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主日礼拝 メッセージ > 主日礼拝
主日礼拝
Title
   霊の流れ  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   マタ 26:36
Date
   2012-09-30


[本文]

[マタイ26:36]
「それからイエスは弟子たちといっしょにゲツセマネという所に来て、彼らに言われた。『わたしがあそこに行って祈っている間、ここにすわっていなさい。』」


[序論]

愛する聖徒の皆さん、きょうは韓国のお盆です。今年も主にあって豊かで幸せなお盆休みを過ごすように祝福された父なる神様に、すべての感謝と栄光をお帰しします。
きょうは陰暦8月15日です。夜空にどの時より丸い月がかかる15日です。月は一日、二日、日が経つにつれてだんだん満ちてきて、半月経てば満月になります。この満月はとても明るい光を放ちます。
父なる神様が、この教会に置かれた摂理も同じです。神様が定められた公義の量がなみなみと満ちれば、その摂理が目の前に明らかにされます。特に去る2、3年間は、カナン聖殿、大聖殿建築と世界宣教を行なって、多くの魂を新しいエルサレムに導く摂理のために公義を満たす時間でした。私が今年に入り、祈りの家によく行った理由もまさにこれです。
この時間は、神様が今、この教会をに賜っている「霊の流れ」について説明いたします。聖霊に助けられてメッセージを聞くと、「父なる神様の摂理が本当に奇しいんだ! 私たちにこのように大きい祝福をくださったんだ」と悟れるでしょう。それで、霊肉ともにもっとほほえみこぼれ、満ち足りたお盆を過ごしますよう、主の御名によって祈ります。


[本論]

