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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   愛の章(14)「キリストの愛」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2013-05-09


読むみことば: エペソ5:2
覚えるみことば: エペソ5:2
参考にするみことば: ローマ8:35-39
教育目標: 人類のために木の十字架にかけられて死なれたことで、律法を愛によって全うされたイエス・キリストの愛を悟り、見ならうようにする。

若い修道士が小さい村に赴任して、暮らしが厳しい村人たちを家族のように愛して助けました。ところがある日、その村の娘が妊娠したことが村に知られて、死ぬようになる危機に直面すると、思わず修道士が妊娠させた張本人だと嘘をつきました。怒りに満ちた住民は修道士を石で打ち殺してしまいます。血だらけになった死体を起こすと、人々はびっくり仰天します。その人は男でなく女だったのです。修道士は十分に自分を弁護できたにもかかわらず、娘を生かすために沈黙して死を選びました。
それでは、すべての人類の救い主であるイエス・キリストは、具体的にどんな愛を私たちに施されたのでしょうか?


1. 救い主の使命を果たすためにこの地上に来られたイエス様

初めにことばとしておられた神ご自身が、人となってこの地上に来られました。その方はまさに、神の御子として全人類の救い主になられたイエス・キリストです。天の栄光をみな捨てて、罪と悪でぎっしり満ちたこの世に、私たちを救うために人となって来られました。その栄えある方が、罪と悪に染まり、神のかたちを失って、獣と変わるところなく生きていく人々を救うために、家畜小屋でお生まれになりました。また、まことの糧となられるために(ヨハネ6:51)家畜の飼葉おけに寝かせられました。
それだけではありません。<マタイ8:20後半節>に「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。」とあるとおり、お休みになる所もなく、野原で身を横たえて寒さに耐え、食べる物がなくて飢えたりもされました。
イエス様に力がなくてそうだったのではありません。私たちの貧しさを贖うためでした。<第二コリント8:9後半節>に「すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」とあるとおりです。
救い主の使命を果たすために、イエス様はカナの婚宴で水でぶどう酒を作る、初めてのしるしを信号弾として、公生涯を始められました。多くの不思議としるしを現して、御国の福音を宣べ伝えられました。見えなかった人が見えるように、聞こえなかった人が聞こえるようになりました。ハンセン病者がいやされて、歩けなかった人が立ち上がって歩いて走ったし、悪霊につかれていた人が闇の勢力から解き放されました。それどころか、死んで四日もたってにおいがしていた人が墓から歩いて出てきました(ヨハネ11章)。
神の御姿であり、みことばそのものであるイエス様は、律法もまた完全に守られました。かといって、律法を守れない人々を罪に定めることもなさらなかったのです。ひとりでも多くの魂が悔い改めて救われるように、昼も夜も真理で教えられました。


2. 愛をもって律法を全うされたイエス様

 聖書には「しなさい」「してはならない」「避けなさい」「守りなさい」と言われた神の命令が書かれています。神は私たちが単に行いで律法を守るところで終わることを願われません。心から湧き上がる愛をもって行うことを望んでおられます。イエス様はこのような神のお心をよく知っておられたので、ご自身が愛をもって律法を全うされました。
ヨハネの福音書8章にある、姦淫した女の事件がその代表的な例です。パリサイ人と律法学者が、姦淫して現場で捕えられた女を連れて来て、イエス様に訴えます。旧約の律法によれば、姦淫した女は直ちに石打ちにし、殺されなければならないところでした。律法のとおりするようにと言えば、イエス様を愛がないと言うだろうし、赦しなさいと言えば、律法を無視する人だと罪に定めるでしょう。
この時、イエス様は何も答えずに地面に何かを書き始められました。それはまさに群衆に当たる罪状でした。人々はイエス様が一つ一つ書いていく自分の罪状を見て、とても石を投げられませんでした。良心の呵責を感じて、ひとりひとりその場を離れて、女だけが残りました。イエス様は女に「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」と言われます。
罪がないイエス様も、女を罪に定められませんでした。このように、イエス様は女だけでなく、彼女を罪に定めた者であっても、律法でさばかないで、彼らが悔い改められるように愛で悟らせてくださいました。
それなら、神と隣人を愛する心だけがあれば、律法は必要ないのでしょうか? そうではありません。<マタイ5:17>でイエス様は「わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。」と言われました。誰かが「神様を愛しています」と告白すると、その愛がどれほど大きくて広いのかわかりませんが、律法があるのでチェックできます。心を尽くして神を愛するなら、当然律法を守るようになり、律法を守ることが少しも難しくありません。


