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メッセージ >
聖書の学び
Title
祝福の秘訣(4)
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
Date
2013-08-16
[聖書の学び]
祝福の秘訣(4)
読むみことば: マラキ3:8-10
覚えるみことば: マラキ3:10
参考にするみことば: マタイ6:21
教育目標: すべての物質の主権が創造主の神にあることを認めて、十分の一献金をことごとくささげ、また奉納物をささげることによって、まことの祝福を受ける聖徒になるようにする。
十分の一献金は私たちの所得はもちろん、すべての物質に対する主権が創造主の神にあることを認めて信じるという表現と言えます。この地上で生きている間、私たちの命のような物質をささげることによって、神への愛を表現することなのです。十分の一献金は主日を守ることとともに、私たちが神の子どもであることを証しする行為です。「私には信仰があります」と、神の御前で証しする行いなのです。十分の一献金はこのような意味を含んでいるので、救いともかかわりがあります。
1. 十分の一献金の重要性
十分の一献金とは、事業の場や職場などのいろいろな分野から入るすべての収入の十分の一を神の御前にささげることを言います。自然万物は神から来て、すべての産業はここに基盤を置いています。したがって、自分が労苦して稼いだ収入とはいえ、神が下さったものと認めて、収入全体の十分の一を神にささげるのです。これは神のみこころであり、神の物的主権を認める行いです。
私たちが十分の一献金をしなければならない最も大きな理由は、創造主の神を信じるという証拠になるからです。言いかえれば、十分の一献金をしないことは神を信じないという証拠になるので、十分の一献金は救いの基準になるのです。神は多くのものを下さり、そのうち十分の一だけを聖別してささげなさいと言われたのに、それでも十分の一献金をささげないなら、これは神のものを盗むことです。
<マラキ3:8-9>に「人は神のものを盗むことができようか。ところが、あなたがたはわたしのものを盗んでいる。しかも、あなたがたは言う。『どのようにして、私たちはあなたのものを盗んだでしょうか。』それは、十分の一と奉納物によってである。あなたがたはのろいを受けている。あなたがたは、わたしのものを盗んでいる。この民全体が盗んでいる。」とあります。
多くの罪の中で最も大きい罪は、創造主の神と救い主であるイエス様を信じない罪です。神は私たちを救うためにひとり子イエス様をこの地上に遣わされ、イエス様はいのちを渡してくださったことで、私たちを愛しておられるという証拠を見せられました。
それでは、私たちが霊である神に心を表現する方法は何でしょうか? 大切な物質をささげることによって、神に信仰と愛を表現できます。もちろん、礼拝と祈り、賛美、忠実などでも表現できますが、多くの人が物質を命にたとえるほど大切に思うからです(マタイ6:21)。まことに神を信じるなら、信仰があるという最小限の証拠として十分の一献金をささげなければなりません。
ある人は単に祝福されるために十分の一献金をするものだと言ったり、ある人は十分の一献金をすれば祝福されるけれど、しなくてもかまわないと教えたりもします。しかし、いくら忠実に奉仕しても、十分の一献金をしなければ、救われることができません。信仰が少ない初心の者の場合は、救われてもかろうじて恥ずかしい救いを受けるようになります。
神の子どもとして十分の一献金をしなければならないもう一つの理由は、祝福されるためです。愛なる神が子どもたちを苦しめようと十分の一献金というおきてを下さったのではありません。
<マラキ3:10>に「十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。──万軍の【主】は仰せられる──わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。」とあります。まだ信仰が弱くて、「本当にそうだろうか」と疑って惜しむ人でも、創造主の神を信じて聞き従うことで祝福されることを願われるのです。
このように献金として出た教会の財政は、魂の救いと直結することに使われます。すなわち、主のしもべや教会職員の給与、宣教費、さまざまな行事の費用、聖殿維持費、施しなどがこれに該当します。
2. 十分の一献金をことごとくささげるためには
十分の一献金をことごとくささげるためには、まず総収入から十分の一献金を取らなければなりません。ある人が1か月の給与が10万円ですが、さまざまな税金、年金、保険料などが控除されて、実際には8万円もらったとしましょう。その8万円を収入として、8千円を十分の一献金としてささげたとすれば、これは正しく計算したのではありません。総給与額である10万円を収入として計算しなければなりません。総収入とは、現金収入だけでなく、さまざまな現物収入も含みます。食事のもてなしやプレゼントも収入に含めて、これに対する十分の一献金をささげなければなりません。
また、感謝献金などの他の献金と区別して、別にささげなければなりません。十分の一献金としてささげるべきものを他の名目で献金したなら、神のものを自分の好きに取り扱ったのです。十分の一献金は収入から一番先に聖別してささげなければなりません。基本的に十分の一献金を先に取って、残りを使うことが正しい方法です。収入があったらすぐ十分の一献金を取っておけば、お金がなくてささげられないことを防げます。
