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主日礼拝 メッセージ > 主日礼拝
主日礼拝
Title
   あなたの立っている場所は、聖なる地である。  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   出 3:5
Date
   2010-03-21


[本文]

[出エジプト3:5]
「神は仰せられた。『ここに近づいてはいけない。あなたの足のくつを脱げ。あなたの立っている場所は、聖なる地である。』」

[序論]

愛する聖徒の皆さん、皆さんの中には、聖地巡礼に行ってきた方がおられるでしょう。私も聖地を数回踏んだことがあります。聖書の背景になるイスラエルとエジプト、小アジア、ヨーロッパなどに、自分でも行ってみました。昔の信仰の人々が神を見つけて体験した場所、イスラエルの民がエジプトから出て過ごした荒野、イエス様が福音を伝えて、しるしと不思議を現した町々、使徒たちが福音を伝えた痕跡が残っている場所など、聖地に行くたびに、言い尽くせない感動が押し寄せてきました。神が臨在してしるしと不思議を現された地、私たちのイエス様がご自身で踏まれた地だと思ったら、石一つ、草一本まで尊く感じられました。聖地巡礼に行ってきた方なら、十分おわかりになるでしょう。聖地は、このように父なる神様と主、そして昔の信仰の人々の足跡が残っている特別な場所です。それで、主を信じる聖徒は、聖地にぜひ一度行ってみたいと慕うのです。
ところが、実は、今日、私たちの近くにも、父なる神様の御手のわざが感じられる聖地があります。そこは、海の塩水が飲めるようになったムアンの甘い水の泉です。きょうは、私たちが聖地に対してどう向き合うべきかについて伝えて、恵みを分かち合いたいと思います。聖徒の皆さんはもちろん、視聴者の皆さんも、聖地にどんな心で向き合うべきか、さらに神様が施されたみわざについてどんな心を持つべきかを悟る、恵みの時間になりますように。それで、生ける神のみわざをいつも体験しますように、主の御名によって祈ります。

[本文]

