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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   信仰の量り(6) 「乳飲み子の信者と堅い食物を食べる信者」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2013-04-09


読むみことば: 第一コリント3:1-3
覚えるみことば: ヘブル12:6
参考にするみことば: ヘブル12:6-7
教育目標: 乳飲み子の信者と堅い食物を食べる信者の信仰の違いについて調べる。

信仰には段階があって、成長過程によって、子どもたちの信仰、小さい者たちの信仰、若い者たちの信仰、父たちの信仰に分けられます。また、赤ちゃんが成長する過程で、乳を飲んでから堅い食物を食べるように、信者も乳飲み子の信者と堅い食物を食べる信者に分けられます。今回は、乳飲み子の信者と堅い食物を食べる信者の信仰の量りはどう違うのか調べてみます。


1. 信仰の一、二段階は乳飲み子の信者

救われるための信仰の一段階の人は、イエス・キリストを受け入れて聖霊を受け、いのちの書に名が記されます。それだけでなく、神と親子の関係が成立し、神を父と呼びます。また、みことばどおり行おうとする信仰の二段階の人は、聖霊に満たされてみことばを聞くことを慕い、聞いたとおり行おうと努力します。しかし、行いが伴わないので、信仰生活がつらく感じられます。
信仰の一段階にいる人は、罪を犯しても悩まないで、御霊のうめきも聞けません。まだ真理が何か、真理に逆らうものが何か知らないので、罪を犯しても罪とは悟れないからです。この段階では、みことばについての知識がなくて、真理で見分けられないので、仮に罪を犯しても、神がひどく責められません。まるで赤ちゃんが、何も知らないので、はいはいしていて水の入ったコップをひっくり返して、それを割っても叱らないようなものです。むしろ親や家族がコップを片づけないで注意しなかったことが間違っていたのであって、決して赤ちゃんのせいだと思いません。
しかし、信仰の二段階に入ると、罪を犯すとき、御霊のうめきを聞くようになって、悩むようになります。子どものようなので、みことばを聞いても完全に理解できないだけでなく、自分で行える段階の信仰でもありません。このように自分で行えない信仰の一、二段階にいる人を「乳飲み子の信者」と言います。


2. 乳飲み子の信者を養い育てる方法

 神は、信仰の一、二段階にいる人が主日を守らなかったり、みことばどおり生きられなかったからといって、何が何でも懲らしめられるお方ではありません。その人の信仰の段階に合わせてわかってくださり、愛をもって悟れるようになさいます。
<第一コリント3:1-2>に「さて、兄弟たちよ。私は、あなたがたに向かって、御霊に属する人に対するようには話すことができないで、肉に属する人、キリストにある幼子に対するように話しました。私はあなたがたには乳を与えて、堅い食物を与えませんでした。あなたがたには、まだ無理だったからです。実は、今でもまだ無理なのです。」とあります。
コリント教会の信者たちはイエス・キリストを受け入れて、神の子どもとされる特権は受けましたが、まだ神のかたちを完全に取り戻したのではありませんでした。それで、使徒パウロは「御霊に属する人に対するようには話すことができないで」「肉に属する人、キリストにある幼子に対するように話しました。」「私はあなたがたには乳を与えて、堅い食物を与えませんでした。」と表現したのです。
みことばどおり生きられない人には、まるで乳を飲ませるようにやんわりと勧めながら、一つ一つ導かなければなりません。それで、「乳飲み子の信者」と言ったのです。一方、みことばを理解して、自分から行えるようになれば、「堅い食物を食べる信者」と言えます。つまり、信仰の三段階と言えます。
したがって、乳飲み子の信者はみことばどおり生きながら、堅い食物を食べる信者になるために努めなければなりません。ただし、何が何でも堅い食物を食べる信者になるように無理強いしてはなりません。もし乳を飲ませないで堅い食物を食べさせたら、消化不良になって逆効果をもたらすはずです。
たとえば、夫がやっと主日を守る人なのに、「なぜあなたは他の人のように祈らないんですか? なぜ区域の集まりには行かないんですか? お願いだから一生懸命やってみてください」と、しょっちゅうせっついたら、それでも行っていた主日さえ行きたくなくなるでしょう。このような場合は、その人の信仰の量りに合わせて導くことが大切です。その段階に応じて賢く信仰を植えつけて、勧めなければなりません。本人が心を動かされて自分で行えるまで待って、小さい行いでもよくやったとほめてあげるとき、無理強いするよりはるかに早く先に進めるのです。


