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主日礼拝 メッセージ > 主日礼拝
主日礼拝
Title
   光を放つ聖殿 - 新年祈祷課題(3)  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   詩 37:6
Date
   2012-12-30


[本文]

[詩篇37:6]
「主は、あなたの義を光のように、あなたのさばきを真昼のように輝かされる。」


[序論]

愛する聖徒の皆さん、きょうは2012年、最後の主日です。一年間私たちに豊かな恵みを注いでくださった父なる神様に、すべての感謝と栄光をお帰しします。
一年を振り返ってみると、ひょっとして心残りがある方がおられるでしょうか? それなら、この時間、霊とまことによって礼拝しながら、もっと濃い香をささげますように。まさに今から、新しい心、新しい覚悟で始めますように。毎週主日、霊とまことによって礼拝して、講壇から宣べ伝えられたみことばを力を尽くして守り行ってみてください。すると、来年の末には、霊的に大いに成長した自分を発見して胸がいっぱいになるでしょう。いつも守ってくださり、霊肉ともに豊かにしてくださる神様の御手を体験されるでしょう。
この時間は、新年祈祷課題の第三番目、「光を放つ聖殿」についてお伝えします。
新年まで残すところもう二日になりました。1月1日になれば多くの人が初日の出を見ながら、胸いっぱいに新しい一年への期待と望みをいだきます。ところで、この殺伐とした終わりの時に、多くの人にこれよりもっと美しい望みをいだかせる光があります。その光はまさにカナン聖殿と大聖殿が放つ光です。この光は、世の暗闇を照らして、道に迷った数多くの人を主のもとへと導くでしょう。また、人々の心に新しいエルサレムの望みを刻んであげるでしょう。このように「光を放つ聖殿」が皆さんの祈りによってすみやかに実現されますように、主の御名によって祈ります。


[本論]

