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メッセージ >
聖書の学び
Title
第10課 「みことばどおり行なえる信仰の三段階」
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
Date
2010-03-12
読むみことば: マタイ7:24-25
覚えるみことば: マタイ7:24
参考にするみことば: 第一テサロニケ5:16-18
教育目標
みことばどおり行なえる信仰の三段階になるためにはどうすればよいのか調べる。
信仰の一段階は聖霊を受けて救われた段階であり、信仰の二段階はみことばを聞いて行なおうと努力する段階と言いました。二段階では、みことばを知って守らなければならないと学んで、行なおうと努力はしますが、時には守ったり、時にはみことばに背いて肉の行ないをしたりします。
しかし、転んで倒れてもまた起きて歩いていくように、みことばどおり行なおうと努力し続けていくなら、ますます信仰が成長するようになります。以前はみことばを知っていても行なえないことが多かったけれど、信仰が育ちながら悟るようになるので、だんだん行なえるようになります。それで、信仰の三段階を「行なえる信仰」「悟るようになる信仰」とも言います。
1. みことばを知っていることと悟ることの違い
みことばを知っていることと悟ることとは次元が違います。みことばだからと義務感からただ行なうのと、なぜ行なうべきかを悟って、にじみ出る心から聞き従うのとでは、大きい違いがあります。
たとえば、主日を守って完全な十分の一献金をささげれば、神が試練や患難を退けてくださり、病気が治り、たましいに幸いを得ているようにされ、また、物質にも祝福を与えられると聞いたとしましょう。
しかし、このようなみことばを聞いて知っているだけでは、行ないが伴いません。「そうかも」と思って守ろうと努力するけれど、完全に心に信じられる前までは、環境によって守る時もあり、守れない時もあります。けれど、ある瞬間、みことばが悟られて、まことに心に信じられる信仰になれば、この時からはいくら困難なことがあっても、妥協しないで主日を守り、完全な十分の一献金をささげることができます。
神が命じられた主日を聖なる日として守ることは、神の霊的な主権、すなわち、霊の世界の主人が神であられることを認めるという意味です。したがって、私たちが主日を聖なる日として守れば、神は一週間、さまざまな災いや事故から守ってくださり、たましいに幸いを得るように導いてくださいます。
また、十分の一献金をささげることは、神の物的な主権、すなわち、私たちの目に見える天下万物、すべての世界が神に属していることを認めるという意味です。神は天地万物の創造主であられるので、いのちそのものが神から出たものであり、私たちが苦労して努力できる力も神が下さったものなので、結局すべてが神のものです。つまり、すべての収入が神のものですが、そのうち十分の一だけを神にささげて、残りは私たちが使えるようにしてくださったのです。
<マラキ3:8-9>に「人は神のものを盗むことができようか。ところが、あなたがたはわたしのものを盗んでいる。しかも、あなたがたは言う。『どのようにして、私たちはあなたのものを盗んだでしょうか。』それは、十分の一と奉納物によってである。あなたがたはのろいを受けている。あなたがたは、わたしのものを盗んでいる。この民全体が盗んでいる。」とあります。
このようなみことばを聞いて学び、完全な十分の一献金と奉納物をささげないことが神のものを盗むことであり、神の呪いが臨むということがまことに心の底から悟られてこそ、いままで行なえなかったことを徹底的に悔い改めて、むしろ喜んで感謝して従えるのです。それで、神に守られて、押しつけ、揺すりいれ、あふれるまでに注いでくださる祝福を体験して生きていきます(マラキ3:10)。
2. 信仰の三段階に入るには
みことばを知識として知っている次元を超えて、まことの意味を悟ってこそ聞き従うことができ、行なったとおり報いてくださる神に祝福されます。一方、悟れなければ、頭で知っている知識にすぎないので、行なおうとしても完全に行なえません。したがって、私たちは熱心に信仰を成長させる訓練をしなければなりません。
赤ちゃんが生まれたのに、何も飲まさせないまま放っておけば、結局、死ぬしかありません。赤ちゃんはお乳をよく飲んで、手足をばたばたさせて動かなければならないし、親や家族を通して見て、聞いて、学ばなければなりません。このような過程を経て知識が積まれ、知恵も発達して、健康に育ちます。
