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メッセージ >
聖書の学び
Title
第20課 「天国は激しく攻められている」
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
Date
2010-05-21
読むみことば: マタイ11:12
覚えるみことば: マタイ11:12
参考にするみことば: マタイ13:31-32
教育目標
信仰で天国を激しく攻めていくにはどうしたらよいのか、天国ははたしてどんな所なのか調べてみる。
<マタイ11:12>に「バプテスマのヨハネの日以来今日まで、天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています。」とあります。天国は光である神の国ですから、敵である悪魔・サタンが近づくこともできない光の領域です。それなのに、あえて誰が天国を激しく攻めて、どのように天国を奪い取るというのでしょうか?
これは、救われた神の子どもたちが信仰によって天国に入るようになり、さらに全き信仰に至る過程を説明しているみことばです。すべての人は罪のために地獄に行くしかないのですが、イエス・キリストを信じれば、誰でも救われて天国に行けます。それで、敵である悪魔・サタンは福音を聞けないようにして、イエス・キリストを信じられないように妨げます。すでにイエス・キリストを受け入れた人でも惑わし、罪を犯させようと虎視耽々と機会をねらっています。このような敵である悪魔・サタンと戦って勝ち、天国を奪い取るので、「天の御国は激しく攻める者たちが奪い取っています」と書いてあるのです。
1. バプテスマのヨハネの日以来今日まで
私たちが悪い霊どもに立ち向かって、信仰によって勝つとき、よりすばらしい天国に入れます。ところで、天国が激しく攻められるとは、「バプテスマのヨハネの日以来今日まで」とあります。バプテスマのヨハネは、イエス様が救い主の働きを成し遂げられるようにその道を備えて、イエス様を証しする使命をゆだねられた人です。ここで「バプテスマのヨハネの日以来今日まで」とは、イエス・キリストの時代のことで、信仰によって救われる新約時代を意味しています。
旧約時代は律法の時代であり、律法を行なうことによって救われました。律法を守れなくて罪を犯した時は、罪を贖ういけにえをささげてこそ赦されました。一方、イエス・キリスト以後の新約時代は、聖霊時代、あるいは恵みの時代と言います。今は律法のとおり罪を贖ういけにえをささげなくても、主イエスを信じれば救われるからです。尊い血と聖霊の力によって罪が赦されて、救われるのです。
ある人はこのみことばを誤解して、行ないとして律法を守ってこそ救われる旧約時代とは違って、新約時代には口で「信じます」と告白すれば、罪を犯しても赦されて救われると思っています。これは間違った考えです。旧約の「行為的な救い」とは、たとえ心に悪があっても、行ないでだけ罪を犯さなければ「罪がある」と罪に定められないということです。
一方、新約時代では、行ないとして罪を犯さなくても、心に悪をいだいたこと自体がすでに罪であり、兄弟を憎めばすでに殺人者とも同じです。まして行ないとして罪を犯せば、もっと大きい罪になるのです。「肉の行ないをしている者」すなわち、行ないとして罪を犯す人は、神の国を相続できません(ガラテヤ5:19-21)。その他にも聖書のあちこちに、行ないとして罪を犯す人は神と何の関係もないと警告してあります。救われる信仰があるならば、行為的な罪はもちろん、心の悪までも捨てるべきことが神の望んでおられることです。
それでは、旧約時代より新約時代に救われるほうが難しいのでしょうか? そうではありません。旧約時代には自分の意志と努力で罪を犯さず、律法を守らなければなりませんでした。しかし、新約時代には自分の力ではなく、聖霊の力によって罪が捨てられるからです。
<ローマ10:10>に「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」とあるように、心に信仰がある人は必ず律法を守り行ないます。聖なる神が私たちの父になられたことと、イエス様が自分の罪のために十字架を負われたことを信じたなら、当然罪を捨てようと努力するようになります。私たちが聞いて、知識として知るだけなのではなく、本当に十字架に含まれた愛を信じたら、神が喜ばれるままに律法を行なって、義人になることができます。悪を行なっていた人が善を行なうようになります。人格と教養があって、行ないとしてだけ罪を犯さないだけでなく、心にある罪の性質そのものを捨てて、聖められた人になることができます。
ところで、人は自分の力で変われるのではありません。イエス・キリストの尊い血によって変えられるのであり、私たちを助ける聖霊の力によってできることです。たとえば、世の人はタバコ一つやめるのもとても苦しいと言いますが、主を受け入れた後に聖霊に働きかけられると、酒、タバコがとても楽にやめられたと言います。
このように信仰によって主を受け入れて、罪を捨てようと努力していくと、聖霊の力が臨み、行ないとして犯す罪はもちろん、心にある罪の性質まで捨てられます。それで、ますます主に似たきよい心に変えられます。このように、新約時代では聖霊に助けられるので、信仰によって救われて、罪を捨てることが決して難しくありません。
2. いくつかの場所に分けられている天国
