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メッセージ >
聖書の学び
Title
御霊の実(6)- 善意
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
Date
2013-07-22
読むみことば: ガラテヤ5:22-23
覚えるみことば: マタイ5:16
参考にするみことば: マタイ12:35
教育目標: 世的な善と、神のことばが基準になるまことの善について調べて、善意の実を結ぶようにする。
私たちが聖霊を受けて、真理のとおりに行えば、心と行いが良いものになります。それで、<マタイ5:15-16>に「また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」とあるとおり、すべてのことに善を追い求めて行い、善意の実を結ぶことができます。
1. 各自の良心が基準になる「善」
主を信じて聖霊を受けていない世の人々にも、自分なりに善悪をわきまえる基準があります。つまり、自分の良心に従って「これは善だ。あれは悪だ」と言います。それで、良心に引っかかるものがなければ、自分なりに善だ、正しいと思います。しかし、良心は人それぞれ違います。自分は善だと思ったことが相手には悪いこともあり、自分にとっては悪だと思ったことが他人にとっては善であることもあるからです。
それなら、良心とは何でしょうか? それは「本性を土台に作られた善悪を判断する基準」です。人の本性は、親からどんな気を受け継いで生まれるのか、どんな環境で育つのかによって違ってきます。良い親の気を受け継いで生まれた子どもは、比較的本性が良いです。また、良い環境の中で善なるものをたくさん見て聞いて育った人は、良心が正しく作られやすいのです。反対に、悪い親の気を受け継いで生まれて、悪いものをたくさん見て聞いて接すれば、本性と良心が悪くなるものです。
たとえば、正直の重要性について教えられて育った子どもは、ささいな嘘にも良心の呵責を感じます。しかし、習慣的に嘘をつきながら育った子どもは、大きい嘘をつきながらも、それが過ちであることもわからないのです。良心がそれだけ悪に染まっているからです。
また、どんな価値観の影響を受けて成長するかによって、人々の良心は違ってくるし、社会によって、国によって、時代によって、価値観がすべて同じなのではありません。昔、奴隷がいた時代は、奴隷を働かせて虐待しても、それが間違いだと思いませんでした。また、30年前でさえ、私たちの社会ではひどく露出した服を着れば、後ろ指を差されました。しかし、今は意識がずいぶん変わりました。それだけ時代の価値観が変わったということです。
世の人々は誰でも「自分が見て良いもの」を追求するだけなので、それが絶対的な善とはいえないのです。反対に、神を信じる聖徒たちには善悪と正しい正しくないをわきまえる基準がいつも同じです。きのうもきょうも、いつまでも変わらない真理、すなわち、神のことばがその基準になるからです。このような「真理」を基準にして行おうとする心がまさに「善意」です。
2. 善意の実とは?
「善意」を辞書で調べれば「よい心、他人のためを思う親切心」という意味です。霊的には、御霊にあって善を追求する心、すなわち、真理にあって善を追い求めて行う心です。<マタイ12:35>に「良い人は、良い倉から良い物を取り出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を取り出すものです。」とあるように、善を追求する人からは自然に善がにじみ出ます。誰が見ていようがいまいが、良い心があるので、良い行いをするのです。まるで香水をつけた人から良い香りがするように、キリストの香りを放ちます。
ところで、善を追求する心だけが切実だからといって、善意の実が結ばれるのではありません。善を見て聞いて学んだら、必ず心に耕して、行うことによって実践しなければなりません。ルカの福音書10章を読むと、良きサマリア人がどのように善意を行ったのか、よくわかります。
ある人が強盗に襲われて、半殺しになりました。ちょうど祭司がひとり、彼を見ましたが、そのまま通り過ぎてしまいます。その後にレビ人が通りかかりましたが、彼も知らん顔をしてしまいます。祭司やレビ人は神に仕えて、律法を教える人々です。しかし、いざというと、神のみこころを行わなければならない瞬間には、行いを見せられなかったのです。
ちょうどあるサマリア人がそこに来合わせて、倒れている人を発見しました。彼はすぐほうたいをし、急いで宿屋に連れて行き、介抱してやりました。次の日、デナリ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して、介抱してあげてくださいと頼み、もっと費用がかかったら、後から来て払うと言います。自分とは何の関係もない人なのに、物質と時間を損しても、惜しいと思いませんでした。善を追求して善を行う「善意」が心に満ちていたからです。もしそのまま通り過ぎてしまったとすれば「けがをした人はどうなったのだろうか」と心配して、ずっと気にかかったでしょう。このように善意とは、善を選ばなくては耐えられなる心です。
3. イエス様の善意の心
