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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第37課 「モーセの善(1)」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2010-09-17


読むみことば: ヘブル11:24-26
覚えるみことば: ヘブル11:25
参考にするみことば: 箴言17:3


教育目標

出エジプトの指導者モーセのような美しい善なる心を耕して、神の御前に尊く用いられる器になるようにする。

今から約3500年前、モーセは出エジプトの指導者として、400年間エジプトの奴隷であったイスラエルの民を連れ出し、乳と蜜の流れるカナンの地へと導きました。このように大いなる事をやり遂げるためには、神の命令に絶対に聞き従える、信仰の人が必要でした。それで、神は善なる心を持ったモーセを選び、信仰によって聞き従うように訓練して、歴史的な使命を果たすように祝福されたのです。
それでは、モーセはどれほど善なる心を持っていたので、神に愛されて認められ、出エジプトの指導者になれたのでしょうか?


1. 罪の楽しみを受けるよりは、神の民とともに苦しむことを選び取りました

エジプト王パロは、異邦の民イスラエル人が自分の土地でおびただしくふえ、すこぶる強くなると、脅威を感じました。それで、イスラエルの民を奴隷として働かせて、ひどい強制労働をさせて虐待しました。それでもさらにふえると、パロはイスラエル人の生まれたばかりの男の子はみな殺せという命令を下します。子孫を絶滅させようということです。
このような暗い時代にモーセが生まれました。彼の両親は神に頼って三か月の間モーセを隠して育てましたが(ヘブル11:23)、もう隠しきれなくなって、パピルス製のかごに瀝青と樹脂とを塗って、モーセを中に入れ、ナイル川の葦の茂みに置きます。神は、パロの娘が水浴びに来て、そのかごを見つけるように働かれました。彼女がはしためにそれを取って来させて、中に泣いているモーセを見つけると、あわれに思います。この時、その光景を見守っていたモーセの姉ミリアムが、いちはやくモーセの母を乳母として推薦します。それで、モーセは実の母に養育されながら、自分の民族と神について学ぶことができました。また、大きくなると、パロの王宮で最高の教育を受けました。
これらすべての過程は決して偶然でなく、ただ全知全能なる神の摂理のうちになされたことでした。神はモーセが王女の養子になるようにして守られただけでなく、実の母の信仰によって育つように働かれたのです。当時、エジプトは高度に発達した文明を持った強大国だったので、エジプトの王子ならばその権勢もまた強大でした。彼が王宮で王女の養子である限り、一生富と栄華を楽しむことができました。
しかし、モーセの心の片隅には、いつも母から聞いた神と、エジプトの地で苦しみを受けている自分の民族に対するあわれみがあって、離れませんでした。そんなある日、モーセはエジプト人が自分の民族であるヘブル人を打っているのを見て、義憤からエジプト人を打ち殺してしまいます。そして、次の日、ヘブル人どうしで争いが起きて、モーセが止めようとすると、ひとりが「あなたはエジプト人を殺したように、私も殺そうと言うのか。」と言いました。モーセは自分なりに力と知識を働かせて自分の民族を助けようとしたけれど、かえって彼らから顔を背けられてしまいます。結局、彼はエジプト人を殺したことが発覚するや、エジプトから逃げます。
モーセが自分の安逸だけを考えたとすれば、同族が苦しんでいるのを見ても、自分に害が及ぶかと知らないふりしたでしょう。しかし、彼ははかない罪の楽しみを受けるよりは、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取ったので、自分の同族が苦しんでいるのをただ見過ごせなかったのです。
神はこのようなモーセの心を「善だ」と認めて、出エジプトの指導者に選ばれました。逃亡者の身になったモーセは、いつ捕まって命を失うかもしれません。強大国の王子として受けていた栄華も、豊かで華やかな暮らしも、なくなってしまいました。代わりに、厳しい荒野で家もなく、すぐに食べ物の心配をしなければなりません。それでも彼は神の民とともに歩むために、苦しみの道を自ら選びました。
このようなモーセについて、[ヘブル11:26]には「彼は、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる大きな富と思いました。彼は報いとして与えられるものから目を離さなかったのです。」と記されています。


