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Title
   信仰の量り(20)-信仰の五段階(1)  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   ロマ 12:3
Date
   2006-05-07


<本文>

<ローマ12:3> 「 私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。」

<序論>


愛する聖徒の皆さん、またアメリカ、イギリス、カナダ、ペルー、ホンジュラス、ボリビア、エルサルバドル、アルゼンチン、ドイツ、フランス、ロシア、ベルギー、オランダ、中国、日本、パキスタン、ネパール、インドネシア、フィリピン、台湾、インド、モンゴル、エジプト、イスラエル、ケニア、ウガンダ、コンゴ、ブルンジ、ルワンダ、タンザニア、ナイジェリア、スワジランド、南アフリカ共和国、ボツワナ、コートジボアールなど全世界と全国の4、400余りの支教会の聖徒の皆さん、支聖殿の聖徒の皆さん、全世界でインターネットを通して礼拝をささげているすべての聖徒の皆さん、<教会学校の子どもの皆さん>、視聴者の皆さん、

教会で最もよく使われることばの一つが「信仰」です。信仰があってこそ救われ、信仰があって初めて天国に行くことができます。神様に出会うのも信仰がなければならないし、祈りに答えられ祝福されようとしても、信仰がなければなりません。したがって、教会に来て信仰生活する聖徒は、みな「信仰のある人々」です。
ところが、同じように「主を信じます」と言っても、「どれくらい神様の御心のとおり従うのか」という行いの程度は千差万別です。神様のみことばどおり従って生きていける信仰の大きさは、それぞれ違います。
たとえば<第一テサロニケ5:16-18>に、「 いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」とあります。
このみことばは、皆さんが信仰生活をするなら、とてもよく聞くみことばです。しかし、このようによく知られたみことばでさえ、完全に従う人はそんなに多くいません。実際に難しいことにあうと、悲しんでつぶやき、祈りを休んでしまいます。試みられて気を落とし、使命を果たさない人も多くいます。
しかし、このように信仰の薄い人も、みことばどおり従うために努力するほど、だんだん信仰が大きくなって、みことばどおり従える能力が生じます。初めは、聖霊を受けて救われる資格を得て、信仰の一段階から出発します。だんだん神様のみことばを聞いて学び、行おうと努力し始めれば、信仰の二段階に入ります。信仰の三段階になると、みことばどおり守り行える能力が生じます。ここから進んで心の根にある罪の性質まで脱いでしまえば、信仰の四段階に入ったことになります。そして、さらに完全に霊の実を結ぶようになると、最高の信仰である信仰の五段階に達するようになります。
このように信仰の段階が高まるほど、聖書に記されたすべての祝福のみことばを体験して生きていけるようになります。将来、天国でもより良い天国に入り、さらに栄華ある報いを受けるだけでなく、この地上でも祈ることはすべて答えられて、すべての事で生きておられる神様のみわざを体験していきます。また、その人生の中で仕えと愛でキリストのかおりを発するようになり、信じない周りの人々も恵みを受けて、「まことのクリスチャンはああいう人だな、本当に神様は生きておられるんだな」と、神様に栄光をささげるようになります。
ところが、ある方々は、信仰生活が長いのですが、相変らず救われる信仰にとどまっていたり、薄い信仰の中に安住してしまった場合があります。そうすると、長い歳月が流れても、生きておられる神様のみわざが体験できなくて、あかしして栄光をささげるようなこともあまりないのです。
この時間、みことばを聞かれる皆さんの中には、決してそういう方がいないようにお願いします。語られるみことばをよく霊の糧として、ますます大きい信仰を所有して、すべての事で神様に出会って体験する皆さんになられますように、主の御名で祈ります。