3. 堅い食物を食べる信者になる方法

神は、信仰の一、二段階にいる人が自分なりに熱心に信仰生活をしようと努めれば、試練や患難がやって来ないように守ってくださいます。かといって、信仰の二段階にとどまっていてはいけません。もし、子どもが成長できないでそのままいるならば、親の心がどれほど痛いでしょうか。子どもがのびのび育ってこそ親がほほえましく思うように、神の子どもたちはみことばと祈りによって、まめに信仰を成長させなければなりません。
信仰がある程度成長すれば、神は信仰の三段階に導くために訓練を受けることを許されます。勝利するなら信仰を成長させて、祝福と答えとして報いてくださいます。しかし、信仰の三段階にいるはずの人がまだ信仰の一、二段階に当たる生き方をしているなら、神は祝福を与えるための試練を許されるのではなく、懲らしめられます。そのようにしてでも、目を覚まして信仰が成長するようになさいます。
子どもがご飯と一緒に栄養ある食べ物をまんべんなく摂取してこそ健康になるはずのに、乳だけ飲んでいるので、もどかしいのです。もしそのまま放っておけば、栄養が欠乏して病気にかかることもあり、死ぬこともあるので、親は堅い食物を食べさせようとするのです。同じように、みことばを知っていながらもそのとおりに行えなければやつれるので、放っておけません。まことの子どもを得ようと、ひとり子イエス様を十字架につけて救い主としてくださったのに、子どもたちが信仰が成長しないで止まっているなら、あまりにも悲しいことでしょう。
ですから、神はもどかしい心で懲らしめられ、サタンが訴えることを許されるしかないのです。<ヘブル12:6-7>に「主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。」とあるようにです。
もし神の子どもが罪を犯したのに懲らしめられないなら、それほど神の愛から離れていると悟らなければなりません。そんな人は懲らしめてもききめがないので、懲らしめさえも臨まないのです。完全に敵である悪魔・サタンに捕われて、闇の奴隷の役割をしているのです。ですから、罪を犯して、結局地獄に行くしかありません。
もし、罪を犯したのに懲らしめられなかったなら、「それじゃ私は完全に見捨てられたんだなあ」とあきらめなさい、ということではありません。神は愛です。徹底的にたましいを砕いて罪を告白して、罪が赦されるまで、切にすがりにすがらなければなりません。
しかし、罪を犯して神の懲らしめが臨んだなら、神が愛しておられるという証拠だと悟って、徹底的に悔い改めなければなりません。形式的に適当にする悔い改めではなく、心を引き裂いて、たましいを砕いて罪を告白しなければなりません。たましいを砕いて罪を告白すれば、必ず涙と鼻水とともに心を引き裂く悔い改めが出てきます。この時、神との間にある罪の隔ての壁が壊されて、心が軽くなり、聖霊に満たされます。
たましいを砕いて罪を告白することは、自分がしたいからといってできるのではありません。神が恵みを下さらなければなりません。ですから、せっぱ詰まった心で神にすがらなければならないのです。
もし信仰の三段階にいるはずの人が二段階の行いを見せているなら、問題があっても答えられません。上から信じられる信仰が与えられないので、世の方法を使ったりもするし、試練や患難にあったりもします。
しかし、徹底的にたましいを砕いて罪を告白して立ち返れば、信仰の三段階に引き上げられます。信仰が停滞していたり、淘汰されたりすれば、試練や患難がやって来て、祝福や答えは期待できません。
もしかして自分の信仰が今、乳飲み子の信者にとどまっているならば、まめにみことばを聞いて行うことによって、信仰の三段階の堅い食物を食べる信者になるために努力しなければなりません。皆さんは決して現在の信仰の段階に満足したり、安住したりせずに、最上の段階を望んで、ただ前に進んで行きますように。


* まとめと適用

1. (   )の中に正しい答えを入れてください。
みことばどおり生きられなくて、やんわりと勧めながらみことばを一つ一つ教えなければならない人を(        )信者と言い、信仰が成長して、自分でみことばどおり行える人を(        )信者と言う。

2. 乳飲み子の信者と堅い食物を食べる信者の信仰は、それぞれ何段階でしょうか?
乳飲み子の信者:(  )段階  堅い食物を食べる信者:(  )段階

3. 信仰の一段階と二段階の違いを書いてみてください。

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* 今週の課題

次回は信仰の三段階について学びます。三段階に入るためには、まめにみことばを聞いて行わなければなりませんが、「行う」とは具体的にどんなことでしょうか? 考えてきましょう。


* 「用語」を知って力にしましょう!

「肉」とは?
表には現れてはいないが、いつかは誘発されて行いとして出てくる可能性のある、真理に逆らう属性のことを言う。

 
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