私たちが天国を激しく攻めるということは、ただ地獄に行かないで天国に入ることだけを意味するのではありません。天国もいくつかの段階に分れていて、よりすばらしい場所があるので、そこを慕って激しく攻めて入ることを意味しています。
私たちは、天国が目に見える空の上にあるのではないということを知らなければなりません。天国は見えない霊の空間である天に属していて、この霊の空間にある天は、私たちの目に見えるこの肉の天と次元が違います。この霊の空間にある天もまた、いくつかの天に分れています(ネヘミヤ9:6;第一列王8:27)。
<第二コリント12:2>には、使徒パウロの霊が「第三の天」に引き上げられて行ったことが書かれています。第三の天があるとすれば、当然第一の天、第二の天があって、それ以上の天も存在することもありえます。いくつかの霊の空間にある天のうち、パウロが言っている第三の天が、まさに天国のある天です。
そして、<第二コリント12:4>には「パラダイスに引き上げられて、人間には語ることを許されていない、口に出すことのできないことばを聞いたことを知っています。」とあります。つまり、第三の天にある天国の中でも、使徒パウロはパラダイスを見たのです。
それでは、パラダイスとはどんな所でしょうか? イエス様が十字架刑にあわれたとき、死の直前に主を受け入れたひとりの強盗のように、かろうじて救われる信仰を持った人が行く場所がパラダイスです。みことばどおりに生きられなくて、神の国に忠実に仕えたこともないので、報いもないし、天国の中でも最も低い場所です。
<ヨハネの黙示録21章>には、使徒ヨハネが見た新しいエルサレムの様子が記されています。十二の宝石が土台石になっている、聖なる栄光の都として描写されています。ここは天国で最も栄えある場所で、神の御座がある所であり、みことばを完全に守って心に耕して、大きい信仰を持った人々がとどまる所です。
このような新しいエルサレムとパラダイスの間には、またいくつかの段階に分けられた場所、すなわち、一天層、二天層、三天層があります。私たちがその中でどの場所に入るのかは、自分の信仰に応じて決められます。敵である悪魔・サタンを退けて、罪を血を流すまで戦って捨て、真理の心に変えられたほど、よりすばらしい場所に入る資格を得るようになります。
3. よりすばらしい天国を激しく攻めるには
私たちの信仰が大きくなっていくほど、よりすばらしい天国に入る資格を備えるようになります。これがまさに「天国を激しく攻める」というみことばの意味です。このようにして入る天国について、イエス様は「天の御国は、からし種のようなものです。それを取って、畑に蒔くと、どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。」と言われました(マタイ13:31-32)。
からし種は、白い紙の上にペンの先で点をつけたほどの小さい種です。救われたばかりの聖徒の信仰はからし種ほどにしかなりませんが、その種を自分の心の地に蒔いて、熱心に育てれば、うっそうと茂り、風雨にもびくともしない木のように、大きい信仰に育つようになります。大きい木には多くの鳥が宿って休むことができるように、信仰が大きい人は多くの魂をいだくことができます。信仰が弱い人々にいのちを植えつけて、多くの魂をいだく大きくて広い心になれば、天国でさらに広くてすばらしい場所にとどまるようになります。
この地上でいくらすばらしいもの、いくら美しくて華麗で幸せなことを想像するとしても、天国とは比べることさえできません。天国で最も低いパラダイスでも、この地上で最も美しいところよりはるかに美しいのです。しかも一天層はパラダイスと比べられないし、二天層は一天層と比べられないほどすばらしいし、三天層と二天層は天地の差と言うくらいです。ですから、神の御座がある新しいエルサレムの栄光は、どうして言葉ですべて表現できるでしょうか。
私たちが天国についてはっきり知れば、この地上のものがまことにむなしいことを悟るようになります。世のむなしい欲と情欲をすべて捨てて、ただみことばどおり自分を変えさせ、すばらしい天国だけを激しく攻めるために走って行くようになります。私たちが将来入る天国の場所は、私たちの耕作が終わる瞬間に決められます。したがって、機会を十分に生かして用い、まめにより大きい信仰に成長して、最もすばらしい天国を激しく攻めて入りますように。
* まとめと適用
1. <マタイ11:12>のみことばを一緒に暗唱してみましょう。
2. ( )の中に合う答えを書いてください。
「バプテスマのヨハネの日以来今日まで」とは、( )の時代のことで、信仰によって救われる( )時代という意味である。
「天の御国は…激しく攻める者たちがそれを奪い取っています」というみことばは、信仰によって天国に入るようになり、さらに( )信仰に至る過程を説明している。つまり、敵である( )は私たちを惑わし、罪を犯させようとしているので、彼らと戦って勝ち、天国を奪い取るので、「激しく攻める者たちがそれを奪い取っています」と書いてあるのだ。
* 今週の課題
『信仰の量り』第十章の三に目を通してきましょう。
* 「用語」を知って力にしましょう!
十二の土台石に含まれている霊的な意味
碧玉(信仰)→サファイヤ(まっすぐな心、節義)→玉髄(潔白、犠牲的な愛)→緑玉(正しさ、きよさ)→赤縞めのう(忠実)→赤めのう(熱い心)→貴かんらん石(憐れみ)→緑柱石(寛容)→黄玉(善意)→緑玉髄(自制)→ 青玉(心のきよさ、聖なること)→紫水晶(柔和)
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