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メッセージ >
聖書の学び
Title
第18課 「信じる人々に伴うしるし(2)」
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
Date
2010-05-07
読むみことば: マルコ16:17-18
覚えるみことば: マルコ16:18
参考にするみことば: 黙示録12:9、ヤコブ5:16
教育目標
神に喜ばれる信仰の五段階で現れるしるしの第二から第五について調べる。
罪と不法がはびこっている今日は、人々の心がかたくなで、イエス様の時代よりもっと大きいしるしと不思議を見てこそ信仰を持つ世代になりました。したがって、神はご自分の子どもたちが全き信仰を持って、信じる人々に伴うしるしを現して、多くの魂を救いの道に導くことを願われるのです。前回に続き、信じる人々に伴うしるしについて調べてみます。
1. 新しいことばを語り
信じる人々に伴う第二のしるしは「新しいことばを語る」ことです。
<第一コリント14:15>に「私は霊において祈り、また知性においても祈りましょう。霊において賛美し、また知性においても賛美しましょう。」とあります。つまり、知性において祈ることと霊において祈ることは違うことがわかります。「知性において祈る」とは、私たちが使う言葉で心の願いを求めることであり、「霊において祈る」とは、異言の祈りのことを言います。
異言は、聖霊を受けた人が聖霊に満たされて祈るとき、上から賜物として与えられます。異言の祈りはその内容を普通は悟ることができないし、敵である悪魔・サタンも知ることができません。よく祈っている人が御霊に感じれば、ある程度悟ることもできますが、異言を解き明かす賜物を受けてこそ、もっとよく知ることができます。
さまざまな御霊の賜物の中でも、異言の賜物は神がすべての聖徒たちに与えることを願われる賜物です。異言を受ければ、それだけ祈りの力が強くされるので、初心の者にとってもどうしても必要な賜物です。
異言の祈りを聖霊に満たされてすれば、御霊に感じているうちに異言の賛美が出てきて、さらに深く感じれば、いくら歌が下手で踊れない人でも、美しく賛美して踊ることができます。ここからさらに深い段階に入れば、以前とは全く違う霊的な体験ができる、新しい異言が出るようになります。これを「新しいことばを語る」と言い、信仰の五段階に入った人は異言の祈りを始めるとすぐ、新しいことばを語ることができます。
新しいことばは力ある異言なので、新しいことばを語って祈る時は、敵である悪魔が恐ろしくて震えて退きます。たとえば、強盗が刃物で刺そうとする時でも、新しいことばを語って祈れば、その場で闇が退きます。人が悪を行なうのは敵である悪魔・サタンに操られるからです。闇の働きがなくなるので、強盗が突然心が変わって逃げたり、その場でからだが固まってしまったりもします。ですから、新しいことばがいつも語れる人なら、家庭、職場、事業の場のどこでも、敵である悪魔・サタンに妨げられないで、神がすべてのことを働かせて益としてくださるので栄えるのです。
2. 蛇をもつかみ
信じる人々に伴う第三のしるしは「蛇をもつかむ」ことです。
<創世記3:14-15>には、エデンの園でエバを惑わした蛇が神に呪われる場面が出てきます。「おまえが、こんな事をしたので、おまえは、あらゆる家畜、あらゆる野の獣よりものろわれる。おまえは、一生、腹ばいで歩き、ちりを食べなければならない。わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」
ここで「女」とは霊的にイスラエルを意味し、「女の子孫」とはイエス・キリストを意味しています。したがって、女の子孫が「蛇の頭を踏み砕く」とは、イエス・キリストが来られて、敵である悪魔・サタンの死の力を打ち砕くことを意味し、「蛇が彼のかかとにかみつく」とは、敵である悪魔・サタンがイエス様を十字架につけることを預言したのです。
また、<黙示録12:9>には「この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。」とあります。ここで「蛇」とは、敵である悪魔・サタンを意味しています。したがって、私たちが「蛇をもつかむ」ということは、敵である悪魔・サタンの会衆に属する者たちを知って、イエス・キリストの御名によって打ち砕いてしまうという意味です。
<黙示録2:9>には「またユダヤ人だと自称しているが、実はそうでなく、かえってサタンの会衆である人たちから、ののしられていることも知っている。」とあります。ここで「ユダヤ人」とは、神に選ばれた民のことであって、霊的には神を信じるすべての人を意味しています。「ユダヤ人だと自称している」とは、主を信じると言いながら、神の働きを妨げて、さばいて罪に定めることを言います。また、「サタンの会衆」とは、ふたり以上が集まって、真理に逆らうことを言って、教会に問題を起こすことを言います。
