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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   御霊の実(7)- 誠実  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2013-07-23


読むみことば: ガラテヤ5:22-23
覚えるみことば: 箴言25:13
参考にするみことば: 詩篇101:6、黙示録2:10
教育目標: 主人の心を生き返らせて、神が認められる霊的な誠実について調べ、御霊の実を完全に結ぶようにする。

神の御前に誠実な人は神の国の宝であり、美しい宝石のように尊い存在と言えます。このような人からは、揺れ動くことのない変わらない心の香が放たれます。牛のように愚直で黙々とした従順の香とともに、多くを言わなくても信頼できる、信実な心の香が放たれるのです。それで多くの人からほめられて愛されるし、神も良い忠実な者だと認めてほめてくださるのです。


1. 愛とまことを尽くして任されたこと以上をやり遂げてこそ誠実

会社で給与をもらっている社員が自分の業務をよく果たしたからといって、「誠実だ」とは言いません。責任を全うしたとは言えるでしょう。自分が任されたことで、あふれるように果たしてこそ誠実だと言えます。このような人は時間と物質と努力を惜しまず、心と思いとまことを尽くして労苦します。「私が給与をもらっただけしなければ」と計算づくの心からや、いやいやするのではありません。心から湧き上がる誠実さをもって働きます。このように誠実の実が結ばれた人は、責任を負う分野においても、自分に与えられたこと以上に責任を果たします。
聖書では預言者モーセがそうでした。モーセは罪を犯したイスラエルの民にいのちを与えるために、自分のいのちと引き換えに祈りました。「ああ、この民は大きな罪を犯してしまいました。自分たちのために金の神を造ったのです。 今、もし、彼らの罪をお赦しくだされるものなら──。しかし、もしも、かないませんなら、どうか、あなたがお書きになったあなたの書物から、私の名を消し去ってください。」と祈ったのです(出エジプト32:31-32)。
モーセは民が罪を犯したとき、「私は最善を尽くして神のみこころを伝えたのに、彼らが聞き従わなかったから、どうしようもありませんでした」と言いませんでした。神の心をもって愛とまことを尽くして民を導きました。彼らが過ちを犯した時も、自分のことのように責任を負おうとする心でした。それで、いのちの書から自分の名が消されても、赦してくださいと神に切に祈ったのです。
ある人々は使命をよく果たしてきたのに、構成員のせいで事がうまく行かなかったり、困った事が起きれば、「神様、私は最善を尽くしました。これまで私もずいぶんつらかったです」と言って、責任を回避しようとします。「私がすべきことは全部したので、やましいことはありません」ということです。こんな心は誠実とはかけ離れた心です。
誠実の実が結ばれた人なら、「私には責任がありません」と言いません。たとえ自分が最善を尽くしたとしても、それを考える前に、神がどんなお心で自分に使命をゆだねられたのかを思い浮かべます。
モーセならどうでしょうか? 神が御怒りを燃やされて、構成員を滅ぼすと言われても、彼らが滅びることより、悔い改めて立ち返ってほしいと願われる、愛と憐れみの神がまず思い浮ぶのです。ですから「神様、すべて私のせいです。私の導き方が間違っていたからです。私をご覧になってでも、もう一度だけ機会を与えてください」という真心からの祈りが出てくるのです。
すべての分野でも同じです。誠実な人は、どんな分野の使命を果たそうが、心とまことを尽くしてあふれるように果たすのが見られます。


2. 神が認める霊的な誠実とは?

 霊的な誠実とは、休まず「心の割礼」をする作業のことを言います。絶えず心の着物を洗うことなのです。神のことばに外れる真理に逆らうもの、悪、不正、不法など、すべての罪を捨てて聖められることです。
<黙示録2:10>に「死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。」とあります。ここで「死に至るまで忠実である」ということは、単に命尽きるまで熱心に働いて、誠実に仕えるという意味ではありません。聖書66巻に込められた神のことばをいのちを尽くして実践するという意味です。
私たちが霊的に誠実であろうとするなら、罪と血を流すまで戦って捨てて、神の戒めを守っていかなければなりません。このような心の割礼なしに、使命だけ果たすからといって、誠実に仕えたとは言いません。「私にとって毎日が死の連続です。」と告白した使徒パウロのように、真理に逆らう自分の姿に徹底的に死に、聖められることがまさに霊的な誠実です。
神は私たちが「聖められる」ことを何よりも願っておられます。かといって、完全に聖められるまで、他の使命は果たしてはならないという意味ではありません。どんな務めや使命を任されても、いつも心の割礼を同時にしていかなければならないのです。
そういう人は変わらず使命もよく果たします。現実にどんな困難や心の訓練があっても、そのために使命を手放したり怠ったりません。使命は神と自分との約束です。私たちが罪を捨てることは報いになりませんが、聖められたほどよりすばらしい天国に入れるし、さらに多くの報いを積むことができるのです。