また、十分の一献金は霊の糧を供給されている教会にささげなければなりません。ただ出席しているだけの教会ではなく、霊的に自分を成長させる所にささげなければならないという意味です。もちろん、感謝献金や建築献金などその他の献金は、自分が心に働きかけられた所にささげられます。
また、原則的に十分の一献金は各自の名前でささげなければなりません。夫の収入なら夫の名前で、妻の収入なら妻の名前でささげなければなりません。天国では個別に土地と家と報いが与えられるからです。夫婦が一緒に事業をしている場合は、共同の名前で十分の一献金をささげてもよいです。
子どもたちもお年玉やお小遣、誕生日のプレゼントなどの収入があるので、幼い頃から十分の一献金をささげるように教えなければなりません。学費や学用品などのように、決められた用途でもらうものは、子どもの収入ではないので、これに対する十分の一献金は取らなくてもよいです。
十分の一献金は少なくとも1か月単位で計算してこそ、忘れてしまわないで完全にささげられます。収入があったその時その時にささげたり、1か月に1回以上ささげることが望ましいのです。農業をしている場合や固定収入がない場合は、数か月間隔で、または1年単位でささげてもかまいません。
正規の収入がない専業主婦の場合はどうでしょうか? 友だちに会ったり余暇を楽しむなど、自分の好きに使えるお金があるでしょう。このように暮らしと直接関連のない支出が、すなわち自分の収入になるので、これを計算して十分の一献金をささげればよいのです。
神は「十分の一献金をことごとく」ささげ、「奉納物」をささげれば、あふれるばかりの祝福を注いで、家庭、職場、事業の場を守ってくださると約束されました。それでは、奉納物を完全にささげる方法は何でしょうか? 奉納物とは、十分の一献金の他に神の御前にささげるすべての献金のことを言います。
神は十分の一献金とともに奉納物をささげないことも、神のものを盗んだのだと言われました。これはつまり、まことの信仰がないという証拠になるからです。ある人は「暮らし向きが厳しくて、ささげるものがありません」と言います。しかし、神にささげる献金は、少ないものでも愛と心を込めてささげればよいのです。
誰かにプレゼントする時も、壊れたもの、傷のついたものをあげないように、神にささげる時は、必ず傷のないものでささげなければなりません。傷のないささげ物とは、ささげる人の「心」とささげる「物」に傷があってはならないことを意味します。もし物惜しみする心でいやいやささげたなら、神が喜んで受けることがおできになりません。
また、神との間に罪の隔ての壁があるままで、あるいは兄弟と平和を壊しながらささげるささげ物も、喜ばれません。したがって、神の御前に罪や咎があるなら、悔い改めて立ち返って罪の隔ての壁を壊してから、隣人との間にも平和をつくってから、ささげ物をささげなければなりません。
また、心だけでなく、実際ささげ物にも傷があってはなりません。くしゃくしゃだったり破れているお札、汚いお札でなく、きれいなお札でささげるのが望ましいです。また、使って残ったものの中から適当にささげるのではなく、別に取り分けておいてささげなければなりません。
私たちが奉納物をささげるとき、心に留めるべきことは、移り変わりがあってはならないということです。感謝献金としてささげるものは感謝献金として、建築献金としてささげるものは建築献金として、定めたとおりにささげなければなりません。たとえば、建築献金と定めてから、勝手に施しや賛助献金に変えることはふさわしくありません。そんな場合、建築献金は相変わらずささげていないことになります。
最後に、奉納物は必ず講壇に上げて、按手を受けなければなりません。礼拝時間にささげた献金に主のしもべが祈って、神のものとして聖別して証印を押してこそ、神がお受けになって、ささげた手に完全な祝福を与えられるのです。
* まとめと適用
1. 十分の一献金とは何で、ことごとくささげるにはどうしたらよいでしょうか?
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2.奉納物を完全にささげるにはどうしたらよいでしょうか?
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3. 次の説明の中で間違っているものを選んでください。
①十分の一献金とは、事業の場と職場などのいろいろな分野から入るすべての収入の十分の一を神の御前にささげることを言う。
②十分の一献金は神のみこころであり、神の物的主権を認める行いである。
③十分の一献金は救いの基準になるほど重要である。
④10万円の月給から税金、年金、保険料などを控除した8万円に対する十分の一献金だけをすればよい。
* 今週の課題
私たちが神様に祝福されるための秘訣は何でしょうか? 今までに学んだ「祝福の秘訣」四回分を復習してみましょう。
* 知って力にしましょう!
「十分の一献金」をしなかった人々が下のよみで受ける刑罰」
十分の一献金をしなかった人は、それぞれの胸に「盗人」と書かれた名札をつけている。そして、椅子に両手両足が縛られたまま、自分のように十分の一献金を盗んだ人々によって石で打たれ、竹槍のようなもので突かれる刑罰を受ける。交代に拷問し、拷問される。拷問しなければ、自分が地獄の使いのむちで打たれるからである。白い御座の大審判の後には、火と硫黄との池に入って、とこしえに苦しみを受ける。
73, Yeouidaebang-ro 22-gil, Dongjak-gu, Seoul, Korea
- tel 82-2-818-7000 - fax 82-2-851-3846
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