愛する聖徒の皆さん、モーセがミデヤンの「ホレブ」という山で羊を飼っていたある日、主の使いが柴の中の火の炎の中に現れました。モーセがそこに近づくと、神は「ここに近づいてはいけない。あなたの足のくつを脱げ。あなたの立っている場所は、聖なる地である。」と仰せられます。主が臨在されたので、そこは聖なる地になったからです。くつにはあらゆる汚いものがつきます。ここで「くつを脱げ」と言われたのは、霊的に、敬虔で聖なる心で神の御前に立ちなさいという意味です。
これは聖地についても同じです。聖地とは、神が働かれた聖なる場所です。ですから、聖地では神の御前に立ったように、聖なる身と心で行なわなければなりません。聖でない姿で聖地にとどまることは、聖地を汚すことで、神の御前で礼儀に反することです。そうすると、聖地で神を見つけて恵みを受けるのでなく、かえって神の御怒りを招くかもしれません。
旧約聖書を見ると、神の聖所を汚してはならないと数回強調されています。このようなみことばを読むと、今日、私たちが神の聖なる地、ムアンの甘い水の泉をどんな心で訪問すべきかわかるでしょう。
聖徒の皆さんは、甘い水の泉がどれほど尊い場所なのかよく知っていると思います。そこは、神様が、聖書に出てくる奇蹟を施された場所です。[出エジプト15:22-25]には、マラの苦い水が甘くなった出来事があります。モーセが主の示された木を苦い水に投げ入れると、「水は甘くなった」とあります。つまり、飲めない水が飲める水に変わりました。どれほど驚くべきことでしょうか。これは、神様だけがおできになることです。
もっと驚くのは、これと同じみわざが、数千年経った今日、科学文明がまばゆいばかりに発展した時代、私たちが生きている21世紀に起きたということです。塩からいというより苦い水が飲める水に変わったみわざ、驚くべき奇蹟が起きた場所が、韓国にあるムアンの甘い水の泉なのです。
ムアン万民教会があるジュクトは、今は陸地とつながっていますが、もとは四面が海に囲まれた島でした。井戸を掘っても塩水だけが出てきて、聖徒は飲み水を得るのが大変だったのです。それで、2000年、ムアン万民教会の聖徒はきのうもきょうも同じである神様を信じて、私に祈りを依頼しました。それで、私はここソウルでイエス・キリストの御名によって祈りました。すると、数百キロも離れたムアン万民教会で、塩水が飲める水に変わる、驚く奇蹟が起きたのです。
甘い水は飲み水としてだけでなく、信仰で使えば、神の力が体験できます。多くの聖徒が甘い水をつけたり飲んだりして、皮膚疾患、脱毛、やけど、白内障や、胃潰瘍などさまざまな内臓の病気がいやされました。手術を受けなくては治療できない腹膜炎までいやされました。また、甘い水をつけたら、小さかった耳がのびるなど、奇形が正常になりました。視力と聴力がよくなって、二重まぶたになる奇しいことも数多く起こりました。死にかけていた動物と植物が生き返ってもっと強くなったし、甘い水を使って栽培したら、トウガラシ、白菜、メロンなど農作物がはるかに大きくなりました。それだけでなく、多くの方が甘い水に身を浸したあと、霊の目が開かれて霊の世界を見ました。甘い水によって起こる驚くべきみわざは、この短い時間にいちいち並べられないほどたくさんあります。どれほど驚くことでしょうか。
この尊い水を下さったことに感謝して、ムアンでは毎年、記念礼拝をささげています。ところが、最近、私は一つ疑問を持つようになりました。皆さんもよく知っているように、私たちの教会の行事の時は、神様はいつも良い天気にしてくださいます。しかも、野外行事がある日は虹と雲など、いろいろな不思議も見せてくださいます。
ところが、この前、ムアンの甘い水10周年記念礼拝の時は雨が降りました。今年だけでなく、3年連続で雨が降ったのです。もっとおかしいのは、海外のお客さんや聖徒が慕う心で訪問した時は、いつも良い天気にしてくださったということです。虹を見せてくださって、多くの方が霊の目が開かれて美しい光と天使、エデンの園を見ました。視力が良くなって、長い間の病気がいやされるなど、証しもあふれました。
もちろん、インド聖会のように、たまに特別な摂理のうちに雨が降ったことはあります。しかし、今回はそんな事情でもないようだし、とりわけ記念礼拝をささげるとき、しかも3年連続で雨が降るには、確かに理由があるだろうと思いました。
これについて神様に祈ったら、その理由を説明してくださいました。働き人たちが甘い水の泉と水に対するとき、神様を悲しませたことが積まれて、隔ての壁になったことがその原因でした。この時間、聖徒の皆さんすべてが「自分は神様が下さった甘い水にどのように対したのか」よく顧みますように。この後は、甘い水によって父なる神様に喜ばれるだけ、栄光だけ帰すように、お願いします。
第一、口にする言葉を顧みますように。
先ほど言ったように、聖地は聖なる場所です。ですから、皆さんが甘い水の泉でも、聖殿にいるように、口にする言葉に気をつけなければなりません。
甘い水には、父なる神様の栄光とはじめの光が取り巻いています。この光は声を吸収します。皆さんの祈りはもちろん、ひと言ひと言まですべて吸収します。吸収された声は香になって、父なる神様の御前に立ち上ります。聖徒が証しして栄光を帰す声、甘い水をいただいて感謝する告白と賛美、父のみこころどおりにささげる祈りは、すべて神の御前に美しい香になって立ち上ります。
一方、甘い水の泉と水の前で口にする信仰のない言葉、否定的な告白、不平の言葉、平和を破る言葉などは、かえって神様を悲しませます。冗談や世の話もそうです。ですから、皆さんが甘い水の泉を訪問するときは、口にする言葉に特に気をつけなければなりません。出発する時から心を整えて、甘い水の泉に近づいたら、言葉と行ないにもっと気をつけなければなりません。
旧約時代には、祭司長だけが聖所に入れました。契約の箱がある至聖所には、大祭司だけ、それも一年に一日だけ入れました。また、祭司長が聖所に入る時は、水で洗うきよめの儀式をしなければなりませんでした。聖所は神が臨在される聖なる場所だったので、聖別したのです。
皆さんが甘い水の泉を訪問する時も、このように敬虔な心を持たなければなりません。入り口から、自分は今、聖地に入るのだと意識しなければなりません。また、甘い水に身を浸す前は、神の御前にふさわしくない言葉と行ないを悔い改めて、きよい心でしなければなりません。
昨年は、その近くに海水浴場ができたでしょう。海水浴場にいる時は、安らかで幸せな心でいますが、そこも聖地の一部であることを覚えて、言葉と行ないに気をつけられますように。
第二、皆さんが甘い水をどれほど尊く思うのか、顧みますように。
神様は、ほんとうに意味深い時点にこの水を下さいました。2000年は、教会全体が三つの大きい試みを通り抜けてから迎えた祝福の年でした。この水は父なる神様がすべての聖徒に下さった尊い賜物でした。
海水が飲めるようになったことを確認した、その日を覚えているでしょうか? ムアン万民教会の聖徒がその現場で水を飲んだ後、大感激して本教会にそのことを知らせました。全聖徒が大いに感動して、神様に感謝と栄光を帰しました。しばらくの間は、そこを訪問する聖徒の行列が絶えませんでした。
ところが、ひょっとしてその時の感激と喜びが薄れた方がいるでしょうか? 今、この水は全世界の数多くの人にとって尊い賜物になっています。韓国の聖徒は訪問もしやすいし、水も比較的豊かに得られますが、海外ではそれが難しいです。ですから、海外の聖徒には甘い水があまりにも貴重で、一滴一滴大切に使います。この水を宝物のように思う聖徒も多いです。そのようなところでは、甘い水による驚くべきみわざが絶えず起こります。この前は、海外からこの水でハンセン病がいやされたという証しが届きました。皆さんが甘い水の尊さを悟って、変わらずに慕うなら、皆さんの人生にも驚くべき証しがいつもあふれるでしょう。
私は10年経った今も、甘い水を飲むたびに、感謝の祈りを忘れていません。初めて甘い水を下さった時の感激が忘れられないのです。時に応じて、この水を下さったことに感謝して、心と思いを尽くして献金もささげます。そして、この水を通して多くの人が神様を見つけて体験できるように、問題が解決されて答えられるようにと切に祈ります。神様は、このような私の心をお受けになって、日が経つにつれて水にもっと大きい力を込めてくださいました。また、もっと飲みやすくしてくださいました。
ですから、日が経つほど、聖徒の皆さんも慕う心が大きくなるべきではないでしょうか。主が来られるその日まで、甘い水を熱く慕う心が変わりませんように。水一滴も大切に思って、甘い水の泉を尊く思う聖徒になりますように、主の御名によってお願いします。皆さんの人生に甘い水による神の祝福がいつもあふれますように、主の御名によって祈ります。
もちろん、聖徒の皆さんすべての心を顧みなければならないのですが、誰よりも働き人は自分自身をもっと詳しく顧みますように。神様は信仰の小さい聖徒のひと言、ふた言のゆえに、悟るように言われているのではありません。誰よりも働き人を悟らせるために、最近、数回、甘い水とかかわって、あれこれ表に現れるようにされたのです。
ですから、甘い水の泉を管理する支教会と、使命で行って来る本教会の働き人は、自分をよく顧みるべきでしょう。甘い水の泉を管理している支教会の主のしもべや聖徒は、変わらずにただ神様に栄光を帰したか、心を顧みますように。
神様は、聖書の奇蹟を求めた皆さんの信仰と、牧者を信頼する心を喜んでお受けになって、祈りに答えてくださいました。信仰と心を尽くして神様に大いに栄光を帰したその瞬間は、忘れられません。神様はただご自身に栄光を帰すために、役に立たないしもべの心で、甘い水を管理する純粋な心がいつも変わらないように望んでおられます。また、すべての働き人が「どうすればこの水をもっとよく管理して、神様に栄光を帰そうか」という心で一つになって進んでいくように願われます。平和を破る言葉、相手を気まずくさせる言葉、互いにぶつかる声が、水に染み込むことがけっしてあってはいけません。
本教会の働き人も同じです。甘い水と泉を管理する働き人はもちろん、お客さんを案内してそこへしょっちゅう行く働き人も、自分の心をよく顧みますように。皆さんは教会と牧者の力になるために、私がすべきことを代わりにしてくださっています。いつも感謝の心で、父なる神様を愛する心で、思いを尽くして使命を果たしているでしょうか? そうしてきたなら、甘い水の泉を管理して、そこに行って来ることが、いつもうれしくて幸せだったでしょう。
ところが、牧者を愛する、牧者の力になりたいと言いながら、実際は「こんなに遠い道をしょっちゅう行って帰るから疲れる」と思ったり、不平を言ったりしなかったでしょうか? または、途中の道で冗談を言うなど、聖地だと意識しないで行ってきたことはないのかも、顧みますように。
ひょっとして、他の部署と一緒に働くとき、「これはこうしなくては。このほうが正しい」と主張して、平和を破る姿はなかったでしょうか? 甘い水についてあれこれ否定的なことを口にしたのではないでしょうか? もしかして些細なことでも自分に当たることがあるなら、父なる神様の御前で心から悔い改めて、傷もしみもない働き人になりますように。