3. 主人の心に合うように聞き従ってこそ誠実

<箴言25:13>に「忠実な使者はこれを遣わす者にとって、夏の暑い日の冷たい雪のようだ。彼は主人の心を生き返らせる。」とあります。いくら仕事がよくできるとしても、自分の思いどおりにすれば、主人の心を生き返らせることはできません。
たとえば、社長が社員に「大切なお客様が来られるから、必ず事務室で待っていなさい」と指示しました。ところが、突然急な仕事ができて、外に出てから遅く帰って来ました。社長がこの社員はよくやったと言うでしょうか? そうではありません。いくら会社の仕事のためだといっても、聞き従わなかったので、ほめられることはできないでしょう。こういうタイプの人は自分の思いと欲に従って働くので、いつでも主人の心に逆らうことがありえます。
神の働きをする時も、どれほど熱心にするかより、どれほど神のみこころにかなうようにするかが重要です。神のみこころに逆らって誠実に仕えたとしても、どうしてそれが報いになるでしょうか。どんな働きでも、真理に逆らわない以上、目上の人の心に合わせて働いてこそ、敵である悪魔・サタンが訴えないで、結果もまた神に栄光を帰せるのです。


4. 全家を通じて忠実とは?

自分がかかわっているあらゆる分野であまねく誠実に仕えることを「全家を通じて忠実である」と言います。もし教会で特別な使命がないとしても、聖徒として、各種の集まりに属する会員として、持ち場を守ることも誠実に仕えることです。
家庭、職場、学校でも同じです。自分が属するところの構成員として、本分を尽くさなければなりません。神の子どもとして、妻と夫として、親として、学生として、職員として本分を尽くすとき、全家を通じて忠実であるのです。一つ、二つの分野だけ熱心にして、残りはちょっとおろそかにしたら、完全な誠実とは言えないのです。
それなら、からだは一つで務めが多いとき、あらゆる分野でどう誠実に仕えることができるでしょうか? 御霊の人に変えられれば、全家を通じて忠実であることは難しくありません。
たとえば、皆さんがAという集まりでは会長で、Bという集まりでは会員だとしましょう。この時、誠実の実が結ばれていれば、どちらか一つもおろそかにしません。「私はAのかしらだから、Bに行かなくてもわかってくれるだろう」と言いません。Bに行けない状況なら、他の方法でも気を遣って力になろうとします。このように、善があるほど全家を通じて忠実であることができて、すべての人と平和を追い求めることもできるのです。
皆さんは、神の御前に誠実であることが以前と比べてどれほど変わったでしょうか? 以前は使命も慕って誠実に仕えたのに、今は何も任されていない方がいるでしょうか? 以前も今も使命はそのままだとしても、初めその使命を任された時の熱かった心が冷めてはいないでしょうか?
まことの信仰を持った人なら、信仰歴が積まれるほど、誠実度もさらに優れるものです。私たちが主にあって誠実であることは、神の国を建て上げて、数多くの魂を救うための誠実です。ですから、やがて天国では、どれほど価値ある尊い報いとしていただけるでしょうか。
<詩篇101:6>に「私の目は、国の中の真実な人たちに注がれます。彼らが私とともに住むために。全き道を歩む者は、私に仕えます。」とあります。誰でも心が聖められて、全家を通じて忠実であれば、最も美しい天国、新しいエルサレムに入る祝福をいただけます。誠実の実を結び、神の国に柱のように用いられるだけでなく、神の御座近くに住む栄光を受けますように。


* まとめと適用

1. 霊的な誠実の意味を書いてください。

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2. 誠実に関するみことばでないものを選びなさい。
①詩篇101:6 ②箴言25:13
③マタイ25:21 ④使徒1:8

3.もし皆さんの周りに、自分の使命をおろそかに思ったり、信仰生活を休みたいと言っている聖徒がいるなら、どう諭すべきでしょうか?

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* 今週の課題

次回は御霊の実の「柔和」について学びます。「柔和」というとどんなイメージが浮かぶでしょうか? 聖書ではどんな人物が柔和の実を結んだと思いますか? 考えてきましょう。


* 知って力にしましょう!

誠実を意味する「赤縞めのう」
新しいエルサレムの城壁の第五の土台石である赤縞めのうは、霊的に誠実を意味する。ある分野で自分に任されたことだけしておいて手を引いたら、誠実と言えない。任されたこと以上を果たすとき、誠実と言う。そうするためには、すべてのことに怠けないで最善を尽くさなければならない。
また、赤縞めのうが意味する誠実とは<黙示録2:10>に記された「死に至るまで忠実である」ことを言う。つまり、まことと時間と物質を惜しまないで、いのちを尽くして任された以上に使命を果たすことを意味する。

 
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