まとめと適用

1. 「死に至る罪」とは具体的にどんなことか挙げてください。

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2. 死に至る罪に関する聖句でないものを選んでください。
①マタイの福音書12:31-32 ②ヘブル人への手紙6:4-6
③ヘブル人への手紙10:26-27 ④箴言8:17


* 今週の課題

次回は教会の理想的なモデルと言われている初代教会について学びます。使徒の働き2章を読んできましょう。


* 知って力にしましょう!

「聖霊を冒涜すること」と「聖霊に逆らうこと」を区分する方法
「聖霊を冒涜すること」と「聖霊に逆らうこと」は意味が似ているが、あえて区分するなら、「肉的なことをもっぱら考える」ことと「肉の行いを犯すこと」の違いにたとえられる。肉的なことをもっぱら考えるとは「まだうわべに現れてはいないが、いつかは誘発されて行いとして現れる、真理に逆らう属性から出るもの」なら、肉の行いは「肉的なことが具体的な行いとして現れたこと」を言う。同じように、聖霊を冒涜することが「神の働きがなされないように聖霊のみわざをさえぎること」なら、聖霊に逆らうことは「すでに聖霊のみわざでなされたことを積極的に偽りだと言い、逆らって相手に害を与える行為」のことを言う。

 
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