<本論>

愛する聖徒の皆さん、この間は信仰の四段階まで説明が終わりました。
信仰の四段階は「神様をこの上なく愛する段階」だと言いました。この段階は神様をこの上なく愛するので、世の何よりもだれよりも神様をさらに愛する段階であり、何の代価も望まずに無条件に神様を愛する段階です。
もちろん、信仰の一段階も二段階も、それなりに神様を愛する心はあります。しかし、それが父の御前で完全にまことの告白と認められるためには、口で告白することだけでなく、その行いに偽りがなく、変わりがあってはなりません。
多くの人々が大きく恵みを受けた瞬間には「神様にいのちもささげます」と言いますが、その恵みが冷めたら、また以前の人生に帰ります。祈って賛美する時は、「主をとても愛します」と涙で告白しますが、実際に自分の大切なものをささげて献身しなければならない状況に直面すると、主の前でいやいやすることもあります。
また<第一ヨハネ5:3>に、「 神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。」とあります。しかし、神様を愛すると告白する人々の中に、命令を完全に守る人がはたしてどれくらいいるでしょうか? ですから、信仰の四段階に入る前には、それなりに「神様を愛します」と言っても、まだ「神様をこの上なく愛する信仰」と認められないのです。
信仰の四段階に至ると、世の何より神様を第一に愛して、自分の全部を神様にささげることができます。また、神様を愛するので、どんなに迫害されて殉教にあうとしても、神様の命令を完全に守って従うようになります。その人が「父よ、愛します」と告白する時は、その告白が神様の前に美しいかおりとして受け入れられます。
今日、多くの教会と聖徒がいても、このような信仰の四段階に至った人を探すことはやさしくありません。ですから、皆さんが信仰の四段階にだけ入れば、神様も皆さんをとても大切にされて愛してくださいます。
<箴言8:17>に、「わたしを愛する者を、わたしは愛する。わたしを熱心に捜す者は、わたしを見つける。」と言われたように、皆さんが神様をこの上なく愛するとき、神様も皆さんをこの上なく愛して、いつも共におられる証拠を見せてくださるのです。
ところで、四段階を過ぎて信仰の五段階に達すると、その愛の次元がもう一段階変わります。単純に愛して命令に従う次元でなく、神様の御心と御旨を推し量って従うようになるので、神様に喜ばれるのです。それで信仰の五段階を、「神様に喜ばれる信仰」と表現します。
愛する聖徒の皆さん、神様をこの上なく愛して愛される段階を越えて、神様に喜ばれる信仰とは、はたしてどんな信仰でしょうか?
皆さんが世の中で肉の子どもたちを考えてみても、子どもが両親を愛する程度はそれぞれ違います。親子の間では当然、互いに「愛している」とは言いますが、両親の言うことに100パーセント従う子どもはそんなに多くないのです。従うこともあって、従わないこともあり、時には従わないくらいではなく、全く逆らったり、ぐれたりする子どももいます。
反面、心からにじみでる従順ではないけれど、両親のことばなので、道理を追って服従する善良な子どもたちもいます。これよりもう少し善良な子どもは、両親を愛するので、その心を痛めないように、言うことにただ従います。何かを言われたら、言われたとおり100パーセント従うので、両親の心を安らかにするのです。
ところが、これよりさらに愛が深い子どもたちの場合は、両親に何かを言われると、なぜそのことを言われるかその心まで推し量って、それ以上に両親が願われることを成し遂げます。また、言われていないことまで探して、両親の心にぴったり合う方法であらかじめしておくのです。これは服従や従順を越えて、まさに順服する次元です。
もちろん、韓国のことわざに「十の指をかんで痛くない指はない」とあるように、両親はすべての子どもを全部愛するものです。しかし、いろいろな子どもの中に、ある息子が特別に両親を愛して、心からにじみ出る従順の心で行うなら、両親もその息子をさらに深く愛するしかありません。しかも、その子が両親の良い点に全部似ていて、両親の心の深いところまで推し量って、すべてが心にぴったり合うようにするなら、両親はどれくらいその息子を喜ぶでしょうか?
神様も同じです。聖書に「しなさい、してはならない、守りなさい、捨てなさい」と言われたすべての命令に全部従う子どもがいるならば、その子をこの上なく愛してくださいます。その上、命令に完全に従うだけでなく、神様の深い心と御旨まで推し量って、すべての事に御心にぴったり合わせて行うなら、神様はどれくらい喜ばれるでしょうか?
ところで、信仰の五段階に達した人は、ある瞬間だけあふれる行いをしたり、時々濃い愛をささげたりするのではありません。24時間毎分毎秒、自分を喜ばせようとする心が全くなく、ただ神様に喜ばれるために生きていき、また魂たちに仕えるために生きるのです。その姿が10年経っても、100年経っても変わらないのが、まさに信仰の五段階です。変わるのではなく、むしろさらに深くなります。
神様を信じる前に肉の両親に仕えた時も、心を尽くして真実に愛して仕えた人ならば、信仰の中で神様に仕える時もそうするでしょう。肉の両親は私のからだを生んでくださっただけなのに、人の道理を追って愛します。まして神様は、私たちの霊と魂を生んでくださった霊の父となられます。しかも、自分が死ぬしかなかった罪人だったとき、自分のためにひとり子のいのちまで与えてくださったことを悟るなら、どうして愛さないでいられるでしょうか?