愛する聖徒の皆さん、きょうの本文のみことばは、イエス様が十字架を負われる前夜にあったことを記したものです。[マタイ26:36]に「それからイエスは弟子たちといっしょにゲツセマネという所に来て、彼らに言われた。『わたしがあそこに行って祈っている間、ここにすわっていなさい。』」とあります。
次の内容を読むと、イエス様が弟子たちに目を覚まして祈るように頼まれたことがわかります。この夜、イエス様はどの時よりも切に祈られました。汗が血のしずくのように地に落ちるほど、苦しみもだえて切に祈られました。十字架の救いの摂理を成し遂げる直前に、公義を完全に満たす最後の時間だったからです。
この時、イエス様は一緒に行った弟子たちに、目をさまして祈ることを頼まれました。弟子たちも、イエス様が成し遂げることをそばで見守っていなければならなかったからです。
今、私と皆さんも、100倍以上の祝福を手で触る前に、このように切実な心で公義を積み上げています。私たちの前にはどんな摂理があるでしょうか? 闇が濃くなっているこの終わりの時に、多くの魂を救う摂理、具体的にはカナン聖殿と大聖殿建築、世界教区化を実現する摂理があります。
カナン聖殿と大聖殿はこの終わりの時、救いの箱舟のような聖殿です。また「世界教区化」というビジョンには、ひとりでも多くの魂を救うことを望まれる父なる神様の切実な願いが含まれています。神様は「これらすべてのことをこの教会を用いて必ず成し遂げるだろう」と言われました。
ところが、このように重大な摂理がただでなるのではありません。定められた公義の量が正確に満たされてこそ、摂理が現実として現れるのです。このためにまずは私が牧者として、今の流れの中で積み上げている公義について説明いたします。
私は祈りの家で神様と交わる時間を通し、神の初めの空間を活用する訓練を受けています。神の初めは「愛」です。また、この初めの空間は果てしないのです。地球上のすべての人をいだいても余るほどです。したがって、このことは数えきれない魂を救う摂理と直接つながっています。
アブラハムはソドムとゴモラが滅びる前の緊迫した状況で、そこに住んでいたおいのロトを心にいだきました。アブラハムは「滅ぼすこと」を望まれない父なる神の初めの心を推し量ったので、何度も求めました。それで、ロトが救われる公義が成立しました。
この時代にも、このような公義の原理が適用されます。誰かがアブラハムのように神のお心を推し量り、滅びに向かって突っ走っている魂たちをいだくことさえできるなら、彼らの救いのために求めることさえできるなら、彼らに救いの機会が与えられます。
父なる神様はこの終わりの時に、まさにこの教会にこういう摂理を置かれました。私はこのようなみこころを知っているので、絶えず祈り求めてきました。父なる神様の初めの心を理解して、大いなる力を引き下ろすために、休むことなく努力してきました。
それで、神様はさらに多くの魂が救われる道を開いてこられました。今日、世はソドム、ゴモラよりもっと罪がはびこっていても、このような摂理にあって、もっと多くの魂が救いの機会を得るようになったのです。
聖徒の皆さんは、2010年12月25日前後の悔い改めを通して、こういうみわざを体験しました。初めから愛である神のお心を推し量って求めたとき、神様は死に至る罪を犯した人にも機会を与えてくださいました。これからこのような驚くべき機会を、神を信じない典型的な肉の人々、救われることが大変難しい人々にも与えようと、私を用いて公義を満たすようになさるのです。
ですから、私は父なる神様が人の子らに向かって初めの空間をもっと広くしてくださるように、気が尽きていても祈ってきました。また、祈りの家での祈りを通して、神の初めの力で世界の流れを読んで導く訓練を受けてきました。
これは特に将来、この教会とつながる世界の国々のいわゆる「王たち」のための準備です。自然災害、経済的危機など、今後全世界が直面するようになる危機の局面は、人間の力ではとうてい解決することができません。そうなると「王たち」はこのような問題を私に依頼するようになります。彼らは大きい財力と権力、または知識を持った飛び抜けた人々です。このような人であっても、私が神の力によってその問題を解決して、さらに世界の流れを読んで導く姿を見れば、生ける神を認めるしかありません。
もちろん、このように神の初めの空間を活用することは、決してやさしいことではありません。霊の世界を一次元、一次元、突き抜けていくには、必ず公義にかなう「蒔くこと」がなければならないからです。私が過ぎ去った日、数えきれない断食と祈りを積んで、絶えず自分を犠牲にしてきた理由がまさにこれです。
神は、「主のしもべのほとんどが霊の世界を突き抜けて行って、ある線に至るとあきらめてしまった」と教えてくださいました。これは、それほど難しいということを物語っています。
しかし、私は立ち止まることはできませんでした。もっと多くの魂を救うことさえできるなら、父なる神様のみこころと摂理を実現することさえできるなら、いのち尽きるようなことがあっても求め続ける心でした。このような心で父なる神様の前に全身全霊を尽くして、蒔いて、また蒔くたびに、もっと深い霊の段階に突き抜けて行くことができました。ですから、私は今も絶えず祈りの家に行ってまた行って、全力を尽くして蒔きに蒔いているのです。
この「蒔くこと」によって臨んだ祝福は「魂の救い」だけではありませんでした。信仰のある聖徒の皆さんと働き人には、信仰が大きく成長する祝福として臨みました。多くの方がカナン聖殿時代にふさわしい御霊の戦士として出てきました。
エジプトから出たイスラエルの民も、モーセが積み上げた公義を通して、時に応じて救いの機会を得ました。それだけでなく、神の国の民であり、聖なる軍隊としての資格を備えて行きました。それで約束の地、カナンを攻めて行けたのです。
神様はとても細やかに、このような過程を導かれました。「カナンの地を与えるだろう」と言われた約束が、ただ漠然と成就されたのではありません。イスラエル民族は、エジプトから出た直後だけでも、異国で奴隷生活をしていた流浪の民族にすぎませんでした。
