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メッセージ >
聖書の学び
Title
御霊の実(5)- 親切
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
Date
2013-06-26
読むみことば: ガラテヤ5:22-23
覚えるみことば: ルカ6:32
参考にするみことば: ヤコブ2章
教育目標: 親切の霊的な意味と特徴について明らかに知り、親切の実を結べるようにする。
ある日、出張中のお父さんが青天の霹靂(へきれき)の知らせを受けます。息子が上級生に暴行されて死んだというのです。彼は息子を殺した上級生があまりにも憎くて悔しく、どうすれば復讐できるだろうかと考えるばかりでした。それで、嘆きながら神に祈りましたが、十字架を負われたイエス様が現れて「赦しなさい」と言われる声が聞こえました。決して赦せないと思っていたのに、自分の罪のために十字架で死なれ、また、ご自分を十字架につける人でさえあわれんでくださったイエス様の愛を思うと、息子を殺した人を赦せたのです。このように、神の認められる親切とは、とうてい赦せない人もあわれんで、赦して愛する心です。
1. 親切の実とは?
親切は、辞書では「相手の身になって、その人のために何かをすること。思いやりをもって人のためにつくすこと。また、そのさま。」と定義しています。これに加えて、霊的な意味は「とうてい理解できなくて赦せない人も、真理にあって理解して赦す心」です。
もし神があわれんでくださらず、公義に従ってだけさばかれるなら、御前に立てる人は誰もいないでしょう。しかし、神はとうてい赦すことができなくて理解できない人も、愛でいだいてくださるのです。さらに救い主であるイエス様は、いのちまで与えることによって私たちに対する愛を現してくださいました。
人々の中には「いくらいいほうに理解しようとしても、あの人はとうてい理解できない」とか「いくら赦そうとしても、あの人だけはどうしても赦せない」と言う人もいます。こんな人は、それだけ相手の身になれる心がないという証拠です。
それでは、親切と愛はどう違うでしょうか? 愛が自分の利益を求めないで何の代価もなく相手のために犠牲になれる心ならば、親切は赦して心にいだく面のほうが強いです。つまり親切は、とうてい愛せない人でも誤解したり憎んだりしないで、すべてを包んであげる心です。
親切の実が結ばれれば、相手の大きい過ちが見えても、罪に定めるよりはあわれみの心のほうが先に立ちます。相手を理解してあげて、何としてでもその人にいのちを与えようと努めます。善と愛で包むので、嫌ったり引っかかったり、憎くて気に障る人がいません。
ヨハネの福音書8章を読めば、イエス様のこのような心がうかがえます。律法学者とパリサイ人が姦淫の場で捕らえられたひとりの女を連れて来ました。その当時、姦淫罪は石で打ち殺すようになっていました。彼らには女をかわいそうに思ったり、生かそうとする心が全くありませんでした。
しかし、イエス様は女に「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」と言われます。罪に定めないとは、罪を赦すという意味です。赦せない罪であってもイエス様は赦して、女に立ち返ることができる機会を与えられたのです。これがまさに御霊の実としての親切の心なのです。
2. 霊的な親切の特徴
1) 偏見がありません
人は外見を見てさばくことが意外に多いです。富んでいて名誉のある人に対する時と、貧しくて学問のない人に対する時の態度が違います。神の子どもたちは相手の外見を見てさばいたり、心構えが変わること自体があってはなりません。小さい子どもや欠けたところの多いように見える人でも、自分よりすぐれた者と思って、主の心で仕えなければなりません。
<ヤコブ2:1-4>に「……人をえこひいきしてはいけません。あなたがたの会堂に、金の指輪をはめ、りっぱな服装をした人が入って来、またみすぼらしい服装をした貧しい人も入って来たとします。あなたがたが、りっぱな服装をした人に目を留めて、『あなたは、こちらの良い席におすわりなさい』と言い、貧しい人には、『あなたは、そこで立っていなさい。でなければ、私の足もとにすわりなさい』と言うとすれば、あなたがたは、自分たちの間で差別を設け、悪い考え方で人をさばく者になったのではありませんか。」とあります。
親切の実が結ばれれば、相手のうわべの姿を見て、さばいて罪に定めません。さばきを行う方は、ただ神おひとりであり、誰も兄弟を罪に定める権限を私たちに与えられたことがないからです。親切の心があれば、懲らしめを受けている人を見るとき、あわれんで「あの人が頑張って無事に通り抜けるように」と願い、祈るようになるのです。
2) 困難に置かれた人をあわれんで、喜んで施しをします
困難なことにあった人に言葉だけで「頑張ってください!」と言うのは、まことの親切ではありません。親切の心があれば、実質的に力になるように助けます。