肉の愛はいくら大きいといっても完全なものでなく、極端な状況になると、変わることもある愛です。親子だけでなく、兄弟間の愛も、夫婦の愛も、友だちの友情も、みな同じです。
聖徒の皆さん、私は六人兄弟の末っ子として生まれて、両親の愛をたっぷり受けて育ちました。私も親をとても愛して、何としてでも両親に喜ばれようとしました。
私が小学校に入る前の幼い時のことです。母がたびたび市場に行く時は、往復で40里、60里もある道を、重い荷物を頭に載せて歩いていきます。交通費を少しでも節約しようと、バスに乗らないのです。
私はどうしても母について行こうとしましたが、その遠い道を歩いて行くことは幼い子には決して容易なことではありませんでした。後には歩く力さえなくなります。それでも何としてでも母について行きたくて、疲れていない振りをしてついて行きました。
そうして市場に行けば、面白いものも多いのですが、特に路上に飴売りがいました。その当時、時々食べるおやつでさえトウモロコシやさつまいも程度で、それもあまりにも貴重で食べられなかった時期にその飴を見るのですから、どれほど食べたかったでしょうか?
母は幼い息子の心を知っていて、飴を買ってあげようとポケットに手を入れます。しかし私は「お母さん、食べたくないよ、早く行こう」と、母の手を引っぱって急いでそこを離れました。母が重い荷物を頭に載せて、60里の道を歩いてきた理由がわかるからです。5、6才の幼い年でも、母を愛するので、そのように食べたいものも我慢したのです。
これは断片的なあかしに過ぎないのですが、私はいつもこういう心で親を愛して、親も私を喜び、愛をたっぷり注いでくれました。それで、私は成長しても、世のどの親子にも劣らない濃い愛を分かち合ったと思いましたが、とても極端な状況になると、結局その愛が変わるのを見ました。
私が神様を信じる前、病気になっていたとき、夫として、父として、家長の役目ができなくて、薬代と生活費のために家族と親戚に迷惑をかけなければならなかったし、親には息子の役目もできなくなりました。
ますます病気はひどくなって、とうてい回復する方法がないように見えると、友だちも親戚も、私を愛したすべての人々が、ひとりひとり私から顔をそむけるようになりました。
親も初めは、何としてでも私を生かすために薬を探してくれて、心を尽くしましたが、結局はあきらめてしまいました。病床についていた私を訪ねてきた母が「いっそあんたが死ぬほうが親孝行だ」と激しく泣き叫ぶのを見て、私は肉の愛がどんなものなのか、すさまじいほど悟りました。
しかし、神様の愛は違いました。私にはささげるものが何もなかったけれど、神様は無条件に私を愛してくださいました。まず、私を訪ねてこられて、すべての病気をいやしてくださり、その後、33年の間、神様の愛は一度も変わったことがありません。どんな絶望的な状況でも、神様を呼ぶ時にはいつも答えてくださり、求めれば良いものだけ下さって、捜せば出会ってくださいました。
もちろん、皆さんが真理から外れて死の道に行く時は、まるで神様が御顔をそむけられたように見える時もあります。しかし、その時も皆さんが立ち返りさえするなら、直ちに暖かく抱いてくださって、変わりない愛で天国まで導かれる方が、まさに私たちの父なる神様です。
肉の両親も私の心と最善を尽くして愛しましたが、こういう父なる神さまに出会ったのですから、私はどうしたでしょうか? 当然、心と思いと最善を尽くして、力と知恵といのちを尽くして神様を愛しました。何としてでも神様に喜ばれるために、熱心にみことばを聞いて学び、最善を尽くしてみことばのとおり従っていったのです。ですから、主を受け入れてさほど経たないうちに、すみやかに信仰の四段階に、五段階に入ることができました。
聖徒の皆さん、皆さんが信仰の五段階に至り、神様と愛を分かち合う幸せとは、まことにことばで説明することができません。霊肉共にたくさんの祝福を受けるので幸せになるのですが、その中の最も大きい幸せは、まさに父なる神様といつも交わって、深い愛を分かち合う幸せです。
世の人々がとても幸せな時に、「この瞬間が永遠に続けばよいのに」と言ったりしますが、この地上で感じる感動と喜びはいくら良くても、さほど経たないうちに消えてしまいます。
ところが、全き霊に入った人は世の中で得られるどんな喜びと幸せより、さらにいつも心が満たされています。ひとりでいても、道を歩いていても、人に会っても、何を見ても聞く時も、心には父への愛が満ちていて、すべての事に父の愛を感じることができます。
また、神様のほうでも皆さんをとても愛されて、皆さんの存在そのものが神様に喜びになります。皆さんが寝ても覚めても、座っても立っても、何かを言っても何かをしても、神様がご覧になって本当に幸せで、愛らしいのです。
濃い香水がぎっしり入っている器なら、それはどこに置いても美しいかおりを放ちます。そのように、皆さんが信仰の五段階に入り、全き霊の心を成し遂げるなら、あらゆる思いとことばと行いがすべての事で神様の御心にぴったりかなって、一つ一つがみな神さまの喜びになるのです。
神様が人間を創造された理由が、まさにこういう子どもを得るためです。私たちが父の中に、主が私たちの中に、このように心が一つになって、真実の愛を分かち合うことができ、その中で限りない幸せを受けようとされるためです。
このように神様に喜ばれる信仰の五段階の具体的な特徴については、次の時間に語ります。