同じように、神を信じる人はみことばを聞いて終わるのではなく、これを悟るために努力しなければなりません。祈りながら、知っているみことばを行なっていこうと努力するとき、自分も知らないうちにみことばが心に悟られて、そのみことばを守って行なえるようになるのです。
たとえば、<第一テサロニケ5:16-18>に「いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」とあります。
信仰の二段階の人は、神が命じられたことなので無理に喜んで、祈って感謝しようと努力します。ところが、喜んで感謝する条件や環境にならなければ、そうできません。しかし、信仰の三段階に入って、岩の上に立つ信仰を持つと、このみことばどおり行なえます。なぜいつも喜んでいて、絶えず祈り、すべてのことについて感謝しなければならないのか悟って、どんな環境や条件にいても心から喜んでいて、祈って、感謝します。
3. 信仰の三段階に入ってきた証拠
それでは、私たちがなぜいつも喜ばなければならないのでしょうか? もし、私たちがうれしくて楽しいことがある時だけ喜んで、試練や患難、憂いや心配がやって来る時は喜べないなら、神を信じない世の人々と変わりません。
世の人々は人の子らがどこから来てどこへ行くのか知らないので、この地上に目的を置いて生きていきます。それで、肉的にうれしくて楽しい時だけ喜んで、そうでない時は、世が与える憂い、心配、悲しみや苦しみの中から抜け出せないのです。
しかし、私たちは天国に望みを置いているので、神を信じない世の人々とは全く違う生き方をしていきます。天地を創造して、宇宙万物と人類の歴史をつかさどられる神が私たちの父であるので、心配、憂いがありません。しかもイエス・キリストによって美しい天国で永遠のいのちと祝福を受けるようになったので、喜ぶしかないのです。心の底からみことばを悟れば、喜べないことも喜び、祈れない状況でも祈り、感謝できないことも感謝します。そうする時、敵である悪魔・サタンが退いて、試練や患難が離れ、神がともにおられるので問題が次々と解決されることが体験できます。
したがって、全知全能の神を信じると言っても、何かの問題が迫ってきたとき、心配や憂いが先んじたり、無理に喜ぶなら、まだ信仰の二段階です。もしみことばを悟って、心の底から喜んで感謝する姿に変わっていくなら、これは信仰の三段階に入ってきたのです。また、信仰の三段階になれば、憎しみを捨てるために相手に仕えて愛そうと努力するので、憎しみがなくなって、敵をも愛することができる愛が少しずつ臨みます。これは、罪人になった人類のために十字架を負われた主の愛を悟るようになったからです。
イエス様はひたすら善だけを行なわれ、何の過ちもない方なのに、かえって罪人たちの手によって十字架につけられて苦しまれ、さげすまれました。ご自分をあざける人々を憎まなかっただけでなく、むしろ彼らを赦してくださいと祈り、いのちを与えられる大いなる愛を施してくださいました。
このような愛を悟る前は、自分に害を及ぼしたり、わけもなく自分をそしったりする人がいれば、その人を憎みましたが、今はその罪は憎んでも、その人は憎まないようになります。そして、自分より熱心に働いたり、ほめられたりしている人を見れば、ねたんでそねむのではなく、かえって喜んで愛するようになります。また、みことばが宣べ伝えられるとき、自分の思いに合わせて疑ってさばいていた人も、今は心の戸を開いて、すべてを信仰によって受け入れようとします。こうしてみことばを一つ一つ行なえる段階がまさに信仰の三段階なのです。これまでみことばを聞いて学んで悟って、信仰が育つように導かれた神に感謝し、もっと熱心にみことばを心から悟って聞き従えますように。
* まとめと適用
1. <マタイ7:24>をみんなで覚えてみましょう。
2. 信仰の三段階に当たるものを二つ選んでください。
①聖められた段階である。
②みことばを心から悟って聞き従う段階である。
③信仰生活のうち、最もつらい段階である。
④みことばどおり行なえる段階である。
3.信仰の三段階に入ってきた証拠は何か、<第一テサロニケ5:16-17>を中心に話し合ってみましょう。
* 今週の課題
『信仰の量り』第6章2「信仰の三段階の入り口と信仰の岩」に目を通してきましょう。
* 「用語」を知って力にしましょう!
「十分の一献金」とは?
神にささげる収入の十分の一のことを言う。神は旧約時代、イスラエルの民に地の産物、木の実、牛や羊の十分の一をささげなさいと命じられた(レビ27:30-32;申命記14:22)。神は聞き従わなくて呪われる人がいないように、十分の一献金を通してどれほど祝福が臨むのかためしてみよと言われた(マラキ3:10)。
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