<ヤコブ2:15-16>に「もし、兄弟また姉妹のだれかが、着る物がなく、また、毎日の食べ物にもこと欠いているようなときに、あなたがたのうちだれかが、その人たちに、『安心して行きなさい。暖かになり、十分に食べなさい』と言っても、もしからだに必要な物を与えないなら、何の役に立つでしょう。」とあります。
まことの施しは、相手が飢えているのに「私も一食分あるだけだから、どうしようもない」と言うのではありません。自分がいくら困っていても、分け合うのです。物質だけでなく、精神的に苦しんでいる人がいれば、ともに苦しみを分かち合おうとするのです。しかも主を信じないので地獄に向かっている人々を見たなら、何としてでも救いの道に導くために心を傾けることが、すなわち、親切の心です。
3) 相手をむやみに指摘しません
親切の心があれば、義憤に勝てないで簡単に相手を叱責したり指摘したりしません。ひと言指摘しても、祈り心で相手の心に気を配りながら注意深くします。<箴言12:18>に「軽率に話して人を剣で刺すような者がいる。しかし知恵のある人の舌は人をいやす。」とあります。
ある働き人は自分の義と枠の中で簡単に指摘します。その言葉がいくら正しいとしても、愛なしに指摘する時は、いのちを生むようになりません。指摘された相手が変えられるのではなく、まるで鋭い刃物で突かれたように心が傷ついて、気を落として力を失ってしまうこともあります。
小さい者に対する時も、心を刺したり、過ちを掘り起こして傷つけたり、つまずかせることがあってはなりません。どうしても必要だから諭すとしても、相手の立場でその人を尊く思う愛をもって諭せてこそ、いのちと力になり、相手が変えられるのです。
4) すべての人に寛大です
世の悪い人も、自分を好いてくれる人には寛大に対して、自分のものを渡してあげます。しかし、<ルカ6:32>に「自分を愛する者を愛したからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。罪人たちでさえ、自分を愛する者を愛しています。」とあります。親切の心を持っている人は、悪い人でも良い人でも愛します。代価を得ようとする心がなく、相手のために自分を渡せるとき、親切の実が結ばれるのです。
ステパノ執事は悪い者たちが投げる石に打たれて死にかけていながらも「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」と言って、彼らのためにとりなしの祈りをしました。自分を殺す者たちを憎んだり、怨みを晴らしてほしいと言わないで、愛の祈りをささげたのです。
ひょっとして、いまだに自分の心に嫌いで引っかかる人がいるなら、それだけ心が狭いという証拠です。いくら性格と意見が合わなくても、相手の立場で考えれば、「あの人の立場では、ああするしかなかったんだな」と理解するようになるのです。もし相手に対する良くない感じがあるなら、良い感じに変えてみますように。
5) 相手に功績を帰します
親切の実が結ばれれば、よくやったことがあれば相手の功にして、反対に失敗したことがあれば、自分の過ちにします。一緒に働いて実を出して見せたのに、相手だけほめられても、自分のことのように喜びます。「私のほうが苦労したのに、なんであの人だけほめられるのか」と気を悪くしません。むしろ相手のことを思って、もっと喜ぶのです。
たとえば、親に手伝ってもらって子どもが大きい賞をもらったとすれば、「なんで私には賞をくれないの」と気を悪くする親がいるでしょうか? 何としてでも子どもにすべての功を帰したいと思うでしょう。
親切の心もそうです。真理にあってどんな人でも理解して赦す親切の心に変えられてこそ、多くの魂を天国へと導けるのです。
* まとめと適用
1. ( )の中に正しい言葉を入れてください。
( )は、辞書では「相手の身になって、その人のために何かをすること。思いやりをもって人のためにつくすこと。また、そのさま。」と定義している。これに加えて、霊的な意味は「とうてい( )できなくて( )せない人も、真理にあって( )して( )す心」である。
2. 親切の実を結んだ人の特徴として、正しくないものを選んでください。
①相手に功績を帰する。
②すべての人に寛大である。
③困難に置かれた人をあわれんで、喜んで施しをする。
④何が何でも相手を手厳しく指摘する。
* 今週の課題
次回は御霊の実の「善意」を学びます。一般に「善意」というと、どんな単語が思い浮かびますか? 神様が願われる善意とはどんなものか、考えてきましょう。
* 「人物」を知って力にしましょう!
「ステパノ」執事
御霊と知恵とに満ちた七人の執事のひとりに選ばれた。恵みと力とに満ち、不思議なわざとしるしを数多く行い、会堂で福音を宣べ伝えもした。するとユダヤ人指導者たちは偽りの証人を立ててステパノを謀略し、告訴した。これに対してステパノが説教で彼らの罪を指摘し、悔い改められるように「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」と言った。するとユダヤ人指導者たちはかえって大声で叫びながらステパノに殺到し、町の外に追い出して、石で打ち殺した。
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