<結論>

愛する聖徒の皆さん、父なる神様は私たちの創造主であられます。両親の精子と卵子、いのちの種で宿るようになりましたが、そのいのちの種を与えられた方も神様であり、宿った皆さんのからだに霊と魂を与えられた方も、父なる神様であります。
しかも、罪人として地獄に行く魂たちのために、ひとり子を渡してくださいました。イエス様は私たちのために十字架にかけられて、いのちまで渡してくださいました。皆さんが神様を知らなかった時も、福音を聞かずに世の中と友になり、むしろ十字架の敵として行っていた時も、主はまずいのちを渡してくださったその愛で、皆さんを召してくださったのです。
また、主を受け入れて「愛します」と言いながら、真理の中に完全にとどまらない人でも、父なる神様は待ちに待っておられます。限りない憐れみ深い心で見つめて、皆さんが変えられるようにと耐え忍んでおられます。そうしながら、皆さんが変えられた分、何としてでももっと多く祝福してあげようと、その時が今か今かと見つめておられるのです。
私たちの神様が喜ばれ、愛される時は、「愛している」とことばだけで言われるのではありません。愛の証拠をはっきりと見せてくださいます。
<詩篇37:4>に「主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。」とあります。
これから全き霊の祝福について、また説明をしますが、皆さんが神様のために心から喜べて、 また神様に喜ばれるなら、神様がすべてのことに共に歩まれ、栄えるようにされるだけでなく、どんな心の願いでも、祈って求めるとおりにすみかに答えてくださいます。
願いを持って祈る前に、心に抱くだけでも、神様がすでにご存じで、先に答えてくださる場合も多いのです。他人に貸すことはあっても借りることはないようにされ、入るときも出て行くときも祝福され、かしらになっても尾にはならないようにされます。皆さんと共にいる周りの人々にまで祝福を与えられます。
人が世の中で成功するためにいくら苦労して最善を尽しても、全き霊に入った人が神様から受けるすべての祝福とは比べられません。しかも神様が下さる祝福は、ある環境や条件によって消えるのではなく、この地上だけでなく、永遠な天国でまで続く祝福です。
皆さんがこういう神様を真心で信じるなら、神様をどう愛すべきでしょうか? 当然、世のだれよりも神様を愛して、神様のかたちに似せられて行かなければなりません。すみやかに罪と悪を脱ぎ捨てて、霊に全き霊に入らなければならないのです。
みことばを聞いておられる全国と全世界の聖徒の皆様は、ただ救われたことで満足するのでなく、せっかくなら一生懸命に、最高に素晴らしい信仰生活をされるようお願いします。
すなおで完全な全き霊の心を成し遂げて、皆さんが存在すること自体だけで神様の喜びになる、そのような人生を歩まれるようにお願いします。
それで毎日、神様と共に歩まれ、祝福されてすべての事に栄光をささげる皆さんになられますように、主の御名で祝福して祈ります。

 
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