<マタイ12:19-20>には、イエス様の善意がよく現れています。「争うこともなく、叫ぶこともせず、大路でその声を聞く者もない。彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともない、公義を勝利に導くまでは。」とあるとおり、善意の実がぎっしり詰まっていて、その香りが満ち満ちています。
良いわざだけを行われたイエス様を、悪い人々は殺そうとしました。それでもイエス様は彼らを憎まないで、神のまことのみこころを悟らせてくださいました。いくら悪い者が妨げても、争ったり叫んだりもされなかったのです。
肉の人は自分を目立たせて自慢するのが好きです。自分を認めてくれることを願って、良い待遇を受けたがります。しかし、イエス様は死んだ者を生かして、大いなる神の力を施しながらも、叫ばずへりくだっておられました。誰も大路でその声を聞けないほど、歩き方、身のこなし、話し方にも傷がありませんでした。その心にはただこの上ない善と謙虚さ、霊の愛だけが満ちておられました。
私たちが善意の実を結べば、イエス様のように、誰とも引っかかったりぶつかったりしません。相手のしみや過ちを暴き出そうとしません。自分を目立たせて高められようとすることもなく、筋に合わないことにあってつぶやくこともありません。
イエス様はいたんだ葦も折らないで、くすぶる燈心も消されませんでした。霊的に「いたんだ葦」とは、世の罪と悪でぎっしり満ちた人のことを言います。「くすぶる燈心」とは、心がひどく悪で染まっていて、その魂の明かりが消えていく人のことです。いたんだ葦とくすぶる燈心のような人々は、神を信じるといっても、その行いを見れば世の人と変わるところがなく、かえって聖霊に逆らって神に立ち向かうこともあります。イエス様の当時、驚くべき神の力を見ながらも、相変わらず信じないで悪を行う人が多かったのですが、イエス様はこんな人々も最後まで信じて期待して、救われる機会を開いてくださいました。
善意の実が結ばれれば、悪を行う人でも心にいだきます。あえて正しい正しくないを問い詰めて相手の過ちを表したり、負かそうとしないのです。真実の心から良くしてあげて、彼らの心を溶かして感動を与えます。仮に死の道に向かっている人でも「ここまで我慢しよう!」と限界を作って、その限度を超えるからといって顔をそむけるのでもありません。最後まであきらめないで、いのちを与えようと努めます。これがすなわち善意の心です。
それなら「善意」の心と、他の御霊の実とはどう区別できるでしょうか? たとえば「サマリア人が強盗に襲われた人を助けてあげたのは、親切か、施しとあわれみの心ではないのか」また「争うこともせず叫ぶこともしない心は、平安と謙遜の心ではないのか」と疑問を持つこともあるでしょう。これは、どの面に重点を置いたかを見ればよいのです。
「善意」で強調する側面は、善を行おうとする「心」と、善を追い求めて「行える力」です。つまり、相手をかわいそうに思って助ける「あわれみ」に焦点を置くのでなく、あわれむべき状況で、そのまま通り過ぎることができない「良い心」に重点を置いたのです。
また、争うことも叫ぶこともせずということは、もちろん平安をもたらす謙遜な心です。これを善意と比べると、心に善があるので平和を壊せない心、認められようと叫ぶよりはへりくだるほうを好む良い心にポイントを置いたのです。
善意の実を完全に結べば、主の心に似せられるようになります。誰も傷つけたり、つまずかせたりしないで、他人に迷惑をかけません。外面にも善と謙遜が漂ってきます。主の教育ですべてにおいて尊敬されるほどなり、歩き方や身のこなし、話し方の習慣などが完全になるのです。したがって、皆さんはすみやかに善意の心に変えられて、誰が見ても尊ばれるような美しい姿でキリストの香りを放ちますように。
* まとめと適用
1. 善意の霊的な意味を書いてください。
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2. 次の説明の中で間違っているものを選びなさい。
①善意とは、善を追求する心、真理にあって善を追い求めて行う心だ。
②真理はひとりひとりの価値観によって変わるはずだ。
③善意は、他の御霊の実に比べて、善を行おうとする「心」と、善を追い求めて「行える力」に重点を置いたものだ。
④神のことばは真理そのもので、きのうもきょうも、いつまでも変わることがない。
* 今週の課題
次回は御霊の実の「誠実」について学びます。家庭で、職場で、教会で、その他の場所で「誠実である」とはどんなことでしょうか? 考えてきましょう。
* 「地名」を知って力にしましょう!
「サマリヤ」
北王国イスラエルの首都で、その周りを称する言葉でもある。ここにバアル信仰や他の宗教の宮があったので、預言者たちは「偶像礼拝の中心地」とみなした。エフーは王になった後、イスラエルからバアルを根絶やしにした。神を離れて偶像を拝んだサマリヤは、何度もアッシリヤの攻撃を受けて、ついに陥落してしまう。アッシリヤの王はサマリヤに自国民を移住させて、混血政策を繰り広げる。これによってサマリヤは混血民族になった。ユダヤ人はこのようなサマリア人を敵対視して、つきあおうともしなかった。
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