愛する聖徒の皆さん、カナン聖殿と大聖殿は将来、飛び抜けた建物自体が栄光の光を放ちます。勇壮な規模と天国の栄光を連想させる美しさ、建物に導入された先端技術を見て、多くの人が神様に栄光を帰すようになるのです。
ところで、カナン聖殿と大聖殿を本当に輝かすのは霊的な光です。神様は2013年、聖殿のための祈祷課題のテーマ聖句として[詩篇37:6]を下さいました。「主は、あなたの義を光のように、あなたのさばきを真昼のように輝かされる。」というみことばです。神様は、罪と悪がはびこっていて光を見つけにくいこの世で美しい聖殿を建てることによって、「義」と「さばき」の光を照らされるでしょう。
まず、これがいったいどんな意味なのか、調べてみましょう。
「義」とは、神のことばどおりに行うことを意味します。「さばき」とは、「理非を明らかにすること」で、「善であれ悪であれ、公平に賞罰を執行される神のご性質、属性」によってなされるものです。ここで「善か悪か」を分ける基準はもちろん、真理そのものである聖書66巻、みことばです。
神様はまことに正しいお方です。不法、不義、えこひいき、偽りのような闇が全くおありになりません。また、神様は初めに定められた法と秩序に従って、公義によって世を治められます。人間を耕作されることにおいても、人の子らを善であれ悪であれ、公正にさばいて、それぞれに賞か罰を与えられます。
ところが、世に霊的な闇が濃くなるにつれて、不義と不法がはびこっているので、多くの人がこう言います。「悪者たちがこんなふうに幅をきかせている時代に、正しくさばく神はいったいいるのか。神はいない」と言います。天国と地獄も信じません。「だから、善良に生きる必要もない」と言うのです。目の前の利益を求めるのに汲々として、不義と不法をためらずに行いながら生きていきます。また、何が正義か真理か見分けられないので、混乱します。
何よりも悲しいことは、多くの人が「救いの道」を歪曲しているという現実です。「救いの道も真理もいろいろある。だから、どんな宗教を信じても救われる。」反キリストの勢力が先頭に立って、世にこのような偽りを伝えています。また、「これ以上地獄に行くのでないかと心配する必要はない。自分が正しいと思うとおりに好きなままに生きればいい」など、甘い言葉で人を惑わしています。
ところが、これは決して事実ではありません。イエス様は[ヨハネ14:6]で「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」と言われました。つまり、イエス・キリストを救い主として受け入れなくては、天国に行けないのです。
また、悪者はこの地上でも成功し続けたとしても、結局、永遠の死に至ります。主を真実に信じて善を行なった人は、祝福と報いを受けるようになります。[第二コリント5:10]に「なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現れて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。」とあるとおりです。
それなのに、多くの人が唯一の神様と救い主イエス様を信じません。または、「主よ、主よ」と呼んでも、なまぬるい信仰をもって救われない罪、死に至る罪を犯し続けていきます。主が来られる日がだんだん近づいているのに、神様の法と秩序を無視し、さらに乱しながら、滅びに向かっています。
これに神様は、この法と秩序をもう一度世に宣べ伝えようと、カナン聖殿と大聖殿建築を計画されました。つまり、みことばどおりに生きて、救いと祝福、報いを受ける教会を見せることで、神様が今も生きておられ、公義によって世を治められることを示そうとされました。このような意味で、カナン聖殿と大聖殿は、このようなまことの教会が公義に従って結んだ輝く実と言えます。
このカナン聖殿と大聖殿が建てられることで、世の多くの人は悟るでしょう。「聖書に記されたとおりに、救いはただイエス・キリストによるものなんだな。神様は行なったとおりに報いてくださる正しいお方なんだ。」世界の国々がこれを悟って、もう一度みことばのうちに、すなわち、救いの枠の中にとどまるようになり、報いを受けるようなまことの信仰を持つようになるでしょう。
愛する聖徒の皆さん、それでは、カナン聖殿と大聖殿によって、どのように義とさばきが輝くのでしょうか? 教会と聖徒という二つの側面から調べてみましょう。
第一、この教会が輝く聖殿を建て上げること自体で、神の公義が光を放ちます。
「蒔けばその刈り取りもする」「善が必ず勝利する」という真理がまことであることが明らかになります。開拓以来今まで、この教会は神様のみことばどおりに、みこころどおりに生きようと務めてきました。これに、闇の勢力は絶えずこの教会を打ち倒そうとしました。敵である悪魔・サタンは、国と社会はもちろん、一部の教会をそそのかして、この教会を罪に定めて倒そうとしました。
そのたびに私たちは善をもって悪に勝ち抜いてきました。苦しみの極みに置かれても、信仰の行軍をしました。私たちより困っている教会に施しをしたし、宣教をおろそかにしませんでした。また、神様が下さった大聖殿建築のビジョンを、つかの間でも横においたことはありません。礼拝のたびに、ダニエル徹夜祈祷会のたびに、切なる祈りを神様の前に積み上げました。
その結果、700円をもって開拓した教会が天文学的な財政がかかる壮大な聖殿を建て上げるようになるのです。これは現実的に不可能なことです。神様の力だけで可能な、奇蹟のようなことです。
全能なる神様は、この教会が今まで積み上げてきた善行と信仰の行いを土台に、この奇蹟を成し遂げられるでしょう。これによって、この教会がまことに神様を愛する良い教会であることを現されるでしょう。また、必ず蒔いたとおり、行ったとおり報いてくださり、栄光をお受けになれば必ず栄光を帰してくださる、神様の公義を現されるでしょう。
愛する聖徒の皆さん、聖殿が建て上げられれば、第二、皆さん各自に結ばれた光の実によって、神の義とさばきが光を放ちます。
[エペソ5:30]に「私たちはキリストのからだの部分だからです。」とあるように、聖徒は教会のかしらである主のからだの部分です。したがって、聖徒が光を放てば、教会、すなわち、聖殿が光を放つようになります。カナン聖殿と大聖殿が建て上げられれば、初めは多くの人が聖殿の建物とこの教会についての名声を聞いて集まってくるでしょう。世界で一番勇壮で美しい聖殿、純粋で霊的に深みがあるメッセージが宣べ伝えられる神の宮、神の力あるわざがいつも現れて、生ける神を見つけることができる教会についての噂を聞いて、多くの人が押し寄せてくるのです。
ところで、もっと重要なことは、こうやって集まってきた人々を真理の土壌によく定着させることです。役割をよく果たしてはじめて、光を放つ聖殿、すなわち、暗い世を照らす教会という名声にまことにふさわしい教会になるのです。