3. 死にまで従って十字架の摂理を成し遂げられた愛

 三年間の公生涯が終わる頃、イエス様は死を前にして、ゲツセマネの園に行って切に祈られました。その祈りは、罪が全くないイエス様ご自身の血の代価ですべての魂を救おうとなさる、命をかけた絶叫でした。どれほど苦しみもだえて切に祈られたのか、汗が血のしずくのように地に落ちるほどでした(ルカ22:42-44)。
その日の夜、兵士たちに捕えられたイエス様は、尋問を受けた後、死刑判決を受けました。ローマの兵士たちはイエス様の頭にいばらの冠をかぶせて、唾を吐いてたたき、処刑場に連れて行きました(マタイ27:28-31)。夜通しからかわれて、むちで打たれ、血まみれになったからだで木の十字架を負って、ゴルゴタの丘を上られました。
ゴルゴタの丘に着いたイエス様は、私たちの罪を贖うために十字架につけられました。「罪から来る報酬は死」(ローマ6:23)という律法の呪いのもとに置かれた私たちを贖おうと、木の十字架にかけられて、尊い血をすべて注ぎ出されました。頭にいばらの冠をかぶって血を注ぎ出すことによって、私たちが思いで犯したすべての罪を贖い、手と足に釘を打たれたことによって、私たちが手と足で犯した罪を贖ってくださいました。
極度の苦しみにあいながらも、イエス様はご自身を十字架につけている人々のために、赦しと愛の祈りをささげられました。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカ23:34)と祈られ、イエス様は十字架に6時間もつけられて苦しまれた後、死なれました。
人類の歴史上、愛のクライマックスとなる瞬間でした。これによって神との間を隔てていた罪の壁が壊されて、私たちは神と直接交わることができるようになりました。前は大祭司長が私たちの代わりに罪を贖うためのいけにえをささげていましたが、今はイエス・キリストを信じることで直接罪を告白して、神と交わるようになったのです。


4. 天国の場所を備えてひとりでも多くの魂を導かれる愛

<ヨハネ14:2-3>でイエス様は「わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。」と言っておられます。
死の力を打ち破ってよみがえられたイエス様は、多くの人が見ている間に天に上られました。まさに天国の場所を備えに行かれたのです。主は今でも私たちのために絶えずとりなしの祈りをささげておられます。食べることも飲むこともなさらず、切に祈っておられるのです(マタイ26:29)。私たちが人間耕作をしっかり受けて勝利し、たましいに幸いを得ていて、神の栄光を現すように祈り求めておられるのです。
人間耕作を終えた後、白い御座の大審判の時も、主は一時も緊張を緩められません。公義に従って、すべての人が自分の行ったことについてさばかれるからです。主は、救われた神の子どもたちがよりすばらしい天国の場所と報いを受けられるように、弁護してくださいます。ご自身で人が経験するすべてのことを体験されたので、弁護士のような役割をして、その人の立場で代弁してくださるのです。
神はイエス・キリストを通して私たちに向けられたご自身の愛を示してくださいました。この愛は最後の血一滴までも惜しまない、いのちを尽くした愛でした。はたしてこの愛から誰が私たちを引き離すことができるでしょうか。皆さんは十字架で死なれるまで私たちを愛された主の愛を世に叫ぶことによって、死にかけている数多くの魂を救うようお願いします。


* まとめと適用

1. なぜイエス様は天の栄光をみな捨てて、この地上に来られたのでしょうか?

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2. イエス様が家畜小屋で生まれて、飼葉おけに寝かせられた理由は何でしょうか?

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3. みことばが人となってこの地上に来られたイエス様に関する聖句はどれでしょうか?
①ヨハネ1:12 ②ヨハネ1:14 ③第一サムエル15:22 ④ヨハネ4:24


* 今週の課題

次回から「御霊の実」を学びます。ガラテヤ人への手紙5章を読んできましょう。


* 「用語」を知って力にしましょう!

「ゴルゴタ」とは?
神の摂理のうちにイエス様が木の十字架にかけられて死なれた所である。「どくろ」という意味で、ここに多くの死体が捨てられてどくろが多かったことと、どくろの形をした丘になっているので、このような名前がつけられたという。

 
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