2. 訓練中に神を信じて、すべてを心から感謝しました

 モーセはミデヤンの荒野に逃げて、そこでミデヤンの祭司であるイテロの娘と結婚して、羊を飼いながら暮らしました。自分の将来に対する計画も、自分の民族に対して持っていた希望も、水の泡のように消えてしまいました。初めはあまりにも惨めで不安で、自分の境遇に気を落としたでしょう。しかし、一日二日と日が経つにつれて、王子としての自尊心や自信もなくなって、ただ平凡な羊飼いとしての生活に適応していきました。
ますます荒野の生活に適応していくと、今度は心の訓練が始まりました。自分はすべてのものを持っている者のようだったのに、いざ現実はというと何もないと感じられると、うつろさと人生のむなしさが押し寄せてきたのです。モーセは、神が許されなければ何も持つことができないことを骨身に凍みるほど感じました。王宮にいた時とは違って、自分の思いどおりになることがなく、「自分は何者でもない」ということを徹底的に悟って、自分を低くするしかありませんでした。
しかし、モーセは悲しんだり絶望しないで、かえって自分を発見する新しい目が開かれました。モーセは人生のむなしさを悟った瞬間から、むしろ神に対する深い感謝が湧き上がりました。自分がとどまっている場所に感謝して、すべてのことは自分が動かせるのではなく、自分が手に入れようとして持てるのではないことを、いつも心から告白しました。
それで、神が出エジプトの指導者として召された時も、はなはだ自信のない姿を見せてためらうのが見られます。「私はことばの人ではありません。以前からそうでしたし、あなたがしもべに語られてからもそうです。私は口が重く、舌が重いのです。」「ああ主よ。どうかほかの人を遣わしてください。」と申し上げたのです。
モーセは荒野で40年の訓練の歳月を過ごしながら、自分は価値がないことと、自分は何もできないことを徹底的に感じて悟りました。自分の義憤に勝てないで人を打ち殺したモーセがこのように低くなれたのは、訓練があったからです。ある意味では、彼は神の働きを進めることにおいて、あまりにも役に立たない人になったようです。それでもエジプトの王子だった時は、自信もあって権勢もあり、イスラエルの民のために何かできそうでしたが、今は自分のいのちさえ脅かされている逃亡者であり、民族のためにできることがないからです。
ところが、驚くべきことに、神はご計画された摂理を成し遂げるために、王子として堂々としたモーセでなく、荒野の羊飼いとして徹底的に低くなったモーセを選ばれたということです。神は徹底的に自分の思いを打ち砕いて、自分を捨てて神にだけ完全に聞き従える人を通して、その摂理を成し遂げられるからです。それで、モーセが神を完全に依頼する方を学ぶためには、訓練の過程が必要だったのです。モーセは訓練の時間を通して、自分の知恵と力と方法では何もできないことを悟りました。
神は必ずご自身のみこころを成し遂げるためにあらかじめ備えさせて、神の導きを受けられる器をまず備えるようになさいます。このようにモーセが訓練中も神を信じて、すべてを心から感謝したことを、神は善だと認められます。
皆さんは、ひょっとして訓練を受けているとき、「私はなぜこんな訓練を受けなければならないのだろうか。どう苛酷なこの訓練に耐えようか」と思ってはいないでしょうか? それでも持っていた信仰さえ揺らいで気を落とし、絶望してはいないでしょうか?
モーセがミデヤンの荒野で羊を飼いながら、取るに足りない姿で生きていた歳月は、何と40年にもなったのです。しかし、彼は誰も自分を認めてくれないとつらく思いませんでした。ただ徹底的に低くなった心で、与えられたすべての状況と環境について心から感謝が湧き上がりました。このように徹底的に自分を無にした時に初めて神がモーセを召され、出エジプトという大きい使命を下さったということを悟らなければなりません。
ところで、皆さんの中には、神がご覧になってまだ器が備えられていないので、続けて訓練を受けることを許されているのに、それが悟れなくて感謝をもって受けられずにいない人がいないでしょうか? もしそうなら顧みますように。
[箴言17:3]に「銀にはるつぼ、金には炉、人の心をためすのは主。」とあります。訓練を受けている時に心から感謝したモーセの善を覚えて、徹底的に自分を低くして、すべてにおいて感謝だけしますように。それで、終わりの時に尊く用いられる良い器になり、父なる神の栄光をさらに大いに現しますように、主の御名によって祈ります。


* まとめと適用

1. モーセの善に関する内容です。
アンダーライン部分に正解を書き入れてください。
①___________を受けるよりは、神の民と___________ことを選び取った。
②___________中に神を信じて、すべてを心から___________した。

2. モーセが荒野で訓練を受けながら神様にささげた告白です。皆さんも神様に愛の告白をささげてみましょう。
「神様! 私が愚かで、神様について悟れなかったのですが、今はまことに、沈む太陽を見ても、そこに全知全能の神がおられることを信じます。自分で手に入れようとしても手に入れられない、持とうと思っても持てない。このように私は何者でもなく、むなしい者なのに、私を愛されて、私を神様ご自身が召され、その神様がおられることを心の奥底から信じます。」


* 今週の課題

次回はモーセの善(2)を学びます。「さて、モーセという人は、地上のだれにもまさって非常に謙遜であった。」という聖句はどこにあるでしょうか? 探して前後を読んできましょう。


* 「用語」を知って力にしましょう!

「パロ」とは?
古代エジプト王の一般的な呼び名で、「ファラオ」とも記される。古代エジプト語の「ペル・アア」が語源で、本来「大きな家」という意味だったが、次第に王を意味するようになった。

 
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