神様は、イスラエルの民がエジプトから出て約2か月目、シナイ山に着いた時から、彼らを本格的に整え始められました。まずモーセをつかさどり、何回かシナイ山に登って、断食しながら神と交わるようにされました。これを通してモーセは十戒をはじめ、さまざまな律法、おきて、定めをいただきました。また、すべての型をいただいて幕屋を作りました。それだけでなく、各部族別に任務を分配して、行軍する隊伍と陣を整備しました。これでイスラエルは、これ以上秩序のない一介の流浪の民族でなく、霊肉ともにに体系を備えた神の民として新たに生まれ変わりました。
イスラエルはこの過程を通して、何よりも神の子どもらしく生きる方法がわかりました。もちろんその後も訓練の過程があったけれど、イスラエルは結局、神の摂理のとおりカナンを征服して入りました。
このように、モーセひとりがいのちと引き換えに積み上げた公義によって、一つの民族に祝福が臨みました。一歩進んで、選民イスラエルの整備を基点に、全人類に臨む祝福も備えられたのです。
この教会の状況もこれと似ています。父なる神様はこの教会が終わりの時、大いに神の摂理を実現する組織として欠けたところのないように、牧者である私に公義を積み続けるようにされました。これは皆さんに下さった大きい祝福です。
愛する聖徒の皆さん、次に、働き人と聖徒が積んでいる公義の側面を調べてみます。
わずか数年前だけでも、私がこのように数週間も教会を空けることは大変難しかったのです。私が教会から離れていれば、信仰が弱くて祈りをやめたり、ひどくは主日に来なくなる方が多かったのです。
今は皆さん自身も、大いに変わったことが感じられるでしょう。皆さんのほとんどは、私がいない時も、変わらず礼拝して集まるのです。また「どうすれば信仰の岩に立とうか?御霊の歩みに入ろうか?」と切に祈って断食もします。牧者が見ているからでもなく、また誰かがさせたのでもなく、湧き上がる心で自発的にこうしています。
どうしてこのような信仰を持つようになったのでしょうか? 父なる神様は、私がキリストの心で皆さんをどう愛するのか、皆さんが直接見て感じたからだと言われました。皆さんは去る30年間、特に2010年12月25日前後に、皆さんの牧者がどのような時間を送ったのか、直接見守りました。昼も夜も悲しみの涙をもってとりなしの祈りをしました。これによって多くの方が罪の重荷を下ろして、もう一度いのちを得ました。
また、この短い時間に過去30年間、あるいは20年、10年間持てなかった岩の信仰、霊の信仰を持ちました。つまり、どんな環境と条件にも揺れない真心と全き信仰に変えられました。このような信仰に近づいている方も多いです。
それで、今は「牧者がいないから、ちょっと 気楽にやろう。ちょっと休もう」と思いません。「私が罪を犯せば、牧者がどれほど力を落とされるだろうか? 心をよく守らなければ......。」「私がこのように大きい恵みをいただいたので、何としてでももっとすみやかに御霊の歩みに入らなければ......。」「新しいエルサレムに必ず入って、牧者と別れ別れになることがないようにしよう。」このように心を固めてはまた固めます。
自発的にみことばを武具として身につけて、祈って、忠実に仕えます。父なる神様はこのように私が教会を離れているようにされ、皆さんが信仰を堅くする環境を作ってくださったのです。
今年、皆さんは開拓後、初めて堂会長の私がいない中で、新旧送迎礼拝をささげました。その時、神様は皆さんに合格点を与えてくださいました。これまで学んだ真理のみことばどおり、心を込めて備えて礼拝をささげたからです。
ところが、その時、神様はこれからひとりひとりが合格点にふさわしい行ないを見せなさいと託されました。それから皆さんは私が教会を空けるたびに、自ら牧者に学んだ真理のみことばを思い起こして、そのまま行なうために努力しました。このように、神様は皆さんが自由意志から神様を愛する証拠を見せるように、これらの時間を許されたのです。皆さんが霊的な実を結ぶために蒔くべきことが十なら、私はこれまで九を代わりに蒔いてきました。父なる神様は、皆さんが残りの一つを蒔いて実を結ぶように、こういう時間を下さったのです。
この頃、教会に肉的に見る時は困難に感じるほどの環境を下さったのも、まさにこのような理由からです。多くの方がやもめのレフダ銅貨二つのような大切な物質まで、惜しまず父の御前にささげています。いやいやながらこうしているのでしょうか? そうではありません。教会を守って牧者の力になろうと、自発的にこうしているのです。
そして、働き人はどうしているでしょうか? ひと月、ひと月、教会の財政を支えるために祈って、探り窮めて、東奔西走しています。神様はこれを通して、去る30年間、牧者がどのように信仰によってこの教会を導いてきたのか、その心を感じてみる時間になると言われました。また、このように肉的には楽ではない時間を通して、これから下さる祝福を浪費しない真実の働き人に、究極的には牧者の心を推し量り、教会のすべてのことを執行する働き人へと磨く過程だと言われました。
一方、主のしもべと、聖徒を管理する働き人は、これまで聖徒の皆さんが牧者の不在をあまり感じないように努力してきました。ところが、このように教会を導いて魂を顧みる過程で、自分の限界を感じる時もあったでしょう。その時は、「私が過ぎし日、もう少し努力してきたなら、今は御霊の歩みに入って、牧者にとってもっと大きい力になるはずなのに。」このように悔いることもあったでしょう。しかし、このように残念に思ったので「必ず御霊の歩みに入ろう」と堅く決心もしたはずです。
何よりも働き人は、私がいない間、前よりさらに心と力を一つにして働きました。時には互いに励まし、慰め合ってきたでしょう。これらの時間を通して、結果的に働き人が牧者ともっと完全に一つになりました。牧者を中心に働き人と聖徒が一つになること、父なる神様は今の流れを下さった理由がまさにこれだと言われました。これらの時間を通して、私と皆さんがどんなものによっても引き離すことのできない愛の絆でつながったと言われたのです。
[ローマ8:38、39]に「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」とあるとおりです。
この愛の絆は、一緒にいようが遠く離れていようが、現実が平安であろうが険しかろうが、決して引き離さない堅いものです。また、これは決して移り変わることのない「信頼」でつながっている絆なので、誰も引き離すことはできません。父なる神様は、まさにこの祝福が大金を払っても買えない、一番尊い祝福だと言われました。