[結論]

愛する聖徒の皆さん、神様がみことばで悟らせてくださる理由は、皆さんを責めようとするからではありません。父なる神様はこの後、この甘い水を用いてもっと大きいみわざを現されるでしょう。それだけ大きい栄光をお受けになるでしょう。したがって、この水を管理する使命を任された働き人と聖徒の役割が本当に大切です。皆さんの心を新しくして、甘い水によってもっと大いに栄光を帰すようにされるために、このように悟らせてくださるのです。
ですから、きょうのメッセージで自分に当たることがあるなら、心から悔い改めて新しくなりますように。そして、この水を下さった父なる神様の愛を心の底から悟るよう、お願いします。誰よりも、聖徒の皆さんがこの水を慕って、この泉を聖なる場所と思わなければなりません。また、働き人は牧者の代わりに心を尽くして水を管理しなければなりません。そうしてこそ、多くの人にいのちを与える水がもっと広く伝えられるでしょう。甘い水に含まれた父なる神様の力と神聖がもっと驚くほど発揮できるでしょう。
神様は、うわべだけ忠実に仕えるのでなく、心からにじみ出て真実に仕えるように願われています。甘い水を管理する使命だけでなく、すべての分野でも同じです。自分のことのように心を尽くして、「どうすれば神の働きを立派にやり遂げようか」と、みなと一つになって助ける心、このような心をもって、自分の立場で最善を尽くすとき、神様は力と知恵を加えてくださいます。皆さんを用いて神の摂理を見事に成し遂げられます。
皆さんは間もなく大聖殿という世界最高の聖域にとどまるようになるでしょう。働き人はもちろん、聖徒の皆さんすべてがすみやかに聖なる神の子どもになりますように、主の御名によって祝福して祈ります。

 
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