そのためには、皆さんひとりひとりが光の実を結ばなければなりません。[エペソ5:9]に「光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです」とあります。ひとりひとりにこのような善意と正義、真実さが感じられるとき、この教会に集まってきた人々が「さすが建物だけあって、聖徒もすばらしいなあ。うわさの教会の聖徒らしい」と認めるのです。また、聖徒が神様が下さる平安と祝福を味わいながら生きる姿を見て、「神様を愛せば、こんなふうに愛されるんだなあ」と悟るようになります。
このように聖徒ひとりひとりが光を放てば、集まってきた人々もみことばを信じて頼り、そのとおりに生きようと励むようになります。つまり、公義の法則に従って光の中を歩んでいるとき救われるし、神様を愛して、心の割礼をして忠実に仕えるほど、祝福と報いを受けるようになることを確信するようになります。心にこのような信仰が与えられるほど、やみのわざを打ち捨てて、光の実を結んでいくでしょう。
皆さん各自に結ばれた光の実によって神の義とさばきが輝くということは、まさにこういうことです。つまり、皆さんに光の実が結ばれて、善意と正義と真実さが光を放つほど、その人々にもすみやかに光が着せられます。
ところが、もし皆さんがカナン聖殿に入っても、相変わらず闇のうちにとどまって、罪と戦っているなら、その人々の闇を照らしてあげることができません。たとえば、「世を捨てて神様を愛せば、こんなふうに愛してくださいます。幸せです。祝福もあふれます」と皆さんが証しするとしましょう。この告白が真実であるほど、聞いた人々にもすみやかに世を断ち切って、みことばのうちにとどまることができる恵みが与えられます。
そうではなく、聞いた人々がこう感じるなら、どうでしょうか? 「みことばどおりに生きれば幸せだと言ったけど、あの人の顔には喜びの光があまりないなあ。」すると口のことばに権威が伴わないのです。そうすると、その人がみことばを信じて行っていくことにおいて力になれません。
聖徒の皆さんはほとんど、今まで信仰の戦いを勇敢に戦ってこられました。また、罪と戦って血を流すまで抵抗し、死に至るまで忠実でありました。心、いのちのような物質、才能、子どもまで神様に惜しみなくささげた方も多くいます。
ところが、いざ心に結ばれた光の実はというと、足りないなら、どれほどもどかしいことでしょうか。皆さんが行なったとおりに、行ったよりあふれるばかりに報いたいと願われる神様も、まことにもどかしく思われるでしょう。ですから、聖殿建築のために祈るたびに、自分をはじめ教会の働き人と聖徒のすべてが、すみやかに光の実を豊かに結ぶようにと、切に祈ってくださいますように。
聖徒の皆さん、こうやって内面で光の実を豊かに結んでいきながら、外面でも光の子どもらしい姿を整えていかなければなりません。そうする時、皆さんが、さらにこの教会が、放つ光がもっと明るくなるからです。つまり、肉の欠如を満たして徳を兼ね備え、肉的な分野の才能と実力を兼ね備えるなら、もっと多くの人を救って変えさせることができるのです。
たとえを挙げましょう。ノアの時代に大洪水が起こりました。その時、この地上の、鼻で息をする動物は、ノアが神のみこころどおりに作った箱舟の中に入ったので、命が守られました。カナン聖殿と大聖殿を通しても、こんな驚くべき摂理が実現されるでしょう。つまり、人種、年齢、性別、知識、教養、階級などを超えて、さまざまな人々が集まってきて、救われるようになります。洪水の当時、多くの水が地球を覆ったとき、ノアとその家族は箱舟の中で、その多くの動物を種類にしたがって養って世話をしました。ノアの家族のように、皆さんも多くの人を顧みて、ひとりひとりに合わせて、みことばの糧で養うべきです。
このような皆さんが、霊的な力量とともに肉的な力量を兼ね備えるなら、この使命をもっとよく果たせるでしょう。たとえば、体系的に身についたみことばの知識に、教養とリーダーシップ、外国語など、多様な能力まで兼ね備えるなら、もっと多くの実を結べます。
信仰の目でその日を描いてみてください。今から準備すべきことがどれほど多くあるでしょうか。聖徒の皆さんはとても忙しくなければなりません。特に教会のかしらの働き人は、内面でも外面でも、必ず光の実を結ばなければなりません。それだけ聖殿建築のすべての過程も、順調に導かれるからです。
聖殿建築の働きは、ほとんど世の法に従って、世の人々と協力して進めることです。もちろん、神様はわざをなされるとき、常識を超えて奇蹟を現されることもあります。しかし、基本的に神様はこの地上の法や秩序を乱しながら働かれる方ではありません。ですから、働き人たちがいつも正しい道を歩んで、すべての人との平和を追い求めて事を進めていくことがとても大切です。こうしていく時、闇の存在が訴えることができません。世の人々との信頼関係も築けます。
この地上に初めて神の宮を建て上げた過程を調べてみてください。すべてのことが公義に従って進められました。ダビデの場合、聖殿を建ててささげたかったのですが、神は許されませんでした。[第一歴代誌28:3]に「あなたはわたしの名のために家を建ててはならない。あなたは戦士であって、血を流してきたからである。」とあります。戦争は王として避けられないものです。それでも神は完全で聖なる宮を建てるのを願われたので、聖殿建築をダビデの息子ソロモンに任せられました。
これにダビデは従いました。どうしても自分の時代に聖殿を建てますと主張しませんでした。その代わりに、心と思いを尽くして聖殿建築を準備しました。楽に、適当に建てるつもりはなかったので、すべてのことを正直で誠実に行いました。
こうした時、聖殿を建てたいと慕う切なる心と真実さが、神の御前に届きました。隣の国ツロの王ヒラムにまで伝えられました。それで、ヒラム王は、ダビデの王宮を建てる時はもちろん、聖殿を建てる時に支援を惜しまなかったのです。自国の上等の木材、すなわち、杉材、もみの木材と、優れた大工、石工、青銅の細工師を送ってくれました。これは、ダビデが普段からヒラムと信頼関係を築いてきた結果でした。ソロモンも、父のダビデに続いてヒラムと友好的な関係を維持しました。また、正当な貿易を通して必要なものを輸入しました。
父なる神様はこの教会に下さった聖殿建築の摂理も、このように公義に従ってすべてを成し遂げていかれるでしょう。もちろん、神の働きは時には人の考えとこの地上の法を超えてなされることもあります。このような場合は神様が働きかけてくださるとおりに、公義を積み上げながら答えを待てばよいのです。
この時、働き人の心に光の実が結ばれたほど、すべてのことの時と時期、そのつど行うべきことをもっと正確に働きかけられるのです。もちろん、聖殿を建てることにおいて必要な財政、行政と法の手続き、設計と建築過程、地域住民との平和など、実質的な分野のために持続的に祈りを積んでいかなければならないでしょう。