[結論]

愛する聖徒の皆さん、父なる神様はアブラハムとイサクとヤコブに、カナンの地を彼らの子孫に与えると約束してくださいました。肉の目には、この約束が遅れているように見える時もありました。しかし、公義が完全に満たされたとき、この契約はおことばのとおりに成就されました。
神様はこのように偽りを言うことがありません。私たちのマンミンに下さった約束を完全に成し遂げてくださる日も遠くありません。今は事前準備を徹底的にするように、ご自身で導いておられます。神様の働きは何かの情や感情でなく、正確な公義に従って成就されるからです。したがって、父なる神様はもちろん、闇の力も認めるほどの公義が積み上げられなければなりません。これがまさに霊の世界の法です。
私は今、気が尽きている状態で、全力を尽くして勇敢に戦っています。これはまるで、強大な敵を迎えて、全力を尽くして戦う覚悟で背水の陣を敷いたようなものです。私はこのように積みに積んで、積むほどさらに多くの魂に救いの道が開かれて、皆さんの信仰が急速に成長することを信じます。
私はこのような信仰で公義を完全に満たした後、今後、より大いなる神の力とこの世での力、すなわち、父が下さる祝福に支えられて、世界を揺り動かすでしょう。皆さんも今の霊の流れによく乗って、罪との戦いをすみやかに終わらせますように。
カナン聖殿に集まってくる数多くの魂と喜びの賛美をささげる、その日を思い描いてみますように。どんなに胸いっぱいでしょうか。その時のために、新しいエルサレムに至るその日のために、このように尊い時間を与えて、ご自身で導かれる父なる神様にすべての感謝と栄光をお帰しいたします。
お盆休みの間、偶像を拝むことがないようにお願いします。これからの時間も、主にあって幸せに過ごしますよう、主イエス・キリストの御名によって祝福して祈ります。

 
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