教会の中で建設的な意見や提案はいくらでも受け入れなければなりませんが、もっともらしい名目で主のしもべに立ち向かい、信仰の兄弟を分裂させ、真理に背かせるのはサタンの会衆なのです。信仰の五段階に入った人は、このようなサタンの会衆を知って打ち砕くので、それ以上サタンの会衆が教会の中で働けないことが見られます。
3. たとい毒を飲んでも決して害を受けず
信じる者に伴う第四のしるしは「たとい毒を飲んでも決して害を受けない」ことです。
<使徒の働き28章>には、異邦人に福音を伝えていた使徒パウロがマルタという島にとどまっていたとき、まむしに噛まれた出来事が出てきます。これを見た島の人々は、パウロが倒れて急死するだろうと思ったのに、彼に少しも変わった様子が見えないので、彼らは「この人は神さまだ。」と言いだしました。 パウロが全き信仰を持っていたので、まむしに噛まれても、害を受けなかったのです。
このように、全き信仰の段階にいる人にはどんな病気、細菌も入れないし、ひょっとして毒を飲んだとしても、神が聖霊の火で焼き尽くしてくださるので、害を受けません。かと言ってわざと毒を飲めば、神を試みたということなので、決して守られることができません。しかし、うっかりして毒を飲んだり、誰かが自分を害するために毒を入れた食べ物を知らないで食べたりすることがあります。または、異性を誘惑するために飲み物に睡眠薬を入れたり、拉致したりお金を奪ったりするために麻酔をかがせることもあります。この時も、全き信仰、すなわち、信仰の五段階に入った人は、どんな害も受けません。いつも聖霊に満たされていて、聖霊がからだの隅々まで働いているので、どんな毒が入ってきても、そのまま分解されてしまうのです。
4. 病人に手を置けば病人はいやされる
信じる人々に伴う第五のしるしは「病人に手を置けば病人がいやされる」ことです。
本教会は開拓以後、まことに多くの人がいやされて、神に栄光を帰してきました。今は礼拝中に講壇で祈るだけでも、時間と空間を超えたみわざが現れて、世界各国の人々が証しをしています。
このように炎のような聖霊のみわざが現れて、さまざまな病気がいやされても、答えられない人々がいる理由は何でしょうか? まずは祈りを受ける人に信仰がないからです。また、信仰があっても、神との間に罪の隔ての壁があればいやされません。ですから、罪を悔い改めて、立ち返った後に祈りを受けてこそ、いやされることができます。
また、私たちが祈りによって病人をいやしたとして、誰もが信仰の五段階に入ったのではないということを知らなければなりません。信仰の三段階の人でも、神がいやしの賜物を下されば、いやしのみわざが現れることもあるし、信仰の二段階にいる人が聖霊に満たされて、瞬間的に信仰の四、五段階に入って祈るとき、いやされることもあります。
<ヤコブ5:16>にあるように、愛の祈りや義人の祈りは働くと、大きな力があるので、いやしのみわざが現れます。しかし、軽い病気や、がん、肺病など病原菌による病気をいやせるのであって、足の不自由な人を歩かせたり、目の見えない人を見えるようにするなどの大きい神の力は現せません。
したがって、信じる人々に伴う五つのしるしが完全に現れてこそ、信仰の五段階と言えます。この次元に至れば、神によってさらに強くされ、権威まで授かって大きい神の力と賜物が現れます。このように全き信仰を持って、神の国と義を大いに実現して、天国でも太陽のように輝きますように、主の御名によって祈ります。
* まとめと適用
1. 信じる人々に現れるしるし五つを順に覚えてみましょう。
2. 次のうち間違っているものは何でしょうか?
①「新しいことば」は力ある異言なので、敵である悪魔が恐ろしくて震えて退く。
②病人をいやせば、誰もが信仰の五段階と言える。
③「蛇をもつかむ」とは、敵である悪魔・サタンの会衆に属する者を知って、イエス・キリストの御名によって打ち砕いてしまうという意味である。
3. 教会と牧者のために祈るとき、知性において祈っていますか? それとも異言で祈っていますか? 自分が心と思いと力を尽くして、また信仰と愛をもって、神が願われる祈りをしているのか、顧みてみましょう。
* 今週の課題
イエス様や昔の信仰の人々が奇蹟を行なうとき、神の力によって行ないました。「力」と「権威」また「権威ある力」とはそれぞれどんな意味か、考えてきましょう。
* 「地名」を知って力にしましょう!
「マルタ」とは?
地中海のシチリア島の南にあり、パウロがローマに護送されて行く途中、船が難破して着いた島である。パウロはここでまむしに噛まれても死ななかった。すると島の人々はパウロが神だと言いだした。また、その島の首長ポプリオの父が熱病と下痢とで床に着いていたが、パウロが彼をいやしたので、パウロの一行は非常に尊敬されて、手厚くもてなされた。
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