[結論]

愛する聖徒の皆さん、聖殿はどんなところでしょうか? 聖殿は神様が住まわれる聖なるところです。また、聖殿はみことばが宣べ伝えられるところで、すべての民の祈りの家です。これとともに、聖殿は聖徒がまた来られる主を待ちながら礼拝と賛美をささげるところです。
ところが、歴史を振り返ってみると、この聖殿が偶像礼拝とむさぼりで汚されたことがどんなに多かったでしょうか。今日も、聖殿に世の文化を引き入れて、聖徒が世と妥協するから、聖殿の意味が色あせています。
カナン聖殿と大聖殿は、聖徒が集まってみことばのパンを裂いて、祈り、神様と交わるところ、光の子どもたちがまた来られる主を待ちながら賛美をささげる聖殿です。このような聖殿が完全に建て上げられれば、数千年が流れているうちに色あせてしまった聖殿のまことの意味が回復するでしょう。これを通しても神の義とさばきがまぶしく光を放つでしょう。この聖殿にとどまる皆さんが光の実をさらに完全に結ぶほど、聖殿の意味はさらに完全に回復します。これによって私たちが建て上げる聖殿が、神様にささげられる美しい宝石になるでしょうし、暗い世の中で消えていく数多くのいのちを生かすまことの光になるでしょう。
結局、私たちが建て上げる聖殿が放つ義とさばきの光は、神様がこの地上の人々に送る愛の信号であり、お召しです。皆さんすべてが光の実を豊かに結んで、この聖殿をさらに輝かしてくださいますように、光である主の御名によって祝福して祈ります。

 
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